His lips 3

  甘い唇をさんざん味わった。
  必死になって唇を合わせてくるサンジが愛しくて、ウソップはじっとその場に立ち尽くしていた。
  こんなにも満たされた気分でいられるのは、手の届くところにサンジがいるからだ。メリー号の上で皆と一緒に過ごすサンジは、ウソップ一人だけのものではない。もちろん、サンジは誰の所有物でもない。ましてや男同士で、同じ船に乗る仲間だ。こんなことをしていいはずがない。
  深く息を吸い込んでウソップは、おずおずとサンジの耳の下に鼻を突っ込んだ。サンジの金髪と甘いスイカズラの香りが混ざり合わさって、つん、と鼻をくすぐる。
「ああ……」
  サンジが躊躇いがちに、小さく声を洩らした。
  掠れた声は優しくて、スイカズラの香りのようにどこかしら甘い音がしている。
「お前とは、こういうことをするつもりはなかったのに……」
  少し拗ねたように、サンジが呟く。
  どういう意味だと尋ね返したかったが、ウソップが言葉を口にする前に、サンジの唇がまた、ウソップの唇に降りてきた。
  ちゅ、と湿った音がした。
  もちろんウソップは、このキスが初めてのキスだった。サンジのほうはとっくに経験済みだったが、男同士でキスをするのはやはり初めてのことで、お互いに戸惑うことばかりだった。
「──サン…ジ……」
  弱々しくウソップが呟くと、サンジはほんのりと目の下を赤らめてウソップの下唇を甘噛みした。
「なんでだろうな」
  伏し目がちにサンジは、言った。
「なんで……お前と一緒にいると、こう、妙な気持ちになっちまうんだろうな」
  ウソップは小さく頷いた。
「俺も、そうなんだ」



  自分たち以外に人っ子一人いないあぜ道を、二人はゆっくりと歩いていく。
  はじめは友達として、仲がいいのだと思っていた。しかしそうではなかったのだ。どちらも、相手に性的な意味合いでの感情を抱いていたようだ。もしかしたらこれは単に、仲間同士、友人同士の延長なのかもしれない。言葉や態度に現したことはなかったはずだが、二人とも、そんな曖昧な空気を感じていた。相手の髪や肌に触れてみたい、唇のやわらかさを感じてみたいと、そう、心の奥底で密かに思っていたのはほんの少し前までのこと。たまたま、肩を並べて歩いていたら腕があたって、指先が重なった。そこから先はもう、歯止めが利かなくなってしまっていた。
  そうして。
  先に手をつないだのがサンジなら、キスをやめたのもサンジだった。
  これ以上キスをしていたらその先を求めてしまうからと、サンジは唐突にウソップから身を離した。未練の残る艶めいた眼差しでサンジはウソップをじっと見つめ、それから不意にスタスタと一人で歩きだした。
  それが酷く切なくて、寂しくて、ウソップはふてくされたような顔つきでサンジの後をついていく。
  しかしゆっくりと、一分でも一秒でも長く二人だけでいることができるように、時間をかけて歩いていく。
  どこからともなく漂ってくるスイカズラの香りが、ウソップの胸の奥をきゅうっ、と締め付けた。



  唇に、昼間のキスの余韻が残っている。
  キッチンの片づけが終わったサンジは椅子に腰を下ろすとぼんやりと自分の唇に触れてみた。
  少しかさついた薄い自分の唇とは違い、ウソップの唇は厚ぼったくてやわらかだった。確かめるようにそっとサンジが舌を入れると、おずおずとだがウソップは応えてくれた。ざらついた舌がサンジの舌を吸い、唾液を吸い……考えただけで身体がカッと熱くなってきそうだ。
  本当は、もっと触れて欲しかった。手や、首や、顎。シャツの裾から手を入れて直接、肌に触れて欲しかったのだ。
  だけどできなかった。
  人の目が気になって、キスだけでウソップから離れてしまった。
  メリー号に戻ってきたはいいが、今は女部屋にロビンとナミが、男部屋にはチョッパーたちがいる。滅多なことはできないぞ、とサンジは自分自身に言い聞かせると、親指の爪をカリ、と噛んだ。
  もっとキスしたかった、ウソップと。
  時間をかけてゆっくりと互いの唇を味わい、歯列を舐め合い、唾液を飲み込んでひとつになりたかった。もしウソップがそういう行為は嫌だというのなら、キスだけでもいい。手を握ってもらうだけでもいい。それだけでサンジの体温は跳ね上がり、心臓がドクンドクンと鼓動を響き渡らせる。
  好きな相手を前にして、何の反応も示さないわけがないだろう。
  あかり取りの窓から表の暗闇をじっと眺めながら、サンジはぼんやりと爪を噛み続けた。



  カタン、と音がした。
  振り返るとナミが中に入ってくるところだった。
「なんだか目が冴えちゃって……」
  苦笑いしながらナミが言う。
「オレンジジュース、もらえる?」
「はい、ただいま」
  サンジは素早く立ち上がると、冷蔵庫からオレンジをとりだした。ジューサーにかける。甘いリキュールを一滴、二滴垂らすとナミの前にそっと出した。
「どうぞ、ナミさん」
  ありがとう、とナミは小さく口の中で呟く。
  ストローでカラカラと氷を掻き混ぜてからナミは一口、口をつけた。爽やかな蜜柑の味に、自然と笑みが浮かんでくる。
「……昼間、なんだけどね」
  しばらくしてナミが口を開いた。何から話そうかと少し考えて、ナミは率直に告げることにした。
「サンジ君、ウソップとキス……してたのよね?」
  サンジの青い目をじっと凝視しながらナミは問いかけた。
  グラスの中で、氷がカラン、と涼しげな音を立てる。
  サンジは返すことが出来なかった。ナミに見られたこともショックだったが、それを確かめるかのように尋ねられたこともショックだった。
「ああああ……あの、あの、その……──」
  わたわたと言い訳をしようとするのだが、頭の中が真っ白になったサンジの口からは言葉らしい言葉が出てくることもなく。普段の、何でもそつなくこなそうとするサンジからは想像もつかないほどに取り乱した様があまりにも意外で、ナミはくっ、くっ、と肩を震わせて笑った。
「なにをそんなに慌てることがあるっていうの?」
  笑いながらもナミの瞳は真剣だった。
「好き、なのよね、ウソップのことが」
  コホン、と咳払いをひとつするとナミは、背筋をピンと伸ばしてサンジをじっと見つめた。サンジの顔は真っ赤だ。女の子たちにうつつを抜かして腑抜けている時とも違うサンジの様子に、ついつい笑みが零れてしまいそうになる、
「──笑ったりしてごめんなさい、サンジ君。ええと、誰かを好きになる、ってことはとても素敵なことだと思うわ。だから……だから、恥ずかしがらないで。そして、幸せになって」
  にこりと頬笑んで、ナミは立ち上がった。サンジがじっとナミを見ていると、彼女は頬笑みながらサンジのほうへと近付いていく。
「ささやかながら、あたしも祈っててあげる」
  そう言うとナミは指先で自分の唇に触れ、その指をさっとサンジの唇に押しあてた。
「おやすみなさい」
  ──良い夢を。
  ドアが閉まる瞬間、サンジの耳にはそう聞こえた。



To be continued
(H17.2.12)



US ROOM                           3