このままでは任務を外される。自分の部屋の近くでこうも頻繁に小火が起こっているのだ、不審に思われても当然だ。
警備責任主任の意向もあり、獄寺は一旦ボンゴレの屋敷に戻り、綱吉に報告をすることにした。
苛々としながら車を運転している間中、胸の奥底の黒い獣がクスクスと忍び笑いを洩らし続けた。
耳障りな声だと、獄寺は思う。
かんに障る声は獄寺を嘲笑い、手をこまねくばかりの不甲斐なさを馬鹿にしている。
屋敷に到着するとすぐさま、獄寺は綱吉の執務室へと向かった。
施設からの報告書を携えて、廊下を歩く。自然と大股で乱暴な歩き方になるのは、苛々しているからだ。
ドアを開けるまでもなかった。
獄寺が執務室にたどり着いた時にちょうど、中から人が出てくるところだった。
「よ、獄寺」
人好きのする大らかな笑みを浮かべた山本が、ドアノブに手をかけたまま、獄寺のほうを振り返る。
「任務中に火事があったんだって?」
何でもないことのように言われた途端、獄寺の頭に血が上った。
「ツナに呼ばれて来たんだけど、どこにもいなくてさ。お前、ツナのやつがどこにいるか知らねー?」 頭の中が真っ赤に染まり、不意に怒りの色でいっぱいになった。綱吉が山本を呼んだのだと聞いていい気分はしない。自分は、綱吉には信頼されていないのだろうか? ショックで、耳の中で何かがガンガンと鳴り響きだす。
「……の、ヤロー」
反射的に獄寺に掴みかかろうとしたところで、背後から振り上げた腕を掴まれた。
「はい、ここまで」
滅多にない厳しい綱吉の声に、獄寺の全身が固まる。
「じゅっ……十代目……?」
掴まれた手首から、獄寺の中の刺々しい気持ちが鎮まっていく。
「二人とも、ここで話すのもなんだから、中に入ってくれる?」
穏やかな声で綱吉は言った。
執務室は、綱吉のにおいがしていた。
あたたかな部屋の雰囲気に、獄寺は詰めていた息を小さく吐き出す。ここにいると穏やかな気持ちになることができた。胸の内に潜む黒い獣は、今のところおとなしくしているようだ。
デスクについた綱吉が、立ち尽くす山本と獄寺を前に、話し始めた。
「山本も聞いていると思うけれど、ボンゴレの関連施設に火災が起きたんだ。以前から警備サポートの要請があって、ここしばらくは獄寺君に行ってもらってたんだけど……」
と、綱吉は獄寺のほうをちらりと見る。
獄寺は素早く持ってきた報告書を手渡した。
「朝、俺が受けた報告では、この火災には獄寺君が関係しているということだった。これまでに施設内で起きた小火の現場はどれも獄寺君の部屋から近く、また発見されにくい場所で火の手が上がっている」
と、ここで綱吉は二人の顔をじっと見つめた。報告書は、獄寺が施設を出る時にこちらにもEメールで送られている。改めて書類に目を通そうとしないところを見ると、綱吉は既に内容を知っているのだろう。
「犯人は、獄寺君ではないかと施設側は疑っているようだけど……山本はどう思う?」
報告書をパサリと机の上に投げ出した綱吉は、獄寺の上で視線を止める。目の端で山本が、報告書を手に取ってパラパラとページを捲り始める。
「ねえ、獄寺君。この報告、どう思う?」
綱吉の言葉に、獄寺はぎり、と唇を噛み締めた。
伏し目がちに机の上の報告書を見つめる。
「……自分は……やっていません」
やっとのことで言葉を絞り出すと、綱吉はムッとした表情で獄寺を軽く睨み付けた。
「当たり前だろ」
綱吉自身、施設からの報告には疑問を感じているようだった。しかし、かといって施設管理者が嘘をついているのかというと、そういうわけでもないだろう。おそらく、犯人の見当をつけることができないのだ。獄寺はたまたま現場近くに部屋があったため、疑われたに過ぎない。
「じゃあ、誰が犯人なんだろな」
ポツリと山本が呟く。
「それを……二人に調べてほしいんだ」
何でもないことのように、綱吉はさらりと言った。
自分の不甲斐なさに嫌気が差す。
自室のベッドにゴロンと転がった獄寺は、天井を見上げた。
口寂しくてサイドテーブルへと手を伸ばしたものの、ふと気がかわって諦めた。
むしゃくしゃした気分だからこそ煙草を吸いたいと思うのだが、獄寺のことを最初から信じて疑わないでいてくれた綱吉のために、しばらくは禁煙するのもいいかもしれない。
溜息をつくと、目を閉じる。
胸の奥の黒い獣が笑っている。
お前は駄目な奴だ。放火犯一人捕まえることもできず、綱吉や山本の力を借りなければ身動きを取ることすらできないどうしようもない奴だと、笑っている。
唇をぎり、と噛み締め、目を見開いた。
施設へは、山本の用意が整いしだい戻ることになっている。おそらく、明日の午前中にでも戻ることになるだろう。
そうしたらまた、綱吉とはしばらく会うことができなくなる。この件が片付くまでは、綱吉とはおそらく顔を合わせることはないだろう。
「十代目……」
小さく呟いた。
綱吉の顔を見たい、声を聞きたいと獄寺は思った。
いいや、そうではない。本当はそれ以上のことを獄寺は望んでいる。あの手に触れてほしい、抱きしめてキスして欲しいと思っている。
もうひとつ溜息をつくと、胸の中の黒い獣がそうではないだろうと耳打ちをしてきた。
本当に獄寺が望んでいるのは、そんな生ぬるいスキンシップではない。肌を合わせたい、綱吉のもので体を突き上げられ、前後の見境がなくなるまでぐちゃぐちゃにされたいと思っているのだろうと、囁かれた。
違うと言いたかった。
そうではない、自分はそんな醜い感情を綱吉に対して持っているわけではないと言いたかった。
しかし、否定の言葉はひとつとして出てこなかった。
運転席の山本は、上機嫌でハンドルを握っている。
いい気なものだと獄寺は思った。
もっとも、犯人だと思われている獄寺と違い、山本は名目上は「獄寺の監視役」として施設へ向かうのだ。そんなに深刻になる必要もないからだろうか、やたら楽しそうにしている。
「それで、お前はどう怪しいと思うんだ?」
山本が不意に尋ねかけた。
助手席の獄寺は、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。まさか山本が喋りかけてくるだろうとは思ってもいなかった。
「え……?」
バックミラー越しに山本を見遣る。出発時から機嫌のよさそうな山本だったが、ミラー越しに見た彼の目だけが笑っていない。
「……連続で小火が起きて、そのどれもがお前の部屋の近くで起こってるんだろ? その前後に怪しいこととか、気付いたこととかなかったのかよ?」
尋ねられ、獄寺は眉間に皺を寄せた。
それについては、もう、何度も考えている。しかし考えても考えても、何も思い当たらないのだ。警備室にいる任務中であればともかく、小火は毎回、獄寺が任務に就いていない時間帯に発生している。小火の発生当時の現場の様子は、リアルタイムにはわからない。後から報告書でのみ、獄寺は知ることになる。
「怪しいっつっても……休憩中だったからな、俺は」
その休憩中の獄寺が、真っ先に現場にたどり着くというのも考えてみるとおかしな話だ。 「出火の様子はどんな感じだった?」
これも、既に施設管理者や雲雀、それに綱吉にまで尋ねられたことだ。
「どんな感じって言われても……」
言いかけて、不意に獄寺は押し黙った。
最初の小火の時に感じた振動のことが、報告のどこにも上がってきていない。それに、書庫で嗅いだあの、においのことも……。
「……いや、心当たりがあると言えば、ある」
しかしそれを正直に告げてしまうと、自分の立場はますます危うくなるだろう。
告げてしまっていいものなのだろうか。山本は、信頼できるだろうか? これが綱吉だったら、自分はどうしただろう。やはり黙っていただろうか? それとも、正直に告白するだろうか?
「ふぅん……」
それだけ返した山本は、掘り下げて尋ねることはしなかった。
山本は、獄寺とは別のシフトで任務に就くことになった。
獄寺の任務は今まで通り、続いている。
「じゃあ、また後でな」
そう言って山本は、警備室へと向かった。
あと半日もすれば、獄寺も任務シフトが始まる。それまでの間は基本的には自由だったが、小火の犯人ではないかと疑われている今、獄寺が部屋を出て施設内をうろつくのは問題があるだろう。
どうしたものかと考えながら、獄寺はベッドの端に腰かけた。
綱吉から渡された小火の報告書の写しを手にして、パラパラとページを捲ってみる。
あれは……あのにおいは、獄寺もよく知っているものだ。しかし報告書には、最初のものも含めてどの小火も原因は依然として不明となっている。
綱吉にも話していない。山本も知らない。それよりも、警備スタッフは獄寺の話に耳を傾けてくれるだろうか──手を止めて、獄寺ははあ、と溜息をついた。
警備スタッフの中には、獄寺をあからさまに疑っている者がいる。獄寺の言葉に耳を傾けてくれる者も中にはいるだろうが、信じてくれるかどうかはまた別の問題だ。
自分はどうしたらいいのだろうかと、獄寺は報告書を頭の上に高く掲げてみた。
部屋のあかりにすかして報告書を眺めてみたが、ひとつとしていい考えは浮かんでこなかった。
仕方ないと、獄寺はベッドに仰向けになる。
目を閉じると、胸の奥の黒い獣が笑っていた。
「また、笑ってやがる」
ポソリと呟き、目を閉じる。
真っ暗な闇の中に落ちていくような感覚がして、シーツをぎゅっと握りしめた。
そこで獄寺の記憶は、途切れている。
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