秋空に思う 3

  期待させるようなことをしないでほしいと獄寺は思う。
  綱吉の手が、自分の髪に触れるのは嬉しかった。体中が張り詰めて、嬉しさではち切れそうになった。それでも気持ちのメーターがふっきれてしまわなかったのは、綱吉に好きな人ができたことを知っていたからだ。
  この人は、自分のものではない。
  ボンゴレ十代目としてこの先、マフィアのボスになる人だ。好きな人もいる。
  自分などが触れていいような人ではない。
  この人に、触れていいのは……。
  考えながら、悲しくなってきた。
  自分では駄目なのだ。この人の側にいることはできても、この人の好きな人になることはできない。何故なら自分は男で、ボンゴレ十代目の右腕だから──
  そう考えた時に、獄寺は胸の中にポッカリと大きな穴が空いたような感じがした。
  がらんとした空洞の奥には、何もない。
  自分の綱吉への気持ちは、この空洞のずっと奥に隠し込んでしまわなければならない。
  自分ごときの気持ちが溢れ出してしまわないように、気づかれないよう、隠さなければならない。
  この先、この人が自分のことを恋愛の対象として見てくれることはおそらくないだろう。
  そもそも自分は、男だ。綱吉も男だ。男同士で恋愛など、不毛でしかないではないか。
  はあぁ、と溜息をつくと、口寂しい感じがした。
  まさかよそ様の家で煙草を吸うわけにもいかないだろうと堪えていたものの、吸えないのだと思うと急に吸いたい欲求が大きくなってくる。
  一度は就寝時間だからと綱吉のベッドに潜り込ませてもらったが、こうも眠れないのはどうにも辛い。物音を立てないようにこっそりとベッドから抜け出して、獄寺は足下に置いてあった自分の荷物を手探りで探した。
  煙草は……とポケットを探ると、最後の一本がズボンの尻ポケットから出てきた。くしゃくしゃに折れて、ひしゃげていたが、これしかないのだから仕方がない。窓を開けて頭だけ外に出して、煙草に火をつける。
  ふうぅ、とゆっくり時間をかけて煙草をふかした。
  涙が滲んでいるような気がするのは、煙が目に入って痛いからだ。
  悲しいわけではない。
  綱吉の部屋のベランダから頭を出して、煙草を吸いながら獄寺はそう強く思った。



「風邪ひくよ、獄寺君」
  暗がりの中で不意に声をかけられた。
  ドキッとして身じろいだ瞬間、窓枠に肘をぶつけた。静まり返った暗がりの中にガタン、と音が響き、獄寺は慌てて身をすくめる。
「すっ、すんませ……わっ、あちっ、あちちっ……!」
  言いかけたところで今度は短くなった煙草の熱で指を火傷して、わたわたと部屋の中に頭を引っ込める。
  みっともないことこの上ないところにパチリと部屋の灯りがつけられて、眩しさに目をすがめていると綱吉が顔を覗きこんできた。
「大丈夫?」
  眩しくて目を細めたまま、獄寺は小さく頷いた。
「はい、大丈夫っス」
  そう返した獄寺の手元に、携帯用のアッシュトレーが差し出される。
「ほら。煙草、もう終わりにしたほうがいいよ?」
  言いながら綱吉は、獄寺が手にした煙草をさっと取り上げ、アッシュトレーの側面で火をにじり消した。反論する間もなかった。
  呆気にとられていると、綱吉の手が伸びてきて、獄寺の髪をくしゃり、と撫でつける。
「もう遅いから、寝よ?」
  近づいてきた綱吉の顔を見るのが恥ずかしくて、獄寺はわずかにあとずさる。
  思い出したように胸の鼓動がドキドキとうるさく騒ぎ出す。
「は……はいっ、十代目」
  声は、裏返ってはいなかっただろうか。
  顔が赤くなってはいないだろうか。
  そんなことを心配しながらも、綱吉に言われるがまま、獄寺はベッドに潜り込む。
  すぐに綱吉が隣の空間に潜り込んできて、首筋のあたりにフッと吐息がかかる。
  ドキドキしすぎて眠れやしないと、獄寺は思った。
  綱吉はなんともないのだろうか? こんなふうにひとつのベッドで誰かと一緒に眠ることが気にならないのだろうか?
  頬がどんどん熱くなっていく。
  熱が出そうだと、獄寺はこっそりと溜息をついた。



  結局、まんじりともできなかった。
  意識しないようにと思えば思うほど、綱吉の存在を意識してしまい、眠ることなどできやしなかった。
  今までこんなふうに綱吉のことを意識したことなど、ついぞなかったはずだ。
  やはり、綱吉に好きな人ができたというのが尾を引いているのだろうか。
  カーテンの隙間から見える東の空がゆっくりと白んでいくのを、獄寺はぼんやりと視線だけで追いかけている。
  どこからか入り込んでくるひんやりとした空気が冷たくて、ベッドの中で獄寺は小さく身震いをした。
  綱吉はぐっすりと眠っている。
  これまで、こんなふうに綱吉の部屋に泊まることはあっても、意識をすることはなかった。綱吉に対して好きだと、恋愛感情を交えた好意を持ちながらも、実際にはここまで意識してはいなかったのだ。
  それが、どうだろう。
  綱吉の言葉によって自分は、振り回されているような感じがする。
  急に綱吉の存在を意識し始めたかと思うと、その行動に始終胸をドキドキさせている。
  いったい自分は、どうなってしまったのだろう。
  それでもやはり辛いと思うのは、期待を持たされることだ。
  綱吉には好きな人がいるのだと改めて自分に言い聞かせると、獄寺はそっと目を閉じる。
  目の端では朝日がちらちらと見えてはいた。
  この時間から眠るよりも起きていたほうが楽なことはわかっていたが、今は無性に眠りたかった。



  教室での綱吉は、いつもとかわりなかった。
  休憩時間だってそうだ。
  いつもの綱吉とかわらない。
  いったい、彼の好きな人というのは誰なのだろう。
  気になって気になって、仕方がない。
  直接、綱吉に尋ねてみることも考えたが、そんな大それたことはできないとすぐに却下した。もしも綱吉の口から好きな人の名前を聞いてしまえば、失恋のショックとその相手に対する嫉妬とで、いっぱいいっぱいになってしまいそうだったからだ。
  いったい相手は誰だろうと思いながらも、知りたくないような気がする。
  おそらくは、そのほうがいいだろう。
  知らないままでいれば、そのうちいつか、自分の綱吉への気持ちも冷めていくかもしれない。男同士の恋愛なんて不毛なものだから、そのほうがいいに決まっている。
  なにより、綱吉に迷惑をかけずにすむだろう。
  そう思って、獄寺ははあぁ、と溜息をつく。
  放課後の屋上に照りつける日差しはもうすっかり秋の日差しで、空は相変わらず高かった。
  吐き出した息と一緒に、煙草の煙がもわっと宙に浮かんで広がっていく。
「十代目……」
  呟いてもうひとつ溜息をつこうとしたところで、背後から声がした。
「──風紀違反だよ」
  ドキッとして一瞬、獄寺の全身の筋肉が固まったようになる。
  煙草を口にくわえたままじっとしていると、フフッと小さな笑い声が聞こえてくる。
「ごめん、獄寺君」
  オレだよ、と声がして、背後から両腕を掴まれた。
「ちょっと……ふざけすぎだった?」
  そう尋ねてくる綱吉の声は、どこかしら心配そうだ。
「いえ、そんなこと」
  答えながらも獄寺の意識は、両腕を掴む綱吉の手に集中している。制服の布地越しに、綱吉の体温が伝わってきそうな気がする。
「少しだけ、このままで……」
  掠れた声がした。背中に押しつけられているのは、綱吉の額だろうか?
「……十代目?」
  恐る恐る声をかけると、さらに額がぐいぐいと押しつけられた。
「困ってるんだ、オレ。好きな人ができたんだけど……どうしたらいいかわからなくて」
  いつになく沈み込んだ声に、獄寺はドキドキする。
  不謹慎だなと思わずにいられない。綱吉が落ち込んでいる時に、自分は、こんなにも胸をドキドキさせている。綱吉に触れられて、たまらなく嬉しいのだ。
「こっ……」
「こ?」
「こ、告白…とか、しないんスか?」
  尋ねると、また額をぐりぐりと背中に押しつけられた。
「んー……したいんだけど、できないんだ」
「なんでですか? 十代目なら、だいじょーぶっスよ!」
  他の人がどう思うかは知らないが、自分ならいつでも大歓迎だ。むしろ綱吉に告白されてみたいと思う。
「……相手の気持ちがわからないんだ」
  そう言った綱吉は、しばらく黙って獄寺の背中に額を預けていた。
  しばらくはしんと静まり返った空気の中で、二人ともじっとしていた。運動部の部員たちの声が、グラウンドでは賑やかに響いている。
  なにか言葉をかけるべきかと獄寺が口を開こうとすると、唐突に綱吉が喋りだした。
「相手がオレに対して好意を持ってくれているのはわかるんだ。だけど……恐い、のかな。その好意が、本当にオレのことを想ってくれているからなのか、それともオレの後ろのなにか別のものに対する憧れとかだったらどうしよう……って」
  ヘンだよね、と。そう呟いて、綱吉はさっと獄寺の腕から手を離した。



(2011.11.16)
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