His lips 2

  物資の補給とログポースのログを貯めるため、手近な港に寄港することになった。
  停泊期間は二日間だが、そのうちの一日をウソップはサンジの荷物持ちとして過ごすことが決まっていた。
  数ヶ月前のとある港でのことだ。
  その頃、ウソップもサンジもまだ、互いのことを歳の近い友人としてしか見ていなかった。
  仲のいい兄弟のような二人は気がつくとたいてい一緒にいた。ウソップはキッチンの隅にあるウソップ工房でなにやらブツブツと独り言めいたことを口にしながら工具を触り、サンジはというとキッチンの流しに立ってそんなウソップの独り言に耳を傾けながら料理をする。他の誰にも邪魔されることのない穏やかな時間はだけど短くて。二人とも、それぞれの胸の中ではもう少しこの時間が続けばいいのにと何度願ったことだろうか。
  それでも、二人は幸せに思っていた。
  同じ空間を共有できること、同じ時間を共有できること、同じ窯の飯を食うことができることを、二人は幸せに思っていた。
  それだけで充分だったのだ、彼らには。
  それ以上の関係に進むことが果たして必要だったのかどうかは、誰にもわからない。
  おそらく彼ら自身にも、今のこの関係が正しいことなのかどうなのかわからないはずだ。
  このままでいいのかどうか、おそらくはそれすらも。



  港に降り立った瞬間からウソップは懐かしい香りに気付いていた。
  スイカズラの夢見るような甘い香りに、ウソップの胸の奥が懐かしさでいっぱいになる。
  この島は懐かしい故郷の香りがしていた。甘い香りは亡き母の面影にも似ている。故郷を後にするまでウソップはカヤに対して秘めた想いを抱いていた。しかし彼女はあまりにも母に似ていた。儚げな所も、どこか一本芯の通ったところも、何もかもが似すぎていた。守らなければという思いでいっぱいになって、ウソップを苦しめることが間々あった。
  チクリと痛む胸の底の想いを封じ込めるかのように、ウソップは目の前の仲間たちとの生活を大切にしていた。
  仲間たちは強かった。肉体的にも、精神的にも。皆、それぞれ何かしら心に抱えたものはあったが、何もかも全てをひっくるめたありのままの自分自身を持っていた。迷いのない健全な心は、ウソップにとっては何とも居心地のいいものだった。
  メリー号で海に出るようになって初めてウソップは、自分自身をさらけだすことができるようになったのだ。
  桟橋から眺めるメリー号は決して大きくはなかったが、ちょっと小洒落た外観の船だ。サンジの後ろをついて歩きながらウソップは、ちらりとメリー号を振り返る。太陽の光がちょうどメリーの頭に重なって、白くて眩しい光に船全体が包まれているかのようだ。
「おい、何やってんだ?」
  煙草をくわえたまま、サンジが低く言う。
「もたもたしてっと置いてくぞ」
  その声でウソップは我に返り、サンジのほうに向き直ると勢いよく駆けていく。
  甘い甘い、スイカズラの香りが潮の香りに混じってウソップの顔に吹きつけてきた。
  全力疾走で石畳を駆けながら、ウソップは叫んだ。
「待ってくれよ、サンジ!」



  買い出しは思っていたよりも早くに終わった。
  他の船に配達するついでだからといって、店主がサンジたちの買い物の荷をメリー号まで届けてくれることになったのだ。
  港までの道の途中、のどかな田園風景のひろがるあぜ道が続いていた。人通りは少なく、たまに行き交うのは年老いた農夫や 家畜ばかり。人目がないのをいいことに、サンジはウソップの手を遠慮がちに握りしめてきた。
「たまにはいいよな、こういうのも」
  のんびりとサンジは言う。
「……そっ……そう、だな……」
  返しながらウソップは、どこからかスイカズラの甘い香りが漂ってきていることに気付いていた。
  サンジの肌のにおいに似ているなと、こっそりとウソップは思う。
  優しくて、甘くて、いい香りだ。
  つないだ手に力を入れてウソップは、ぎゅっ、とサンジの手を握り返した。
  心なしかサンジの顔が赤いような気がする。白い首筋までほんのりと緋色に色づいている。触れたら、やっぱり甘いにおいがするのだろうか。
  手を引かれて歩くウソップは、そっとサンジの項に指を滑らせた。ビクン、とサンジの身体が大きく揺れ、硬直したように不意に立ち止まる。
「甘いにおいがする」
  掠れた声でウソップが呟いた。
「ああ……そりゃ、下船前にマフィンを焼いていたからじゃねぇのか? バニラエッセンスのかおりだろう?」
  何でもないことのように装ってサンジは返すが、その声はいつもの自信に満ちあふれた彼の声らしくなく、微かに震えている。
「食いたいな」
  と、ウソップ。
「そのマフィン、まだ残っているのか?」
  尋ねられてサンジは、こくりと素直に頷いた。
「ああ。買い出しの後で……お前と一緒に、食おうと思って用意したからな」
  スイカズラの香りが鼻につん、とくる。甘ったるいにおいは嫌いじゃないと、ウソップは心の中でぼんやりと思った。



  木陰に隠れてキスをした。
  どうしてそんなことになったのか、ウソップはよく覚えていない。
  気がついたら、サンジに手を引っ張られていた。人っ子一人通っていないというのにどこか人目を気にするように大木の影に二人して逃げ込むと、サンジのほうからキスをしかけてきた。
  木の幹に押しつけられたウソップの身体は行き場を失っていた。
  スイカズラの香りはますます強く、二人を包み込んでいるかのようだ。
「……甘い……──」
  キスの合間にウソップは呟く。
  うっすらと目を開けると、サンジの顔が目の前にあった。すらりと整った鼻筋、形の良い唇。眉間に皺を寄せて、普段のサンジからは想像できないほど真剣な顔つきでウソップにキスを繰り返す。
  舌が、ウソップの口の中に侵入してきた。
  やっぱり、スイカズラの香りがしていた。
「甘い……」
  もういちどウソップは、呟いた。



To be continued
(H16.11.14)



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