握りしめた手に力を込めて、綱吉は笑った。
「ボンゴレのボスとして、先日からの一件の説明を、今ここで君にしてもらいたいと思っているんだ」 強い調子でそう言われ、獄寺は口の中の唾を飲みこんだ。
まさかそうくるとは思っていなかった。そんなふうに綱吉が無理強いをしてくるとは、予想だにしていなかった。
それに、この表情。強い意志を秘めた眼差しに、獄寺はドキドキした。こんなふうに真っ直ぐに見つめられると、心が乱れる。こんな状況でなければよかったのにと、獄寺は歯痒い思いを感じている。
押さえ込もうとしている自分の気持ちが揺らいでしまいそうで、恐くもあった。
「あ…──」
躊躇っていると、綱吉は促すように繋いだ獄寺の手をぎゅっと握りしめてくる。
どうあってもこの人は、獄寺自身の口から説明を聞きたいらしい。
弁解ではなく、説明だ。
窓際のカーテンが引きちぎられ、焼け焦げたまま放り出されていることも、獄寺の着ていたパジャマの上衣がゴミ箱に捨ててあることも、何もかもすべてを説明させようとしている。獄寺自身の言葉を綱吉は、求めている。
決まり悪そうに獄寺は鼻を啜った。
「どこから話したらいいのか……」
正直にそう告げるしかなかった。
順を追ってうまく話をすることができるかどうか、獄寺にもわからない。しかし、ここいらで腹を括って話してしまわなければならないのもまた事実だ。いつまでも放っておいていいような問題でもないだろう。
言わなければ。
本当のことを包み隠さず話してしまったほうがいいに決まっている。
綱吉のためにも、自身のためにも、そしてファミリーのためにも、こういうことは洗いざらいきれいに話してしまったほうがいいだろう。
半ば自棄になったような感じで獄寺は、口を開いた。
握りしめてくる綱吉の手はあたたかく、そのあたたかさのおかげで獄寺は幾分か安心することができた。
「俺の……胸の中には、どす黒い感情が存在しているんです」
ポツリと獄寺は言った。
黒い獣は今も、獄寺の胸の中に潜んでいる。
「そいつはいつも、俺の隙をついて表へ出てこようとしているんです。暴れたくて暴れたくて、仕方がないんだと思います」
胸の中で、黒い獣は笑っている。その声が聞こえてくるような気がして獄寺は、ぎゅっと目を閉じた。聞こえなければいいのに。この嘲笑に耳を閉ざすことができればいいのにと、獄寺は思わずにはいられない。黒い獣はいつの時にも獄寺を、取り込んで食らい尽くしてしまおうと待ち構えている。
「そのどす黒い感情は、いつ頃からか、俺の目の前に現れるようになりました。黒い馬のような鹿のような、蹄を持った獣の姿をしたそいつは……多分、先日からの火事に関係しているのではないかと思います」
多分ではない。獄寺は心の中で訂正した。実際、あの黒い獣のせいで何度も火事は発生している。原因は、獄寺が自分の気持ちをコントロールできなくなってしまったことにあるのではないだろうか。
「──…表へ出て、どうしようとしているんだろう?」
綱吉が尋ねるのに、獄寺は首を傾げた。
「は?」
「だって、表へ出て、暴れたいんだろ? それからどうしたいんだろうね、君と、君の中のその黒い獣は」
あまりにも穏やかな声だったから、獄寺は一瞬、言葉を失ってしまった。
叱られるのではないかと思っていた。何故もっと早くに本当のことを言わなかったのだと、怒られるとばかり思っていた。しかし綱吉は、怒るようなことはしなかった。
「どうしたらその黒い獣は、おとなしくなるんだろうね」
考え考え、綱吉が呟く。
獄寺にはわからなかった。どうしたら黒い獣がおとなしくなるのか、そもそもそんな方法があるのかどうかすら疑わしい。
黒い獣は常に獄寺の心の弱さや醜さを嘲笑っていた。獄寺が窮地に追い込まれる姿を見ては喜んでいた。それをやめさせるなど、至難の技としか思えない。
「そう……です、ね。どうしたらいいんでしょうか」
ポロリと零れた言葉は、弱音でしかなかった。
ここしばらくの獄寺は、黒い獣に翻弄され、精神的に追いつめられてしまっていた。
縋り付くようにして綱吉の手を握り返すと、鼻の奥がツンとしてくる。唇が震えているのが感じられた。獄寺は慌てて目を伏せた。
綱吉は黙っていた。
握り返す手の力は強すぎず、しかし獄寺の手をしっかりと握りしめている。あたたかだった。
「獄寺君……」
どうしたらいいんだろうと、綱吉は呟いた。
どうしたらいいのかはわからないが、綱吉は獄寺のため力になろうとしている。大丈夫だと言ってくれるわけではなかったが、彼は獄寺と一緒にどうすればいいのかを模索しようとしてくれている。そんな綱吉の姿勢に何故だか獄寺は、安心することができた。
目の前のこの人は、本物の沢田綱吉だ──そう信じることができた。
それにしても、いったいどうしたらこの状況から抜け出すことができるのだろうか。
獄寺は小さな溜め息をついた。
握りしめた手のあたたかさだけが、今の獄寺には頼りだ。支えであり、目に見えない部分でも獄寺を守ってくれているような感じがする。
言葉もなくじっと俯いていると、隣に座る綱吉の身じろぐ気配が感じられた。腰をずらして座り直すと彼は、獄寺の肩をそっと抱き締める。
「考えよう……どうしたらいいのか、どうしなきゃならないのか、一緒に考えよう」
躊躇いがちな声だったが、獄寺にはそう言ってもらえたことが嬉しかった。
弾かれたように顔をあげると、その瞬間、獄寺のこめかみにあたたかなものがやんわりと押し付けられる。
「あ……」
唇だと、すぐにわかった。
体を硬直させた獄寺はじっとしている。その一方で、息をするのも苦しいぐらいに心臓がドキドキといっている。頬が熱いのは、おそらく顔が真っ赤になっているからだろう。
繋いでいた手を離すと、綱吉はするりと獄寺の体を抱きしめた。
「一緒に考えよう、獄寺君」
耳元に囁きかける綱吉の声は甘く、そして優しい。
抱きしめてくる綱吉の腕にしがみつき、獄寺は唇をきつく噛んだ。
黒い獣のことを、綱吉は正しく理解してくれるだろうか。一緒に考えようと言ってくれたものの、その真実を知れば、もしかしたら綱吉は手のひらを返したように獄寺に対して冷たくなるかもしれない。何故なら綱吉は、獄寺の胸の奥底の気持ちなど微塵も知らないのだから。
ジャケットの袖に皺が残るほど強くしがみつき、獄寺は掠れた声で呟いた。
「──き、…で、す……」
もしかたら獄寺の声があまりにも小さすぎて、綱吉には聞こえなかったかもしれない。しかしそれでも獄寺は呟いた。聞こえなくても構わなかった。ただ自分の気持ちを口にしたかっただけだ。喉がカラカラに渇いていたが、声は出た。
ボソボソとした獄寺の呟きが聞こえたのだろうか、それとも綱吉の超直感のおかげだろうか、抱きしめる腕にさらに力がこもった。
獄寺の耳元に寄せた唇が、静かに囁き返す。
「──俺もだよ、獄寺君」
吐息が耳にかかり、獄寺の体温がカッと上昇した。
「あ、の……今……」
もぞもぞと体を揺らして何か言いかけた獄寺の顔を、綱吉は覗き込んでくる。鼻先が触れ合いそうな近さに、獄寺はドギマギした。
目を丸くしている綱吉の表情は、どことなく幼く見える。獄寺のあの掠れた呟きを耳にして、綱吉も驚いたのだろう。
それ以上に驚いているのは獄寺のほうだった。今しがたの言葉が空耳だったのではないかと疑いながらも獄寺は、恐る恐る綱吉の目を見つめ返す。
薄茶色の瞳がやわらかく笑っていた。人当たりのよい、獄寺の好きなやさしい笑みだ。
「いつ言ってくれるのかと思ってたから、驚いた」
少し照れたように綱吉が笑うと、それまで張りつめていた獄寺の周囲の空気がわずかに和らいだような気がした。
「あの……」
パクパクと口を開けたり閉じたりしている獄寺の頬を両手で優しく包み込むと、綱吉は互いの額を合わせた。コツンとあたった額の感触に、これが夢ではないことを獄寺は知った。
「昔っからずっと俺のこと見ててくれていたの、ちゃんと気付いてたよ? あの頃から意地っ張りで気の強い獄寺君のことが好きだったけど、弱気になってる獄寺君は隙が多すぎて見ていられなかった」
そう言うと綱吉は、苦笑した。
「だから一緒に、どうしたらいいのか考えよう」
気持ちが緩んでいたのだろうと獄寺は思う。
つい、弱音を吐いてしまった。
綱吉に好きだと告げる気はなかった。言ってしまえばその気持ちが綱吉にとっては重荷となるだろうことがわかっていたから、獄寺はこれまで自分の気持ちを胸の内に押さえ込み、隠してきた。それが、不用意なあの一言で胸の内が明らかになってしまった。嫌だとは言われなかった。獄寺の気持ちを否定するようなことを綱吉はしなかった。むしろ、獄寺からの言葉を待っていたような言い方をされた。
自分は夢を見ているのだろうかと思わずにいられない。
期待してもいいのだろうか?
綱吉の気持ちも、自分が彼に対して抱いているものと同じようなものだと思ってもいいのだろうか?
信じて、いいのだろうか?
頬を包み込む手に、自分の手を重ねた。
綱吉の顔が近づき、恥ずかしくなって獄寺は目を閉じた。と、同時に綱吉の唇が、獄寺の唇をさっと掠めていく。
執務室でのキスとは違う、あっさりとしたキスだ。
もっと触れて欲しいと獄寺は思う。唇に、もっとキスを。舌を絡めて唾液を啜るような濃厚なやつが、欲しい。
「……十代目」
目を閉じたまま綱吉を呼ぶと、すぐにキスが降りてきた。
チュ、チュ、と音を立てて、柔らかな感触が唇を掠めていくが、獄寺にはそれがひどく物足りないように思われた。
「十代目、もっと……もっと、してください」
獄寺がねだると、綱吉は鼻の頭を触れ合わせてきた。口づける角度を変えて、深く唇を合わせた。
「んっ……」
声をあげると、自分のものではないように感じられた。
恥ずかしくなって綱吉の腕にしがみつくと、頬を包んでいた手がパジャマのボタンにかかった。
「今、着せたばかりなのに」
自嘲するかのように小さく笑うと綱吉は、獄寺のパジャマのボタンをはずし始めた。
獄寺の心臓は、バクバクと大きく鳴り響いている。
恥ずかしくてうつむいた拍子に、バスタオルを巻いただけの自分の下半身が目に飛び込んできて、獄寺はぎょっとした。自分はなんとみっともない格好をしていたのだろう。恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
慌てて綱吉から逃れようとすると、反対に体を引き寄せられてしまった。
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