明かりの消えた部屋の中では、ゾロの鼾だけがやけに大きく響いていた。
あとは、階下や他の部屋から洩れてくるちょっとした物音が、ボソボソという音と一緒にあたりを包み込んでいるかのようだ。
サンジは、なかなか寝付くことができなかった。宿に泊まるということが、こんなにも耳障りなことだとは思っていなかったのだ。宮廷には、保たれた静けさがあった。
寝返りをうつとそっと自分の唇に指で触れてみる。昼間、エースにされた口づけは、あれにはいったいどんな意味があったのだろうか。
人差し指で下唇を二度、三度となぞると、吐息が洩れた。
もう一方の手で下腹部をまさぐると、薬のせいなのか、体温が跳ね上がったような感じがする。
いちばん熱い部分に、衣服の上から触れてみた。
こんなふうに自分で触るのは初めてのことだった。
そういえば、ずっと忘れていたことがあった。サンジ自身、性的な経験をしたのは補佐官が初めてだと思いこんでいた。しかし宮廷に滞在していたエースに初めてここを触られたのは、補佐官が公国にやってくるよりもずっと前のことだ。先の滞在の時にはエースは、そういった行為をしかけてはこなかった。気付いてもらえない相手に想いを寄せているのだと言っていたが、あれはいったい誰のことなのだろう。
ゆっくりと指を動かして竿の部分をなぞっていると、体中の熱がその一点を目指して集まってくるのが感じられた。
サンジは、ゾロの手つきを思い出しながら自分の性器を軽く扱いてみた。面白いぐらいに呆気なく、性器が硬さを増していく。
「──はっ……んんっ……」
ベッドの中で体を丸め、サンジは手の動きを追った。
声が洩れそうになるのを、唇を噛んで堪える。
体が熱くて熱くて、たまらない──
「おい、どうかしたのか?」
不意に、向こうのベッドで眠っていたはずのゾロが声をかけてきた。
一瞬にして、サンジは我に返った。冷水を浴びせられたかのように、背筋がゾクリとなる。
「あ……いや、なんでも……」
言いかけたサンジの言葉を遮って、ゾロがベッドを抜け出す気配が感じられた。枕元の燭台に火を灯すと、ゾロは足音も立てずにサンジの眠るベッドの脇にやってくる。
「調子が悪いのか?」
尋ねると同時にゾロの手が、ケットを大きくまくり上げた。
「あ……」
下着の中から取りだしたサンジのペニスが、ヒクヒクと震えているのがはっきりとゾロの目に映る。
サンジは息を飲んだ。見られてしまったことに対する羞恥心と、それから、ゾロに嘘を吐いてしまったことに対する後悔の念で、サンジの頬は真っ赤に染まった。燭台の明かりごしではそうはっきりとは見てとれないだろうが、それでもサンジには充分恥ずかしかった。
ゾロに見られないように隠してみせるのは、逆に見てくださいと言っているようで間が抜けている。諦めてサンジはじっとそのままの姿勢でいた。
「……薬が抜けてないんだろ」
微かにゾロが、笑ったような気がした。
「気にするな。こういうのは、なかなか元に戻らないらしいぜ」
そう言ってゾロは、サンジの髪に唇を落とす。優しい唇の感触に、サンジはゆっくりと体の力を抜いていく。
「昔、知ってるヤツがそういう薬を使われたんだけどな」
と、ゾロは、燭台を枕元に置いた。
「そいつは、たったの二日、薬を使われただけだった、ってのに、完全に元に戻るまで数ヶ月もかかった。モノにもよるが、それぐらい強く影響が残る薬らしいな、この手の薬は」
言いながらゾロの手は、サンジの寝間着を脱がしにかかっていた。裾をたくし上げ、胸のあたりまでずり上げると、サンジの体を横抱きにしたまま背後から抱き締める。
「薬が完全に抜けるまで付き合ってやるから、安心しろ」
ゾロが、言った。
サンジが小さく頷くと、ゾロは、その白い首筋に歯をあてて軽く噛みついた。
翌朝は、朝からどんよりと曇った天気をしていた。雨雲がどこか遠くのほうで発生して、どんどん広がっていっているようだ。
夕べの酒場は夕方までは食堂業を営んでいる。ウソップが来るのを待って三人で朝食を済ませてしまうと、すぐさま川岸へと向かった。
ナミはまだ、来ていなかった。
「アイツ……遅れて来る気だな」
苛々とウソップが呟く。
「いつでも筏を出せるようにしときゃ、いいんじゃねえのか?」
面倒くさそうにゾロが言う。
サンジは眉間に皺を寄せて必死になって考えた。確か、馬を待たせているとナミは言ったはずだ。その馬は、いったいどこにいるのだろうか。今日、乗る筏は昨日の筏よりも一回り以上大きかった。中央部に囲いがしてあり、筏自体に染みついた獣蓄のきついにおいが鼻をついた。
「そりゃ、まあ……そうしておけば、いつでも出発できるけどよ。待ち時間があるのがわかっているなら、もうちょっと……」
ウソップは大げさに肩を竦めた。
「──もうちょっと、ナニ?」
勇ましいナミの声が背後からかかり、ウソップは慌てて残りの言葉を飲み込んだ。
「ヒッ……!」
ウソップの振り返った先には、馬を連れたナミがいた。従順そうな黒い目の馬と、大人しそうな鹿毛の馬だった。
腕組みをして鋭い眼差しでウソップを睨み付けるナミは、しかしサンジには可愛らしく見えた。しっかり者の、表情がコロコロとかわる女の子は、見ていて飽きない。彼女の存在すべてが、可愛らしく見えて仕方がない。
「これで全員揃ったな」
長丁場は御免だとばかりにゾロが言う。ナミは悪びれもせずに筏に乗り込むと、馬の手綱をゾロに握らせ、自分は特等席のベンチにさっと腰をおろした。
「筏を出せ、ウソップ」
ゾロの言葉に、ウソップは慌てて櫂を握り締めた。
カタン、と筏が大きく揺れ、ゆっくりと川の中央へと出ていく。ゾロはと言うと、筏の中央に馬を立たせた。筏の中央にはちょうど、二頭が入るだけの囲いがしてあった。
たった一晩だけのウェストランドだったが、魚と鶏肉料理は美味しかった。人々は皆一様に褪せた茶色の服を着ており、そう豊かな国には見えなかったが、子どもたちは楽しそうに川遊びをしていた。
自分は今、バラティエ公国とは違う別の国に来ているのだと、初めてサンジは実感することができたのだった。
筏で川を下っていく日々は、楽しかった。
ゾロと二人だけの旅にはない穏やかさが、ここにはあった。
もっとも、薬の影響が出てくるとは、近場の町や村に立ち寄って、ゾロと二人きりの時間を過ごさなければならなかったが。
フーシャがいよいよ目前に迫ってきたのだと思うと、サンジは、薬の影響など無視して筏を進めてほしいと思わずにはいられなかった。
幼い頃にシャンクスを始め、エースやルフィから聞いていたフーシャは、サンジの憧れの国だった。
争乱に明け暮れるフーシャを一握りの部下と共に抑え込み、平穏を呼び込んだシャンクスの統治する、国。
いったいどんな国なのだろう。バラティエ公国の自室でサンジは、何度も夢に見ていた。フーシャにいるのは、強い人間ばかりだ。自分のように王の補佐官ごときにいいようにされる男なんて一人もいない、強い男の住まう国だ。いつかきっと、自分もフーシャに行きたいと、サンジはそんなふうに密かに願っていた。
それが、こんな形で叶うとは思いもしなかったのだが。
「──見えてきたわ」
筏は滑るように川を横切り、難なく係留杭を探し出したナミが筏と岸辺とをロープで繋ぎ止めた。
「ようこそ、フーシャへ」
真っ先に岸辺に降り立ったウソップが、ふざけて頭を下げた。
とうとうフーシャに着いたのだと思うと、サンジの目の奥がジン、となった。
サンジの後ろに立っていたナミが、繰り返す。
「ようこそフーシャへ、サンジ君」
戸惑いながらもサンジが頷くと、焦れたゾロの手がサンジの肘を掴んで筏から引きずりおろした。
岸辺に降り立った途端、サンジの足がふらついて、咄嗟のところでゾロに抱き留められる。
「おいおい、気を付けろよ」
そう言いながらもゾロの手は、しっかとサンジの体を抱き締めていた。
END
(2007.9.27)
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