夜明けの月1



  ふらりと立ち寄った港で、見覚えのある横顔を見かけた。
  どうしてあの顔を忘れることができるだろう。
  胸ポケットのアッシュトレーを取り出すと、口にくわえていた煙草を押し込む。
  一緒にいたウソップに買い出しの荷物を持たせて後を任せると、サンジは比較的のんびりとした足取りでその男の後をつけていく。近すぎず、遠すぎず、相手を見失うことのない距離を取ったまま、何気ないふりを装って歩いていく。
  どこへ行くのだろう。
  そもそも何故、この島にあの男がいるのだろう。
  ざわざわと騒がしい港町の通りをずっと外れたところで、前を歩く男は不意に立ち止まった。それからゆっくりと、勿体ぶった仕草でサンジのほうを振り返る。
  こちらを向く、そばかす顔の男。焦げ茶色の意志の強そうな眼差し。
  ──やっぱりエースだ…。
  目だけでニヤリと笑って、男は、足早に通りの向こう側へと姿を消した。
  サンジは慌てて男の後を追って、走り出していた。
  潮のかおりと照りつける日差しにうんざりしながらも、サンジは男の背中を追って通りを駆けていく。どこをどう歩いたのか、どの角を何回曲がったのかすら忘れてしまいそうなほど複雑な道順に、サンジの口は自然とへの字になっていく。
  角を曲がったところで、酒場のドアを潜る男の帽子がちらりと見えた。
「あそこか……」
  呟いて、迷うことなくサンジも店のドアを潜った。



  ドアを開けて飛び込んだ店の中は、穏やかな雰囲気の酒場だった。
  常連客らしき老人たちが数人、正面のカウンター席でボソボソと言葉を交わしながら思い思いの飲み物を飲んでいる。店主はでっぷりとした体格の温厚そうな老人で、愛想良くそんな常連客の相手をしている。
  店内をぐるりと見回すと、隅のテーブルについて勢いよくビールを煽り飲んでいる男がいた。エースだ。
  入り口に立つサンジに気付いたのか、マグをテーブルに置くと、エースは口元に笑みを浮かべた。
  ひらひらと片手を振って、明らかにサンジを呼んでいる。
  躊躇うことなくサンジは、奥の席へと近付いていった。
  初めて出会った時から、気になっていた。
  ルフィの兄だからだろうか、どこか普通とは違う空気をエースは持っていた。
  穏やかで優しげな笑みの下に、いったいどんな表情を隠しているのだろうか。彼の本当の顔を見てみたいと、そんなふうにサンジはあの時、思ってしまったのだ。
「……ルフィんとこの、コックさん」
  下から見上げてくるエースの顔は、優しい笑みをたたえている。
「おう。アンタ、なんでこんなところにいるんだ?」
  サンジが尋ねかけると、エースは少し考えるように首を傾げた。その動きにつられて裸の肩の筋肉が動いて、色っぽい。
「多分……」
「多分?」
「多分、コックさんに会いたかったから……かな」
  真っ直ぐにエースは、サンジを見上げる。澄んだ瞳の向こうには、仄暗い翳りが居座っている。その翳りの正体を知りたくて、サンジは、エースの向かいの椅子に腰を下ろした。



  向かいの席の男は、次々と目の前に並べられる料理を一生懸命平らげていく。
  筋肉質ではあるが決して贅肉質なわけではないこの体のどこに、これだけの量が入っていくのだろうかと不思議になるほどの食べっぷりに、サンジは知らず知らずのうちに破顔していた。
「なあ。俺に会いたい、って、なんで?」
  頬杖をついてサンジは尋ねる。
  頼んだコーヒーは控えめに一杯だけ。煙草を燻らしながら、サンジはのんびりと目の前のエースを眺めている。
「なんでだろうな」
  食べるのを中断して、エースはサンジを見つめ返す。
  口元に飛んだ食べかすが妙に可愛らしく思えて、サンジはつ、と指を伸ばした。エースの唇に近いあたりについたパンくずを指の腹で掬い取ると、自分の口に指ごとパクリと入れる。
「先に食っちまえよ」
  そう言うと、驚いたような表情をしていたエースが子どものように嬉しそうに頷いた。邪気も翳りもない表情に、サンジの胸がトクン、とひとつ、大きな音を立てて打つ。
  ああ、自分はこの顔が見たかったのかもしれないと、サンジは密かに思った。



  エースが目の前の料理を平らげてしまうまでに時間はそうかからなかった。
  店の支払いを済ませて二人で表に出ると、サンジは急にこうして二人でいる時間を引き延ばしたいと思い始めた。
  もう少しだけ、二人でいたい。誰にも、何にも邪魔されず、さっき店の中で感じたあの穏やかな時間を、もう少しだけ持ちたい。
  二人きりで。
  エースとは道を分かつ者同士、次にいつ会うことができるのかもわからない。あの表情をもう一度見ることができるのなら……。
  自然とサンジの足の歩みがのろくなる。
  とろとろとした足取りで歩きながら、サンジはちらりと前を行くエースの肩を見つめた。
  手を伸ばせば、易々と届く距離だ。
  息を潜めるとサンジは指先で、エースの肘に軽く触れた。
「なに?」
  エースが立ち止まる。振り返り、小首を傾げてサンジを見る。
「……アンタのことが、知りたい」
  言った端から、知ってどうすると心の中のもう一人の自分が問いかけている。自分たちは、次に会う時には敵同士なのだぞと、サンジの中の理性が警告を発している。
  サンジは下唇を噛み締めてエースを見上げた。
「──うん」
  ゆっくりと、エースが頷く。
  穏やかな瞳の奥の翳りが、サンジの目をまっすぐに見つめていた。





To be continued
(H19.11.11)



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