ぎこちない関係が続くままに、日々は過ぎていく。
このままでは、二人の関係を修復することはできなくなってしまうかもしれない。
そんなことを思っているうちに、冬の海域が巡ってきた。
いくつかの航海を経て、仲間たちは強くなった。もちろん自分だって、少しは強くなったと思いたい。
互いに誰かを支えることができるぐらいには強くなったはずだと、ウソップは思う。
しかしサンジはもう、自分を見てはくれない。
自分とサンジの関係は、元の仲間同士に戻ってしまったのだろうか。
自分たちのつきあいは、あれで終わってしまったのだろうか。
何も始まらないままにキスだけで終わってしまうような、最初から冷えた関係だったのだろうか。
悪いのは、自分だろうか。
いつまでもサンジの気持ちを汲んでやることができず、拒否し続けた結果がこれなのだろうか。
自分に意気地がないばかりに、サンジには結局、辛い思いだけをさせてしまったのだろうか。
だとしたらサンジには悪いことをしてしまったと、ウソップは溜息をついた。よかれと思ってサンジを大切にしてきたことが、裏目に出てしまったのだ。
同じ男であっても、受け手に回るサンジのことを考えればこそのことだったのだが、サンジにはそれがたまらなく嫌だったのだろう。
自分のそういった独りよがりな思いが、もしかしたら知らないうちにサンジを傷付けていたのかもしれない。
見張り台の上から暗く深い海を見おろして、ウソップは息を吐き出した。
差し入れのコーヒーはとっくに冷えてしまっていた。飲む気にもなれず、かといって残すわけにもいかず、涙をこらえながらウソップはコーヒーを飲んだ。
夜の空気は冷たくて、ひとりぼっちになったウソップに容赦なく風は吹きつけてきた。
すっかり冷えてしまった毛布の中で、ウソップは見張りを続けている。
一人は寒くて、寂しかった。
サンジの温もりが恋しい。
つきあっていた頃には、見張り番の夜には必ずといっていいほどサンジはここへやってきて、二人で一枚の毛布を分け合った。毛布の下で手を繋いだり、互いの体に腕を回したりしたものだ。人目がなく、おおっぴらにイチャつくことのできる場所は、ウソップにはここぐらいしか思い当たらなかった。しかしそれだけでウソップは充分に幸せだったのだ。
肌寂しいのは、一人だからだ。
毛布の合わせ目をぎゅっと握りしめ、柱に背を預ける。
空気が澄んでいるからだろうか、月も星もはっきりと見える。明るくて、シンとした夜だ。
冷たくなった手を口元へと持っていき、ウソップは息を吐きかける。
甲板のほうから、ラウンジのドアの開閉する音が聞こえたような気がした。キッチンの片づけを終えたサンジが男部屋に戻るのだろうか。
毛布にくるまり、膝を抱えてじっとしていると、風の音と微かな波の音が聞こえてくる。
このまま自分たちの関係は終わってしまうのだろか。
本当に、終わってしまうのだろうか?
唇を噛み締め、握りしめた拳にぎゅっと爪を立て、ウソップは前を見る。
月と星のあかりが目に痛い。
孤独と不安とが入り交じった感情は、恐ろしくてたまらない。
手が震えているのは、寒いからだと言い聞かせた。
風は冷たく吹き付けてくるし、体も毛布もすっかり冷え切っている。だから自分は震えているのだ。だからこんなにも、寂しくて悲しい気持ちになってしまうのだ。そう言い聞かせて、真っ直ぐに前を見る。
ギシ、と、見張り台の下のロープが軋む音が聞こえてくる。
波が穏やかなのがありがたかった。
耳をそばだてると、微かな音が聞こえてくる。帆に吹きつけてくる風の音と、風に揺らめく海賊気のはためく音、そして何かがマストを上がってくる音──
震えているのは、これは武者震いだと、ウソップは自分に言い聞かせる。
怖いからではない。
決して、この得体の知れない物音に怯えているわけではないのだと、震える体を押さえつけ、見張り台の縁に寄っていく。
がっと縁に手をかけ、そろそろと身を乗り出して下を覗き込もうとしたところで、手が突き出された。
「うぎゃっ!」
声をあげると同時に見張り台の中に逃げ込んだものの、中央の柱に阻まれて、身動きできない状況に追いやられてしまった。
「う……」
震えて、声が出ない。
腹の底からじわじわと恐怖が競り上がってきて、口の中に広がっていく。
ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込もうとしたが歯の根が合わず、ガチガチと音を立てるばかりだ。ようやく唾を飲み込んだところで、突き出された手が、ゆっくりと見張り台の縁にかかった。
「あ……」
幽霊のような青白い手から、目を放すことができない。
「ひえ…ぇ、ぇ、ぇ……」
柱にしがみついてじっと手を見つめていると、月明かりに照らされた黄色い頭がひょっこりと見張り台の中を覗き込んできた。
「おい、ナニやってんだ?」
呆れたようなサンジの冷たい物言いに、しかしウソップはホッとした。
「ナニって……そんなの、見りゃわかるだろう」
「ああ、わかった。ビビってたんだろ」
サンジが即答するのに、ウソップはムッと眉をひそめた。
サンジのほうから声をかけたくれたおかげで、これ以上、気まずい思いをする必要はなくなった。
ここしばらく、ずっとサンジとは気まずいままだった。二人の関係はこれで終わりなのだと、ウソップは思いこんでいたほどだ。
頭を下げるわけでも、態度でなにか示すわけでもなかったが、サンジのほうからこうやってウソップに近づいてきてくれたことが、たまらなく嬉しかった。
「寒くないか?」
聞きながらサンジは、毛布の中に潜り込んでくる。
一枚の毛布を男二人が分け合うとなると、少しどころかかなり辛いものがある。体をピタリと密着させて寄り添えば、サンジが満足そうに喉を鳴らすのが聞こえてくる。まるで猫のようだとウソップは思った。
しばらく二人の間で毛布を取り合ったが、そのうちサンジが、ウソップの足の間に体を寄せてきた。ウソップが背後からサンジを抱きかかえるような姿勢で毛布をかぶると、なんとか二人の体が毛布の中に収まった。
気恥ずかしさを感じてウソップが押し黙っていると、調子に乗ったサンジが体を押しつけてくる。ほっそりとした体から煙草のにおいがしていたが、それに関してウソップは少しも不快には思わなかった。
ウソップが戸惑っていると、サンジの手がぎゅっと手を取った。ウソップの手を握りしめ、サンジの体の前へと回す。と、同時に、肩やら背中やらがウソップの体にぐいぐいと押しつけられた。
足の間にあるサンジの腰が、意図を持ってウソップに押しつけられる。
「おい……わざとやってるんだろ」
ムッとしてウソップが尋ねる。
サンジはだんまりを決め込んでいるのか、何も言おうとしない。
腰を強く股の間に押しつけながらサンジは、ウソップの手に唇を落とした。チュ、と音を立てて唇が何度もウソップの手を這う。
嫌ではない。サンジに触れられるのも、またサンジに触れるのも、嫌ではない。ウソップはそろそろと息を吐き出して、サンジの首筋に唇を押しつけた。
「なあ。ここでこーゆーことすんのは、ちょっと……」
ボソボソと口の中でウソップが呟くと、ごそごそとしていたサンジの動きがふと止まった。
「じゃあ、どこでならいいんだ?」
またしても、サンジにお預けを食らわしてしまった。
もうこれで何度目になるのだろうか。
さてこれからというところになると、どうしてもウソップの気持ちが後ろ向きに走り出す。
これではいけないということはわかってる。わかっているが、そう簡単に自分の考えを変えることができないのも事実だ。
結局サンジには、次の島に着いたら港町のどこかに部屋を取ろうと提案した。納得してもらえたかどうかはわからなかったが、ウソップの気持ちを汲んでくれたのか、サンジはそれ以上は何も言わなかったし求めなかった。
こんなことを繰り返していてはいけないということは、ウソップ自身、よくわかっていた。いつかサンジに愛想を尽かされ、自分は捨てられてしまうのではないだろうかと思わずにはいられない。それでも、自分の気持ちを押し通すしかなかった。
サンジのことが好きだから、なおさら自分の気持ちを貫くべきだとウソップは思っていた。
好きな相手だからこそ、大切にしなければならないと思った。
これだけは、決して譲ってはならないことだとウソップは思う。
最終的に嘘をつくことになっても構わないと、ウソップは思った。サンジを大切に思うからこそ、自分の思う通りにしたい。
お互いに、初めての──もしかしたら、サンジにとっては初めてではないかもしれないが──相手だ。大切にしたいし、相手に対して誠意を示したいと思うことは、いけないことではないはずだ。
足の間に座るサンジの白いうなじをじっと見つめながら、ウソップはこっそりと溜息をついた。
To be continued
(2009.11.29)