LOVE IS 7

  北からの川の流れが西からの流れとぶつかるあたりで、エースはサンジを馬から下ろした。
「ここから先はウソップとナミがお前をフーシャへ連れて行く。ゾロも一緒だから、安心しろ」
  そう言われて、サンジは怪訝そうな顔をした。今の今までゾロのことなど一言も口にしなかったのに、何故エースは、ゾロの名前を出してきたのだろうか。フーシャで共に戦った仲間として、エースは、それほどまでにゾロのことを信頼しているのだろうか。それともただ単に、ゾロのことを戦力として必要な力だと認めているからだろうか。
「そんな顔すんな。別れにくくなるだろ」
  俺は恋人じゃないんだぜ、と、エースは苦笑いをして言った。
  それからおもむろにエースはサンジの唇を指でなぞると、軽く口付けた。
「──…ほら、来たぜ?」
  ニヤリと笑ってエースが顎で示した方向に、筏が見えた。
  ゾロが櫂を握っている。ウソップは筏の後方で何やら熱心にごそごそとしており、いち早くサンジたちに気付いたナミが大きく手を振っていた。
「エース! サンジ君!」
  バラティエの城下で一度だけ会ったことのあるナミとウソップは、年下ではあったがサンジとそうかわらない年齢だったためか、親しみやすかった。サンジはエースに別れの言葉をかけようとした。
  サンジが振り返った時にはしかし、エースはすでにその場を離れていた。街道を、サンジたちとはまた別の方向へとエースは進み始めていた。
「じゃあな」
  一度、大きく手を振ってエースは告げる。サンジは返す言葉もないままに、エースを見送った。こんな急な別れになるとは、思ってもいなかった。
  小さくなっていくエースの後ろ姿を見送りながら、サンジは唇をそっとなぞった。
  エースの唇の感触が、唇から指先へと伝わったような感じがする。
「エース……」
  呟いた声が、風に乗ってエースのところまで届いてくれればいいのにと、サンジはそんなふうに思った。



  川岸に寄せられた筏に、サンジはおっかなびっくり足をかけた。
「ひっくり返らないか?」
  おそるおそる尋ねると、ナミが快活に笑って返した。
「いやねぇ、サンジ君たら。ひっくり返るわけないじゃない。この筏にはお金がかかってんだから。そうでしょ、ウソップ?」
  最後の言葉はウソップに向けられたものだった。ウソップは胸を張ってニヤリと笑みを返す。
「おう、当ったり前さ」
  そんな二人のやりとりを見て、サンジは小さく笑った。この二人となら、うまくやっていけるだろう。
「グダグダ言ってねえで、さっさと乗れ」
  一人、不機嫌そうな様子のゾロが櫂を持ったままぶっきらぼうに声を張り上げた。
  応戦するように舌を突き出してナミは、悪戯っぽく意味深な言葉を口に乗せる。
「男の嫉妬は醜いわよぉ」
  それからナミはゾロに背を向け、サンジの腕を引っ張って板張りのベンチに腰を下ろした。
「サンジ君、こっちに座って。少し揺れるけど気にすることないわ。この流れをくだりきった先の村で、馬を待たせているのよ」
  ころころとかわるナミの瞳の色に、サンジはついていくのが必死だった。こんなに生き生きとした人は、宮廷にはいなかった。重苦しくて陰鬱な空気と、自分よりもはるかに年上の人々。宮廷ではいつも老人に近いような人々で溢れていた。もちろんゼフ王やその側近の者たちよりも若い者もいたが、皆一様に顔を伏せ、あまり多くを喋ろうとはしなかった。女官長のロビンは比較的若かったが、やはりサンジからすると年上の女性だった。それに彼女は、目の前の少女ほど朗らかではなかった。
  歳の近い若者は皆、王の補佐官を怖れていつからかサンジには近寄らなくなっていた。久しぶりにエースとルフィの兄弟がバラティエ公国にやってきた時、サンジはホッとしたものだった。それほどまでに宮廷は、膿んでいたのだ。



  筏は滑るように川の流れをくだっていき、夕方前には小さな村の河岸に到着した。
「もう、公国の国境は越えたのよ」
  筏を下りるサンジに、ナミがこっそり耳打ちをする。
「じゃあ、ここは…──」
  言いかけたサンジの背中をポン、と叩き、ウソップが後を引き取った。
「ここは、ウェストランドの端っこだ。川を挟んだ向こう、小さな町をいくつか越えた先にフーシャがある」
  地図で見ただけではわからなかった土地の風景が、そこにはあった。
  背後を海に、側面を山に守られたバラティエ公国とは違い、ウェストランドは川の西側に広がる草原の国だった。国の中心地はまた違った様相をしているということだったが、川沿いの生活というのを目にするのは、サンジにとって初めてのことだった。
「さあ、食いっぱぐれたくなかったらちゃんとついてきてちょうだい、サンジ君」
  そう言ってナミが先頭に立って歩き出した。
  こんな小さな村でいったい何が食べられるのだろう。歩きながらサンジは、あたりをキョロキョロと見回す。旅に出て以来、まともな場所で眠った覚えがない。今夜はきっと、清潔なベッドでのんびりと体を伸ばして眠ることが出来るだろう。そして食事は、干し肉でもなければ饐えたにおいのするパンでもない。ワインはあるだろうか。宮廷で振る舞われていたような酸味のきついやつを飲みたいと、そんな風にサンジは思った。
  酒場に入っていったナミは、サンジとゾロをテーブルにつかせると、ウソップと二人で出かけて行った。
「心配しないで、サンジ君。買い物をすませたらすぐに戻ってくるから」
  そう言い残して、ナミは酒場を出ていく。
  取り残されたサンジは、ゾロと二人で料理が出てくるまでの時間を黙って過ごした。
  喋ることなど何もなかった。この旅の間にサンジは、ゾロに散々世話になっている。これ以上の恥の上塗りは御免だった。
  料理が出てくると、二人は黙って食べるしかなかった。ナミとウソップの二人が戻ってこない以上、料理が冷めていくのをじっと眺めているわけにもいかない。何よりも、先ほどこの店に入った時から二人の腹はグーグーと鳴りっぱなしだった。旅の間、まともなものを食べた日のほうが少なかったぐらいだから仕方がないだろう。
  テーブルの上の皿があらかた空になったところで、ウソップとナミが戻ってきた。
「寝るところが確保できたわよ。サンジ君は、ゾロと一緒にここの二階に泊まってね」
  にっこりと笑いかけられ、サンジは反射的に頷いていた。
「ナミ…さんと、ウソップは?」
  サンジが尋ねると、ウソップが涙目になって訴えてきた。
「なぁ、聞いてくれよ、サンジ。俺だけ厩で寝なきゃなんねえんだぞ。おかしいと思わないか、ええ?」
  今の今まで押さえ込んでいた怒りを露わに、ウソップが一息に告げた。
「お黙り。ここから先、無駄な出費はできるだけ抑えなきゃなんないの。毎日野宿してるんだから、屋根のあるところで眠れるだけ御の字だと思いなさい」
  ツンと澄ました顔でナミが言い放つ。
「だからって、なんで俺だけ……」
  ブツブツと文句を言いながら、ウソップは慌てて食事を注文した。今の今までナミと一緒に買い出しに行っていた上に、厩で一晩を過ごさなければならないのだ。せめて食事ぐらいはと、気合を入れて注文をしている。
「明日からは筏生活よ。サンジ君、今日はゆっくり休んでね」
  ナミの言葉にサンジは、小さく頷いた。



  宿の二階にあがると、下の階の喧騒が微かに聞こえてきた。
  ナミは、この町に知り合いがいると言っていた。今夜は知り合いの家に泊めてもらうのだそうだ。
「薬、抜けたのか?」
  部屋に入ったところでゾロが問うた。
「──た、ぶん」
  ボソボソとサンジは答えた。
  薬はまだ、完全には抜けてはいない。昼間、雨の中でエースに触れられた時、体が燃えるように熱くなった。あれは、そんなに前のことではない。
「そうか。よかったな」
  あっさりとゾロは返した。
  そしてそれきり、サンジに触れることもせずに二つあったうちの右側のベッドに大の字に寝転ぶと、さっさと眠り込んでしまった。
  取り残されたサンジは、ゾロの鼾を聞きながらベッドに横になった。
  シーツもケットもくたびれていたが、寝転ぶと石鹸のにおいがした。宮廷にいた時のように、何から何まで糊がきいていて真っ白にとはいかないのは当然だ。それでもここが、ちゃんとしたところだということがサンジにも理解できた。
  何よりも、ナミがここを選んでくれたのだから、野宿とかわらないような、そんな変な場所であるはずがない。
  目を閉じると、サンジはなるべく昼間のことは考えないようにした。
  思い出したら、きっと、悩んでしまいそうだったから、何も考えないようにしてサンジは目を、きつくきつく閉じたのだった。



To be continued
(2007.9.24)



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