夜明けの月4



  引っかかれたエースの腕は、ほんのりと赤くなっていた。そこいらの女のような長く鋭い爪とは違い、サンジの爪は短い。少しぐらい引っかかれたぐらいでは、ダメージを受けることもない。
  サンジの乱れた息が整うのを待つのは苦にはならなかった。
  白くほっそりとしたサンジの肩に顎を乗せ、エースは前を覗き込む。ちょうどエースの位置から、金色の繁みの中から勃ち上がったペニスが見える。同じ男でも、サンジの体格はまだ、未成熟だ。垣間見える青臭い色気は、十代最後の一途さの名残だろうか。
「エース……」
  掠れた声でサンジが名前を呼んだ。
  ゆったりと背中を預けるサンジの肌は汗ばんでいる。金髪の中に鼻を埋めると、ほんのりと汗と潮の香りがする。
  エースは掌でゆっくりとサンジの腹から胸の筋肉をなぞった。
「エース。中が、熱ちぃ……」
  そう告げてサンジは、首を巡らせる。
  長い睫毛が儚げに揺らぎ、サンジは青く潤みがちの瞳でエースを見上げた。
「そうか?」
  と、嬉しそうにエースが応える。
「俺と一緒に、もっと熱くなりたくない?」
  あっけらかんと尋ねたエースは、サンジの乳首をキュッ、と摘み上げた。
「んぁっ……」
  サンジが体を大きく捻ると、耳朶をやんわりと唇で挟まれた。
  繋がった部分から熱が注ぎ込まれるような感じがした。あやすように体を揺さぶられ、サンジの先端から透明な液がポタリポタリと零れ落ちていく。
「エース……顔、見せろ……」
  熱に浮かされるようにサンジが囁くと、くるりと体の向きを返された。



  向かい合ってキスをすると、エースに触れられている部分がカッと熱くなった。
  寒いわけでもないのに、サンジは微かに震えていた。おずおずと手を伸ばすとサンジは、エースの頬を両手で包み込む。
  エースの瞳の奥の翳りが、ちらちらと見え隠れしている。
  この翳りはいったい、何なのだろう。目の前のこの男は、いったい何を憂いている?
  尋ねようとして口を開けたものの、言葉が出てこなかった。
  仲間と一緒にいる時なら、こんなふうに相手の顔色を窺うようなことはなかった。連中の思考は単純で、わかりやすかった。バラティエの年上のコック仲間にしても、単純明快な思考の奴らばかりだった。
  だけど。エースは、違う。目の前のこの男は、そんなに単純な男ではない。
  たった一歳の違いを、とても大きく感じる。
  しばらくエースの瞳を覗き込んでいたサンジだったが、しばらくしてやっと彼の唇にキスをした。
  エースは何も、尋ねない。サンジのやりたいように、やらせてくれる。無理強いをすることもなく、かといってサンジをほったらかしにするというわけでもなく。
  サンジが心からホッとするのは、仲間と一緒の時に感じる緊張感を、エースといる時には意識する必要がないということだ。年上だからと気を回す必要がないのは、バラティエにいた時にも何となく感じていた。今も、そうだ。エースといると、サンジは自然体でいられる。思うように、自分の気持ちを素直に表に出すことができる。
  チュ、と音を立てて、エースの唇がサンジの下唇を吸い上げた。
「朝まで一緒にいてくれよ、サンジ」
  サンジの目を真っ直ぐに覗き込み、エースは告げた。



  褐色の瞳の奥に潜む仄暗い熾火は、サンジが体を揺らすたびにゆらゆらと揺れて見えた。
  あの熾火は、サンジをじっと見つめている。
  サンジはブルッと体を震わせた。
  体の奥深くに穿たれたものが、サンジを追い立てる。エースの首にしがみついたサンジは、ゆっくりと腰を動かした。
  すぐにエースの腕がサンジの腰を抱えてきた。力強い筋肉が、サンジの体を支えている。
「あっ……ぁ……」
  普段の自分からは考えられないような甘ったるい声が洩れると、それだけでサンジの頬が朱色に染まっていく。
  目を閉じてギュッ、とエースにしがみついたものの、すぐにサンジは上体を離し気味にした。
  腕の中にエースの頭を閉じこめると、サンジは勢いよく唇を合わせた。互いの歯がぶつかり合うほどだったが、サンジは構わずにエースの唇を貪った。舌を突き出すと、エースも舌をちろりと出してきた。戯れにエースが舌先だけをチロチロと合わせてくる。焦れたサンジが唇で、エースの舌をぱくりと捕らえた。
  繋がった部分が微かな振動を感じたのは、エースが喉の奥で笑ったからだ。
「なんで笑う?」
  尋ねると、また笑われた。
  エースの瞳の奥を覗き込むと、熾火が燃えていた。仄暗い炎の色をしたそれは、真っ直ぐにサンジへと向かっている。あの翳りの正体は欲望の炎だったのだ。今、はっきりそうとわかった。あれは、サンジを欲していたのだ。気付いた瞬間、サンジはエースにしっかと抱きついていた。
「なんだ? どうした?」
  尋ねられ、サンジはもう一度エースの瞳を覗き込む。
「……エッチな気分になってきた」
  笑って、サンジはそう告げた。



  朝まで二人きりで過ごした。
  これから会えないだろう長い長い時間が埋まってしまうように、ぴたりと寄り添い、相手の肌に触れていた。
  会えなくても大丈夫だと、エースはサンジの耳に囁いた。眠たげな声だった。
  何の根拠があってそんなことが言えるのだろうかと思ったが、サンジは黙って頷いた。そうすることで、エースの言葉が現実味を帯びることがわかっていたからだ。
  しばらくしてエースが寝入ってしまうと、サンジはベッドに寝そべったまま煙草を手にする。手慣れた様子で火をつけると、深い溜息を吐いた。
  離れがたいのはどこの世界の恋人でも同じだ。
  サンジだってそうだ。隣で微かな寝息を立てる男と別々の道を歩まなければならないことが、酷く苦しく感じられる。
  部屋にある小さな窓から外をちらりと見ると、白み始めた灰色の空に、月が見えた。夜明けの月だ。
  白い月は、淡く弱々しい光の集合体のようだ。
「今度は会いに来いよ、エース」
  眠り続けるエースに、サンジは低く呟いた。
  広い海のどこかを旅していれば、いつか会うこともあるだろう。だけど、それでは物足りない。会いに来いと、サンジは強く願った。胸の中が寂しさでいっぱいにならないうちに、会いに来い、と。
  ゆっくりと煙草を燻らすと、サンジは口元に笑みを浮かべた。
  それは、夜明けの月のように淡く弱々しい笑みだった。





END
(H19.11.17)



                          


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