『TANGIBLE 8』
サンジの指は常からの水仕事でかさかさしていたが、繊細な動きでもう一人のサンジの肌を這い回った。
ぼんやりとした頭で、もう一人のサンジは考える。
何故、目の前にいるサンジは自分を苦しめようとしないのだろうか、と。自分ならばきっと、目の前のサンジを心ゆくまで痛
めつけ、苦しめただろうに。
ちょうどゾロが自分にしたのと同じように、精神的にも肉体的にも傷つくように扱われたならまだよかった。
もしそうだったなら、こんなに胸の痛い思いはせずにすんだはずだった。
唇をきつく噛み締め、もう一人のサンジは自分と同じ顔の男からの愛撫をじっと堪えている。
ゾロは……ゾロも、そうだ。自分と同じ顔の男と一緒になって彼は、すっかり人が変わったような様子で触れてくる。優しく、穏やかな手つきで肌を撫で上げられ、ぞくりと背筋に震えが走った。
怖い、と、思った。
この感覚は、知らない感覚だ。
痛覚ならやり過ごせる。痛みには慣れることができる。ただ、堪え続ければいいのだ。じっと耐えていれば、いつか行為は終わるだろう。その時、痛みは引いていく。
しかし、この感覚は……優しい指先に触れられ、身体の端々がカッ、と熱くなっていく。燃え立つような、そして痺れるような不思議な感覚を、もう一人のサンジは知らない。
逃れようとして必死に身を捩ると、ゾロが体重をかけてきてあっというまにのしかかられてしまった。床に縫い止められるようにして仰向けになったもう一人のサンジは、慌てて抵抗しようとする。
このままだと、逃げようにも逃げられない。
二人がかりで押さえつけられ、足を開かされた。無理矢理ではなかったが、それがまた、もう一人のサンジのプライドを酷く傷つけた。
それなのに。
落ちていってしまいそうに、なる。
ゾロの低く甘い声が耳元で響くたび、もう一人のサンジは陶酔したような感覚に陥っていく。
深く、深く……──
耳元で、湿った音がする。
すぐ近くにゾロの顔があった。サンジの顔も、ある。キスをしている。唇が深く合わさり、赤い舌がちろちろと互いの口の中を出入りしている。
酷く官能的だった。
自分と同じ顔の男が、男と口づけを交わす。自分をも含めて三人ともがすっ裸だ。男の胸には袈裟懸けに残る太刀傷。下はどこまで続いているのか確かめたいと思った。ついさっきまで気にもしなかったのに、無性に気になってしかたがない。が、自分とゾロの間に割り込むようにして、サンジがいた。重たかった。何故だ? そう思い、初めてもう一人のサンジは気がついた。ゾロの膝に横座りの体勢で自分が乗り上げ、その上にサンジが座り込んでいた。肌と肌が密着して擦れるたびに、もう一人のサンジは腹の底から痺れるような感覚が沸き上がってくるのを感じた。
気持ちいいのか悪いのか、わからない。
誰かと肌を合わせるということ自体、もう一人のサンジは苦手に思っていた。
サンジを犯した時は、あれは快楽を求めてしたわけではなかった。あれは、ただの嫌がらに他ならない。サンジを苦しめて、傷つけ、この世から消滅させてやろうと思ってのことだった。
だからもう一人のサンジがこのような抱かれ方をするのは初めてだったし、ゾロの熱くて優しい吐息を耳元で感じるのも、サンジの甘えるような熱のこもった眼差しも、何もかもがもう一人のサンジにとっては初めてのことだった。
「気持ちいいか」
耳元で、ゾロが低く囁いた。
サンジの身体の奥深くに埋められたもう一人のサンジのペニスは、強い締めつけにヒクヒクと蠢いている。
流されたくないと思ったが、心の半分は既にどこかへ彷徨い始めていた。
「ぅ……くっっ……」
ピクン、と大きくサンジが身体を震わせた。ペニスの先端から乳白色の滴りを溢れさせながら、もぞもぞと腰を揺らしている。いつの間にか羞恥心はどこかへ消え去ってしまったらしい。口の端から涎を垂らし、あられもない声を次から次へとあげ続けている。ゾロとセックスをする時にはこんな表情をすることもあるのかと、そんなことをもう一人のサンジはぼんやりとした頭の隅で感じていた。
もう一人のサンジは身体の奥深くに埋もれたゾロのペニスが時折、堅さを増すことに気付いた。それはたいてい、サンジが甘えるような掠れた声で意味の成さない言葉を呟く時であったり、無意識のうちに押しつけられたサンジのペニスがゾロの腹を汚す時であったりした。
「ああ……ぅあっ」
もどかしそうにサンジは身体を動かしている。ちょうどゾロともう一人のサンジに挟まれるような体勢で思うように腰を揺らすことが出来ないのと、いつもとは違う感覚が身体の中に潜り込んでいるために、焦燥感に苛まれているようだった。
「……はぁ……っ……」
もう一人のサンジもゆっくりと息を吐いた。より強い快楽を求めて、自分の上に跨るサンジのペニスを背後から両手で包み込み、扱き上げた。ぬちゃぬちゃと湿った音がして、それと同時にサンジの尻の穴がきゅっ、ともう一人のサンジのペニスを締めつけてくる。
サンジが甘い声をあげると、そのたびにゾロが下から突き上げてきた。突き上げられるのはもちろんもう一人のサンジだ。しかし、ゾロもサンジも、自分たちの間にもう一人のサンジがいようがいまいが、関係ないようだった。
ただ、気持ちのいいほうへ。身体が馴染む方向へと、向かっていく。
快楽の中でもう一人のサンジはぼんやりと思った。
自分はいったい、どこからやってきたのだろうか、と。
サンジの心の闇から生まれたのだと思っていた。ずっと、自分はサンジの影の部分を集めたの屑ようなものだと思っていた。今も、そうだ。自分は、この世に必要のない存在だと思っている。
何度、熱い迸りを身体の中に受け止めても、ゾロは自分を見てくれない。ゾロは、サンジしか見ていない。本物のサンジ一人だけで充分なのだ。
ぎりぎりと唇を噛み締め、もう一人のサンジは天井を振り仰いだ。
息が、粗い。
自分を自分と認めてくれる誰かが欲しかった。
今、この場では自分は用のない人間だった。
誰か……誰でも、いい。自分のことを「サンジ」と優しく呼んでくれる誰かがいれば、それだけでいい。
目を閉じると、涙が一筋、頬を伝い落ちるのが感じられた。
ゾロがもう一人のサンジの腰をがっしりと掴み、揺さぶっている。膝の上に乗り上げたサンジが、切なく喘ぎながら腰を振っている。二人のあいだに挟まれた自分はしかし、その存在にも気付いてもらえず、ただ自然とこみ上げてくる快楽に喘ぐばかりだ。
認めて欲しいと、もう一人のサンジは喉の奥で焼け付くようなざらついた嗚咽を洩らした。
認めて欲しい。
自分は、自分なのだと。
目を開けると、もう一人のサンジは裸で床の上に転がされていた。
人の気配はなかった。
寒かった。寒いのは裸だからではない。心が寒いのだ。誰からも相手にしてもらえないことが、もう一人のサンジをいっそう不安にさせた。
背を丸め、ぎゅっ、と縮こまり、手足を引き寄せる。
ぼんやりとしていると、後孔から精液が伝い出てきた。たらりと溢れる感触は不快感をもう一人のサンジにもたらした。ゾロの精液と、サンジの精液。それから、自分自身が放った精液が、もう一人のサンジの身体を汚していた。
青臭い精液のにおいで胃がムカムカした。
今、この場から消えてなくなりたかったが、それすらも叶わず、もう一人のサンジは黙ってじっとその場に転がっていた。それからいくらも経たないうちに誰かの足音が聞こえてきた。部屋に入ってくるのが感じられ、もう一人のサンジは億劫そうに視線だけを動かしてやってきた相手をちらと見上げた。
サンジだった。
洗い桶と清潔なタオルを持ったサンジは、もう一人のサンジのすぐ側にやってきた。
「災難だったな」
サンジの声はあまりにも小さくて聞き取りにくかったが、確かに彼はそう言った。そうして、ゆっくりとした丁寧な手つきでもう一人のサンジの身体を清めていく。
もう一人のサンジは苛々とそれを黙って受け入れた。今の彼は立ち上がることすらできないほど弱っていた。どうしてこんなことになったのかはわからないが、とにかく、先ほどの行為が何らかの影響を与えたことは間違いないだろう。
「あの馬鹿は、たまに歯止めが利かなくなることがあるからな」
言い訳がましくサンジが呟く。互いに理解し合っているからこその言葉なのだろうか。
もう一人のサンジは非難めいた眼差しをサンジに向けた。
サンジは不意に口を噤むと、穏やかな顔つきで床に散らばった服をかき集めた。ところどころ皺がいってしまっていたが、汚れてはいなかった。もう一人の自分に手早く衣服を着せると、相手の顔をじっと凝視した。
ゆっくりと、手を伸ばす。
鏡をあわせたかのようにそっくりな二人が手をさしのべ、一瞬、指先が触れ合った。
電流にも似たピリピリとしたものが指を伝う。引っ込めた手をすぐにまた差し出し、指先からゆっくりと手のひらをあわせた。
やがてサンジが小さく、口の中で何事かを呟いた。
「お前……」
語尾が尻窄みに消えていき、何を言っているのかよくわからなかった。
「……あたたかいな」
と、もう一人のサンジ。
少しの間見つめ合った後、もう一人のサンジはゆっくりと消えていった。まるで、サンジの中に吸い込まれていったかのようだった。
おそらくもう一人のサンジは、自分の境遇を納得したわけではないだろう。それでも彼がサンジの中に戻っていったということは、何かしら自分の中で理解したものがあったのだろう。
ふと見ると、足下に濃いえび茶色のシャツが落ちていた。
「なんだ、アイツ……」
呟き、サンジはにやりと苦笑した。
また、もう一人のサンジに会えるかどうかはわからなかったが、次に顔を合わした時には今よりももっとぎこちなさが抜けているだろうとサンジは思った。
きっと、次に会う時には……──
END
(H16.11.17)
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