夜明けの月2



  人通りの多い大通りを何本か抜けて、裏道に入った。
  寂れた連れ込み宿のような建物のドアを二人で潜ると、店番の男に怪訝そうな顔をされた。
  ヤニと人いきれと酒の臭いの中に、安物の香水のにおいがまじっている受付で、男は新聞を手に、来る日も来る日も金勘定に精を出しているらしい。
  男同士で悪いかと、口をついて出そうになる言葉を喉の奥に飲み込んで、サンジはエースの腕を掴んだ。
  前金でいくらか支払うのと交換に、男が黙って差し出した鍵をエースの手が受け取った。
「何時間?」
  愛想良くエースが尋ねる。
  無口な男は人差し指を立てると、二人を追い立てるかのように二階へと続く階段のほうを向いて顎をしゃくりあげた。
「高けぇ……」
  ブツブツと呟きながらもエースはポケットから無造作にお札を何枚か取り出し、カウンターにダン、と叩きつける。
「これで……な?」
  いったい今、エースはどんな表情をしているのだろうか。
  男はエースの手の中でくしゃくしゃになっている何枚かのお札と、エースの顔とを交互に見比べ、大きく溜息を吐いた。
「……明日の朝には出ていってもらうぞ」
  頑とした男の声に、エースは満面の笑みを返した。
「そんだけありゃ、充分だ」



  二階に上がると、手の中のキーと同じ番号札の掲げられた部屋を探した。
  五つしかない部屋だ。すぐに自分たちの部屋に行き当たった。
「こんなことして大丈夫か?」
  部屋に入ろうとすると、エースが真面目そうな顔をして尋ねかけてきた。
「敵になる俺と、こんなところに来ちゃって、いいの?」
「……まあ、よくはねえ、な」
  あまりにも真剣な表情をしてエースが尋ねてくるものだから、言葉を返すサンジの声は微かに掠れていた。
  分かっている。頭では理解しているのだ、サンジも。だが、エースのことが気になって、頭から離れない。
  出会った時は、別に何とも思っていなかった。
  さっき再会した時にも、特別な気持ちを感じることもなく、ただ、普通に旧知の友人と再会したような気持ちになっただけだ。それだけ。それだけなのに、急速的にエースへと気持ちが傾いていくのは、何故だろう。
  どうしたらこの気持ちを抑えることができるのだろうかと、サンジは軽く頭を横に振った。
「これは……俺が、自分の意思でやってることだ。ルフィのやつには文句は言わせねえ。もちろん、ルフィ以外の他の誰にも」
  知りたいと、そう思ったのは自分の意思だ。サンジ自身が、エースのこの真っ直ぐな瞳の奥の翳りを確かめてみたいと思ったのだ。確かめるまでは、何があってもエースと一緒にいるのだと、そんなふうにさっき、思ってしまったのだ。
  挑むような眼差しでサンジは、エースを睨み付けた。
  後ろ手にドアを閉めると、鍵をかける。
  カチャリと音がして、部屋の中は二人だけの空間になった。
  二人。エースと、サンジと。他には誰もいない、二人きりの空間だ。
  ふと見ると、エースが笑っていた。
「来いよ」
  手を、差し伸べられた。



  ほとんど初対面にも近い相手の手に、自分の手を重ねた。
  力強く胸の中に引き寄せられ、サンジの足がもつれる。
  トン、とエースの胸にもたれると、夏の海のにおいがした。
  まだ十七歳のルフィと違って、エースの体は筋肉質だ。体ができあがっているというのだろうか。ルフィと三歳しか違わないのにと、サンジは思う。十九の自分とは一つしかかわらない。なのにこの体格。剣士としてのゾロの体ともまた異なり、エースの体は成熟した体つきを思わせる。一年だけの差だが、ルフィやゾロの未成熟な小便臭さを感じさせることもない。大人の、男だ。サンジは、エースのにおいをかいだ。
「どうするのか知ってる?」
  耳元で尋ねられ、サンジは小さく頷いた。
  十九にもなって知らないはずがない。たとえそういった経験がないにしても、知識としては、持っている。バラティエのコック仲間たちが、そういう話を寝る前によくしていたから。
  だからサンジも、まったく知らないというわけではないのだ。
  しかしただ知識として知っているのと、実際に経験したことがあるのとでは大きな隔たりがある。エースにしがみついたままサンジがじっとしていると、ふわりと、髪に唇が降りてくる。その吐息のくすぐったさに首を竦めると、今度は項のあたりをペロリと舐められた。
  ざらりとした舌の感触に、首から背中にかけてのラインがぞくりとなる。
  首筋にエースの鼻先が埋められると、くすぐったさにサンジは身を捩った。



  丁寧な手つきで上着を脱がされた。
  エースの手は優しくて、ほんのりあたたかかった。
  シャツの裾をそっとひっぱりだすと、ベルトを外す。そうしながらもエースは、サンジの髪や額や頬に、キスをした。
「ん……」
  甘えるようにエースの背中に手を回したサンジは、掌の下の筋肉の硬さにほぅ、と溜息を吐く。
「寒くない?」
  頬を掠めたエースの唇が、そんなふうに尋ねかけた。
「……少し」
  震えているのは、寒いからではない。エースの肌のぬくもりのおかげで、寒さはほとんど感じない。それよりも別のところに原因はある。
  サンジはエースの筋肉質な肌に手を這わせた。脇腹をなぞりあげると、くぐもった笑いをエースは洩らした。
「くすぐったい」
  顔を上げると、思っていたよりも至近距離にあっけらかんとしたエースの太陽のような笑みがあった。サンジはドギマギした。頬が熱い。きっと、顔が赤らんでいるはずだ。
  照れ隠しにサンジは、自分からエースにキスをした。
  こうしていれば、顔を見られることはないだろう。
  キスをしながらサンジは考えた。頬が赤いのも、心臓がドキドキいっているのも、すべてエースの仕業だ。震えているのだって、エースのせいなのだ。これからすることが恐くないと言えば嘘になるが、みっともない姿だけは見せたくない。
  あの、エースの瞳の奥の翳りを理解するまでは、絶対に引くものかと、サンジは自ら進んでエースの唇に噛みつくようなキスをしたのだった。





To be continued
(H19.11.12)



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