LOVE IS 6

  手綱を握り締めたサンジは、深く息を吸い込んだ。
  灰色マントの兵士に紛れて、サンジを助けてくれる者がいる。しかもそれは、自分がよく知っている人でもあった。それだけで、サンジの気持ちは不思議と落ち着いていく。
  頬を打ちつける雨の粒さえも、今のサンジには気にならない。
  灰色マントの兵士の馬よりもわずかに前をサンジは走った。
  走りながらサンジは、子供の頃によくした遊びを思い出していた。一人が追われる役で、二人が追う役だ。遊びを始める前に合い言葉を決めておいて、追う役の二人のうちのどちらか一人が、もう一方に気付かれないように追われる役に向かって合い言葉を告げる。追われる役は、合い言葉を告げた者の指示に従って、逃げ延びるという遊びだ。ルフィとエースが宮廷に滞在していた時に、三人でよくやった。ルフィは下手くそだったが、エースはいつもサンジをうまく誘導してくれた。
  三人で遊んだ記憶はもう何年も前のものだったが、それでもサンジは、はっきりと当時のことを覚えていた。
  雨のせいで次第に道がぬかるんでくると、馬の足は遅れがちになった。ゾロが連れてきた馬は、宮廷のサンジの馬ほどにいい馬ではなかった。ここまで走れただけでもよく保ったほうだ。サンジはもう一息とばかりに馬の横っ腹に踵を入れる。馬が苦しそうに息を吐き出し、嘶いた。
「この先の道を、右に」
  馬をぴたりと寄せてきた兵士が、馬を打つふりをしながら低く声をかけた。
  やっぱり…──サンジは相手を威嚇するかのように睨み付けた。目深にかぶった兜の奥は見えなかったが、今の声で誰だかわかった。
  言われたとおりに分かれ道のところで右に折れる。灰色マントの兵士たちはサンジの後を追ってついてこようとしたが、サンジのすぐ側にピタリとついていた兵士が不意に後続の兵士たちに向かって手にした長槍を振るった。なぎ倒された兵士の驚きに見開かれた目が、サンジを見上げていた。泥にまみれたその兵士を、後続の別の兵士が手にした大斧で叩きつけた。
「ここは、俺に任せてください」
  大斧を手にした兵士が嗄れた声で叫んだ。
  サンジにぴたりとついていた兵士が兜を投げ捨て、ニヤリと笑った。
「おう。任せた」
  長槍を振り回しながらサンジのほうへと向き直ったのは、やはりエースだった。



「走れ!」
  エースの声で、サンジは我に返った。
  慌てて馬に拍車をかけると、飛ぶように一本道を走り抜ける。
  後ろからついてくる蹄の音がエースの乗った馬だと思うと、恐怖感も薄れていった。
  しばらく行ったところで、エースは馬を止めた。サンジに馬からおりるように告げると、おもむろにゾロの用意した馬の腹に長槍を食い込ませた。
「そこで待ってろ」
  そう言いながら、エースは槍の柄を持つ手にぐっと力を込めた。鋭い刃が馬の腹を裂き、あたりに血が飛び散った。
「何を……」
  雨足が早くなってきていた。
  エースは手早く馬の腹を掻き斬ると、土に血の色が混ざるようにした。それから、サンジの着ていた服の裾を破り取ると死んだ馬のそばに落とした。足で散々泥を跳ね上げ、まるで争った跡のようにした。
「しばらくは相乗りだな」
  エースは長槍を馬の死骸のすぐ側に突き立てると、サンジのほうへと近付いた。
  馬は、エースに慣れているのか利口だった。大人しく主人の命令を待っている。エースが馬の背にサンジを乗せても嫌がる素振りひとつ見せなかった。
  エースは、サンジの後ろに跨り、手綱を握った。
「無事でよかったな、サンジ」
  そう言うとエースは、雨に濡れて冷たくなったサンジの髪に、唇を押し当てた。



  エースと密着したまま、馬で街道を進んだ。
  馬の背で揺れていると、時折、サンジの背中はエースの体に触れた。
  エースの腕は逞しかった。ゾロの腕と同じぐらいに力強く、サンジを安心させるに足りる筋肉を持っていた。
「よく覚えていたな」
  雨の音で声が消えてしまわないように、エースはサンジの耳元に言葉を送り込んだ。
  一瞬、サンジは何を言われているのかわからなかった。しばらく考えてから、エースが子供の頃のゲームのことを言っているのだということに気付いた。
「この間……宮廷に来た時に、言ってたから」
  負けじとサンジも怒鳴り返す。
「そうだっけか?」
  首を傾げるエースの腕が、サンジの腕にあたった。
「少し、走ろう。距離を取っておきたい」
  手綱をさばくエースの腕が、また、サンジの腕にあたる。まるで背後から抱き締められているような感じがして、サンジは頬がカッとなるのを感じた。顔にあたる雨が少しでも頬の熱を流してくれたらと思いながら、サンジは馬の背に揺られていた。
  しばらく進むうちに、雨が小降りになってきた。
「あいつら、まだついて来ているんだろうか?」
  エースの腕の中でサンジがぽつりと呟くと、聞こえていたのか、エースが小さく笑った。
「生き残ったヤツがいたら、な」
  まるで、生き残る兵士は一人もいないと言いたげなエースの言葉に、サンジは首を傾げる。
「お前は知らないほうがいい。後ろの連中は、いなくなったと思っておけ」
  そう、エースは告げた。しかしそうは言っても、あれだけ執拗に追ってきていた連中が、これしきのことで諦めるとは考えられない。あの、大斧を手にした兵士のことも気になるし、今し方エースが告げた、距離を取っておきたいという言葉も気になる。
  いったいエースは、何と距離を取ろうとしているのだろうかと、サンジは黙って考え続けた。



  空の向こうに晴れ間が見えてきた。
  雨が小降りになってきて、時折、雲の隙間から日の光が差してきた。
「あがったな」
  片手で目を覆うようにして、エースは空を見上げる。つられてサンジも顔をあげる。眩しかった。
「……これからどうするんだ?」
  尋ねながらもサンジは、肌にまとわりついた衣服が気持ち悪くて仕方がない。
「もう少ししたら、仲間と合流する」
  言葉少なにエースが告げる。
  そこからは、どうするのだろうか。エースが一緒にいてくれれば心強い。何よりも、幼い頃からの見知った仲だ。安心感もある。
  もぞもぞと身じろぎをしたサンジは、エースのほうに顔を向けようとした。尋ねるのだ。これからどうするのか、どうしなければならないのか、サンジはまだ、はっきりと教えてもらっていない。
「俺は、仲間のところまでお前を無事に連れて行ったら、そこでお別れだ。気を付けて行けよ、サンジ」
  不意に、エースの腕がしっかとサンジの体を抱き締めてきた。
「え……」
  濡れた衣服がぺっとりと肌に吸い付いてくる。ただ、エースと密着した部分だけが、熱を持ったように感じられた。
「本来の任務に戻らないといけないんだ。お前が公国を無事に出るまでは…仲間達にお前を引き継ぐまでは、俺が守ってやれる。だけどその先は……」
  吐息がサンジの首筋にかかる。熱かった。少しくすぐったくて、体の芯がジンとなるような熱を持っていた。
「もうすぐ、筏が追いつくだろう。そしたら、お別れだ」
  そう言ったエースの唇が、サンジの首筋に触れた。
「フーシャで会おうぜ、サンジ。任務が終わったら、お前の顔を見に帰る」



To be continued
(2007.9.23)



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