LOVE IS 5

  二人は、馬を並べて街道を進んだ。
  背後に迫る追っ手の馬のいななきと蹄の音が、そこかしこから聞こえてくるような気がする。
  二人を追う者がいることは、明らかだった。
  王の補佐官が放った追っ手はおそらくハイエナのように執拗なはずだ。サンジ自身、そのことについては身をもって理解している。補佐官のあの偏執的な執着からは、もしかしたらゾロでも逃げられないかもしれない。
  旧街道を進みながら、サンジは必死になって頭の中の地図を思い出していた。仲間との合流地点を、ゾロははっきりと言葉にして教えてはくれなかった。ただ一度だけ、宮廷から抜け出す前にシャンクスが地図のある一点を示した。あの場所は、どこだっただろう。川のずっと先へ行くと、途中から枝分かれしている。その手前のどこかに、シャンクスが示した場所があるはずだ。
  飛ぶように過ぎていく景色は、灰色の陰鬱な空に押し潰されそうな雑草だらけの荒れ地ばかりだった。正午を過ぎた頃から風は湿気を含んだものになり、埃っぽい土と雨のにおいが空気の中に混じり始めた。
「ひと雨来るかもしれないな」
  馬に水を飲ませるために小休憩をとった時に、ゾロが呟いた。
  大木の影になって人目につきにくい川岸におりたゾロは、まず馬に水を飲ませた。それから人間の喉の渇きを潤した。二人は水を飲み、残っている干し肉を少しばかり囓った。
「雨? 降るのか?」
  旅の途中で雨が降るなど、サンジは考えてもいなかった。宮廷で遠駆けや狩りに出かける時には、天気のいい日を選んで出かけていたからなおのことだ。
「このままじゃ、濡れてしまう」
  サンジが呟くと、ゾロは小さく舌打ちをしてサンジから顔を背けた。
  苛々と川岸に近付くと革の水筒に水を入れ、それからゾロは馬の世話をした。サンジは馬の世話などほとんど従者に任せていたから、ゾロの邪魔にならないよう、馬から少し離れて立っている。
  向こう岸では、所狭しと生い茂った葦が、生暖かい風に揺られている。このあたりは川幅は広いが浅瀬が続いているから、渡ろうと思えば向こう岸へは簡単に渡ることが出来た。
「雨が降れば、濡れて当然だ」
  ぶっきらぼうにゾロが返した。表情は、サンジのいる場所からは見えなかった。
  今、ゾロがどんな表情をしているのか知りたいと、サンジは思った。



  シャンクスが示した合流地点は、サンジの記憶の中の地図ではまだ少し先になっていた。
  きっと、今日一日、馬で駆け続けても辿り着くことはできないだろう。三日……いや、二日あれば、なんとか辿り着くはずだ。それまで、追っ手の者たちに追いつかれなければの話だが。
  それについてゾロは、何もサンジには言わなかった。
  何も教えてもらえないのは不安だった。せめて何か、手がかりがほしい。サンジは何度かゾロに尋ねかけたのだが、ゾロの厳しい横顔に、いつも言いかけては途中でやめてしまうのだった。
  少しの休憩をとった後、再び二人は旧街道に戻った。
  ゾロが言うところの雨のにおいが次第に強くなってきている。
  街道を進めていると、不意に川向こうに人影が見えた。背の高い葦の影になってはいるが、馬に乗った兵士らしき男たちが、何かを探しながら岸辺を攫っているところだった。男たちは灰色のマントを纏っており、サンジには見覚えのない者ばかりだった。
「まずいな」
  ゾロが、低く唸る。
  サンジのほうを振り返ったゾロの目は、剣呑な光を含んでいた。サンジの背筋がぞくりと冷たくなった。
「どうするんだ?」
  尋ねるサンジの声は、酷く掠れていた。
  突然、サンジは喉の渇きを感じた。睨み付けてくるゾロの険しい眼差しに、口の中がカラカラになっていく。
「──逃げろ。お前は、このまままっすぐシャンクスの示した場所を目指して走るんだ」
  そう言ってゾロは、ニヤリと口の端を歪めた。
  馬を寄せてきたかと思うと、いきなりサンジの乗っている馬の尻を蹴飛ばした。
  馬は棒立ちになると大きく嘶き、二度、三度と前足で宙を掻いた。それから、これまでにないほどのスピードで、街道を一直線に駆け始めた。
「ゾロっ!」
  振り落とされないように馬の首にしっかりと掴まりながら、サンジは首を巡らしてゾロのほうを見遣った。
「振り返るんじゃねえ! 行け!」
  最後にサンジが目にしたゾロは、剣の柄を握り締め、川を渡ろうとする灰色マントの男たちに向かっていくところだった。



  サンジを乗せた馬は飛ぶように旧街道を駆け抜けていく。
  馬に揺られるサンジの目の端には、涙が滲んでいた。
  ゾロを置いて逃げなければならない自分の不甲斐なさが、何とも腹立たしかった。
  いくらも行かないうちに朽ち果てた民家の影から、あの灰色のマントを身につけた兵士が飛び出してきた。どうやら、彼らはこのあたりを虱潰しに探索していたようだ。
「いたぞ!」
  目の前の兵士の声で、裏のほうから数人の兵士が集まってくる。
  サンジは、自分が武器になるものをひとつとして持っていないことを恨めしく思った。ゾロがいるから、自分は戦う必要などないのだと高をくくっていた。短剣の一本も持たずに旅に出た自分は、何と愚かなのだろう。
「生け捕りにしろ」
  くぐもった男の声がして、あっという間にサンジは取り囲まれていた。乗っている馬が怯えて、神経質そうに何度も首を振っている。
  ここで掴まってはならないと、サンジは思った。
  ゾロは、逃げろと言った。ならば、その言葉通りに逃げるべきだろう。
  まっすぐに。シャンクスの示した場所へと、まっすぐに走るだけだ。
  サンジは手綱をしっかりと握り締めると、馬の横腹をしたたかに蹴った。馬の激しい嘶きに、灰色マントたちの馬が、驚いて足踏みをする。兵士たちの気が反れたのを瞬間に、サンジは、まだ見ぬ仲間達の待つ場所へと向かって馬を走らせていた。もし、灰色マントがついてくるなら、それでも構わなかった。
  見覚えのない兵士ばかりだが、彼らは間違いなくサンジを追っている。補佐官の部下はこんなにもあちこちに潜んでいたのだろうか? それとも、公国の外から連れてきた、金で雇われた者たちなのだろうか? どちらにしても、ゼフ王の力の及ばぬところで、あの補佐官は好き勝手をしている。補佐官のしていることに気付きもせずに、いったい自分は、何をしていたのだろうか。
  これまでずっと目を逸らしていたが、悲しいかな、継ぎの王子としての資質は、今のサンジにはまったくなかった。



  川岸では、葦の葉の陰に隠れながら、兵士達が集まってきていた。
  皆一様に灰色のマントを身につけて、どこの国ものともわからない武器を携えている。鉄兜はどれも重々しく、中の顔は判別しにくかった。バラティエ公国の兵士にはない荒々しさと、粗野な振る舞いが目に付いた。シャンクスがフーシャの総統となる前によく見かけた連中であることに、ゾロは気付いていた。連中は、どこからともなく沸いてきては、いざこざをあちこちに振りまいていく。争いごとを好み、血を好み、そして奪うことを好んだ。
「なんで奴らが?」
  呟いて、ゾロはペロリと舌なめずりをした。
  今はそんなことに気を取られている場合ではない。さっさとこの連中を片付けて、サンジを追いかけなければならないというのに。
  左手に剣を構え、兵士たちが近付いてくるのをじっと待つ。
  兵士達は、馬で川を渡ってくる。長槍を持った者が二人。ゾロを挟み撃ちにするつもりなのか、左右に分かれて川を進んでいる。勢いよく水飛沫が上がり、兵士たちの足元を濡らしていく。
  五人、六人……十人にも満たない数の兵士が、いったい、何を探していたのだろう。ゾロとサンジをつけてきていた連中に間違いなかったが、川向こうでは明らかに何か別のものを探していた。それが何なのか、ゾロは知りたいと思った。
「……お前ら、どこの連中だ?」
  声を張り上げ尋ねた瞬間、パン、という破裂音があたりに響いた。いちばんしんがりで川を渡っていた兵士が、驚いたように後ろを振り返ろうとして川の中にどう、と倒れ込んだ。
  燐のにおいが風に乗ってゾロのところまで流れてくる。
  続け様に二人目、三人目が倒れた。その頃にはゾロは、川向こうに仲間がいることを確信していた。
「手ぇ出すな、バカ野郎! 俺の獲物だ!」
  葦の繁へと向かって腹の底から吼えると同時にゾロは、疾風のように馬を操った。右手で手綱を操り残っていた兵士を次々と薙ぎ払っていく。刃を一閃させると、兵士が手にした剣は手首ごとぽとりと落ちて鮮血が噴き出した。その場から逃げ出そうとした者はいなかったが、目の前の獲物を奪われたことでカッとなったゾロは、残っていた兵士たちの息の根を止めてしまっていた。
「……あーあ。なんで殺しちゃうのよ、もう」
  全てが片づいたところで、葦の葉陰からオレンジ色の髪の少女が音もなく現れた。その後ろからは、浅黒い髪の長鼻の男が、こちらはあたりの様子を窺うようにして姿を現した。
「あんまり遅いから迎えに来てやったんだぞ。ありがたく思えよ」
  指をつきつけ、男が言う。
  ゾロは、二人を睨み付けると無言で馬の向きを変えた。



  もう駄目だと、サンジは思った。
  これ以上は逃げられない。
  ゾロに言われたとおり、灰色マントの兵士から一度は逃げたものの、いくらも行かないうちに追いつかれてしまった。シャンクスに教えられた合流地点を目指して馬を走らせてはいるが、行けども行けども、仲間らしき者たちの姿は見えてこない。
  ──もう、ダメだ。
  武器もなく、逃げる手だてもなく、もうこれ以上はにっちもさっちもいかないところまできている。
  それでもサンジは必死になって馬を駆り立てた。
  掴まれば、どうなるのかわからない。公国を後にする時に女官長のロビンには、命の危険も覚悟しておくようにと言い含められている。
  もしかしたら今がその時なのかもしれない。
  馬の腹に踵を入れると、駆け足のスピードがぐんと増した。
「殺すなよ」
  ぴったりと後ろにつけた兵士達のやりとりが、まるで耳元で交わされる会話のようにはっきりと聞こえてくる。
  連中は、サンジを生け捕りにしたがっていた。
  生け捕りにして、補佐官の元へ連れて行くつもりなのだろうか? そんな考えが頭の隅っこを掠めていく。
  剣を抜く時の金属質な音までもがはっきりと耳に届いてくる。兵士達の一人が、サンジの乗った馬を斬りつけてきた。
  馬も、サンジも、必死になって逃げた。
  ここを逃げ延びることが出来れば。その一心で、サンジは馬を駆った。
  馬と一体になって街道を駆けながら、サンジは、雨の雫が頬を打つのを感じていた。この雨は、サンジにとって有利に働くものなのだろうか。それとも、灰色マントにとっての恵みの雨なのだろうか。
  さらに馬の横腹に踵を入れたが、馬はこれまでの疾走で力を出し尽くしていた。
  次第に馬の速度が落ちていき、灰色マントがサンジの両脇にぴったりとくっついてくる。
「さて。一緒に来てもらおうか、王子」
  くぐもってはいたが、その声ははっきりとサンジの耳に届いた。どこかで聞いたことのあるような、耳に馴染んだイントネーションにサンジは息を飲んだ。
  ──声は、どこから聞こえた?
  サンジは手綱を引く手を緩めた。



To be continued
(2007.9.15)



                            5                    


ZS ROOM