どのくらいの間だったかはわからないが、意識を失っていたことは確かだ。
のろのろと目を開けて、手に力を入れた。指は、動く。手首を動かそうとすると、固く冷たい金属に拘束されていることがわかった。どうやら頭の上で両腕を鎖に繋がれているらしい。
足は、片足だけが同じように鎖に繋がれていた。
頭を反らしてあたりの様子を窺えば、見知った場所だった。王の寝室だ。
どうして、と思うよりも早く、視界の隅で何かが動いた。
「目が覚めたみたいだな、ジャーファル」
いつもと変わらぬ口調で、シンドバッドが声をかけてくる。
そうだ、思い出した。王の寝室に寝酒を運んだところまでは覚えている。そこで当身を食らわさてしまったのは、油断をしていたからだ。まさかシンドバッドがそんなことをするだろうとは思いもしなかった。
今だってそうだ。
こんなふうに鎖に繋がれていることが、ジャーファルにはひどく腹立たしく思える。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのかと王を睨み付けると、柔らかな笑みで躱された。
「お前がいつまで経っても私のために身体を許してくれないようだから、無理にでも奪ってしまうことにしたんだ」
いつになく楽しそうなシンドバッドの様子に、ジャーファルはわずかに身じろいだ。
そうしながらも繋がれた両手と片足を動かして、鎖にどの程度の余裕があるのかを確かめた。着ていたものを勝手に脱がされなかっただけでもましだったと、ジャーファルは思う。
ジャラリ、と鎖が音を立てる。シンドバッドは楽しそうに、その音に耳を傾けている。
忌々しい。いくら気持ちを伝え合った特別な存在だとしても、これはさすがにジャーファルの許容範囲を越えている。
睨み付けても無駄だとばかりに、爽やかな笑みを返された。
おまけに相手は微妙な位置に立ち尽くしているものだから、自由なほうの足を使って蹴りつけることもできない。
苛立ちが込み上げてきそうになり、ジャーファルはぐっと拳を握りしめた。
「これからどうなさるおつもりですか」
油断なくシンドバッドの一挙一動を見つめていると、彼は寝台のすぐ傍に用意された架台とその上に並ぶ器具類に視線を向けた。
あの器具類をジャーファルは、知っている。昔、まだ暗殺集団の頭領として身を立てていた頃に、目にしたことがあった。いけすかない金持ち連中が、顔立ちのましな少年や少女を捕まえ、玩具にするのに使っていた。幸い自分は包帯にまみれた小汚ないなりをしていたから、そういったことからは易々と逃れることができたのだが。
「これで……」
と、シンドバッドは手元の器具を手に取り、ジャーファルにも見えるように、目の前へと持ってきてくれる。
「お前の腹の中をまずは綺麗にしてやる」
イチジクのような形をした器具の袋になった部分は、羊の革だろうか。先端は細く、袋の部分をシンドバッドが指でゆっくりと押し潰すと、中から透明な液体が溢れ出した。においのない液体なら、水だろうか。
「それから、そこに置いてあるやつで、お前の中をゆっくりと拓いていく」
そう告げたシンドバッドの視線の先には、洋ナシの形をした器具があった。昔、目にしたものよりもはるかに小ぶりの鉄製の器具は、小さな洋ナシの形をしていた。支えの部分を上へ引くと下のほうがふっくらと膨らむのだ。あれを使われると、少年だろうと少女だろうと、たいていは腹の中が裂ける。痛みと恐怖から彼らは血と糞尿にまみれてしばらくは動くことができなくなり、その間に主人たちは好き放題に彼らを犯したものだ。折檻の一種だと主人たちは言っていたが、それだけでなく大人に対する拷問具として使われていたこともジャーファルは知っている。酷いときには火であぶってからこの器具を使われることもあった。腹の中は裂け、焼け爛れ、治療することもできず、痛みに支配されたまま死んでいくしかない。彼らの死臭からは、恐怖と憎悪のにおいがしたものだ。
そんなものを、自分に使うとシンドバッドは言うのだ。
「本当に使う必要があるのですか」
いったいこの男は、何を考えているのだろう。
自分とシンドバッドは男同士ではあったが、互いの気持ちを伝え合った仲でもある。いわば恋人のような関係だと思っていたのだが、違ったのだろうか。
「これを使えばお前の固く貞淑な部分も少しは緩んでくれるはずだ。そうしたら、これまで以上にお互いに愉しむことができるようになると思わないか?」
何を、とは言わなかったが、ジャーファルにはシンドバッドの言いたいことが理解できた。
互いに気持ちが通じ合ってはいても、身体の関係は数えるほどしかない。そのどれもが最後まではしていないのだから、シンドバッドは殊更そのことを気にしているのだろう。
「そんなものを使ったところで、愉しめるようになるとは思えませんね、私には」
絶対に嫌だ。あんなものを体の中に入れて、内側から体の作りを強引に変えられてしまうだなんて、ゾッとする。ここはでき得る限り抵抗しなくては。
シンドバッドを睨み付けたものの、彼は楽しそうに笑い返すばかりだ。
逃げられないばかりか、手足の自由すら奪われ、ジャーファルは腹立たしくてならなかった。
イチジク型の器具を手にしたシンドバッドは、空いているほうの手でジャーファルの自由な側の足を掴んできた。
ぐい、と大きく足を開かされたかと思うと、素早い手つきで着ていたものをたくし上げられ、尻の奥にイチジク型の器具の先端を差し込まれた。
冷たい、ひんやりとした金属の感触に、ジャーファルはゾクリと背を震わせた。
すぐに腹の中にじわりと湿った感触が広がっていく。なまぬるい湯水がゆっくりと腹の中を満たしていく。
不快感よりも違和感のほうが大きく、しかし不思議なことに怖くはなかった。
「力は入れなくていいぞ」
シンドバッドの声も、いつもより優しい。
イチジク型の器具の中身が時間をかけてジャーファルの腹の中を満たしてしまうと、すっと金属の先端部分が引き抜かれていった。
それから優しい手つきで、着ていたものを少しずつ剥ぎ取られていく。手足を拘束されているからすべて脱ぎきることはできなかったが、これでジャーファルがどんな状態か、はっきりとシンドバッドの目に見えるようになった。
「ここは柔らかいな」
からかうように言ってシンドバッドは、ジャーファルの性器を指でなぞった。人差し指でまだ柔らかな竿の部分をそっとなぞられ、身体が震えそうになる。
「今のうちに腹の筋肉を揉み解しておこうか」
そう言うとシンドバッドは、ジャーファルの腹をそろりそろりとてのひら全体でなぞりはじめる。さするように、やんわりと触れるだけの手つきがくすぐったい。
「腹の中が綺麗になったら、今度はヤムライハ特製の軟膏を中に塗りこめてやろう。媚薬入りだから、お前も愉しめるはずだ、ジャーファル」
そうか、と不意にジャーファルは悟った。
少し前からシンドバッドとヤムライハの二人が何かこそこそしていたが、あれは気のせいなどではなかったのだ。この日のために二人してきっと、あれやこれやと計画を練っていたのだろう。
「謀りましたね」
本気で怒る気になれないのは、シンドバッドの人柄故だろうか。
小さく溜息をついてからジャーファルは、そっと全身の力を抜いた。
もう、どうとでもなればいい。自分はこの男のことが好きで、この男も自分のことが好きなのだ。表現の仕方はそれぞれ異なってはいるが、互いのことを想っている気持ちに違いはない。
好きにすればいいのだ。その結果、やはり男は嫌だとシンドバッドが言ったとしても、自分はきっとそれを素直に受け入れるだろう。ここまでして自分を抱きたいと言うのだから、きっとそれだけの覚悟があるはずだ。それだけの決心をしての、この行為なのだから。
「……いいですよ。あなたの気の済むようになさればいい」
諦めではない。同情でもない。この男のすることにただ純粋に興味が湧いただけだ。
これらの器具を使われた相手がどんな状態になるか知ってなお、この男は自分のことを好きだと、体が欲しいと口にしてくれるのかどうか、試してみたいとジャーファルは思ってしまった。
強欲な自分の心が怖い。いつからこんなにも傲慢になってしまったのだろう、自分は。
手の届かない相手をただ想っているだけでよかったはずなのに、気持ちを伝えたらそれ以上のものを望むようになってしまった。シンドバッドに触れられたいと思いながらもその先へと進むことができなかったのは、怖かったからだ。自分が男だという事実を再認識したシンドバッドが、いつか離れていってしまうのではないかと不安になったのだ。だから、焦らして焦らして、いつまで経っても身体の関係を最後まで持とうとしなかった。
ずるいのは自分のほうだ。
彼がこれから自分にしようとしてることを知って、それを利用しようとしているのだから。利用して、彼の心を試して、そうしてどうしようというのだろう。
「大丈夫だ、ジャーファル。お前を傷つけはしない」
宥めるような低いシンドバッドの声に、ジャーファルは一瞬、顔をくしゃっとしかめて今にも泣きだしそうな歪んだ笑みを浮かべた。
「これは……あなたのためにしようとしているわけではありませんから」
そう言うとシャーファルは、ふい、と顔を横に向ける。
何となくではあったが、腹の奥がゴロゴロとしているような気がする。尻の筋肉に力を入れ、もぞもぞと腰を揺らしてみる。
居心地が悪いのは、見られているからだ。
シンドバッドがすぐそこで、自分が粗相をするところを見ようと待ち構えている。
悪趣味にもほどがある。
「厠へ行きたいのですが」
何でもないことのようにさらりと告げると、シンドバッドは片方の眉を吊り上げ、破顔した。 「ここで、するんだ。全部出せたら、綺麗にしてやる」
シンドバッドの鷹揚な物言いに、ジャーファルはすべてを彼の目の前に曝け出す覚悟をした。 そろそろと身体の力を抜いていくと、腹の中がヒクヒクとなるのが感じられた。少し前から催していた便意は、もう止められそうにない。すーっ、と腹の奥から塊が押し出されてくるような感じがして、ジャーファルは思わず目を閉じていた。
(2014.12.14)
|