どう返したらいいだろう。
獄寺はドキドキする胸をシャツの上から軽く片手で押さえて、深呼吸をする。
自分の言葉如何では、綱吉は好きな人に告白をしてしまうかもしれない。もちろん、綱吉が幸せならそれはそれで構わない。綱吉の幸福それすなわち、獄寺の幸福でもあるのだから。
だが、自分以外の誰かと綱吉が恋人として仲睦まじくしているところを見るのはご免こうむりたいとも思う。自分勝手だということはわかっていたが、それが今の獄寺の正直な気持ちなのだから仕方がない。
「……いっそ、俺にしとけばいいんスよ、十代目」
冗談めかして獄寺は呟いた。
「そうしたら、こんなふうに悩むことも…──」
「馬鹿ッ!」
綱吉が叫んだ。
日頃、あれほどまで穏やかな雰囲気の綱吉が、珍しく声を荒げて獄寺を睨みつけている。 「あ、の……十代目?」
怪訝そうに、しかしうかがうように、獄寺は声をかけた。
「そんな言い方……可哀想だろ、君の気持ちがっ!」
言いながら綱吉は、ぐい、と獄寺の手を引いた。バランスを崩した獄寺がよろけたところを抱き留めようとした途端、自分もよろけて二人してコンクリートの上に転がるハメになってしまった。
「痛たたっ……」
背中からコンクリートに転がった綱吉の上に、獄寺は覆い被さるようにして転がり込んだ。わざとではないのは確かだ。二人とも、偶然に足がもつれて転んでしまったのだ。
「いてぇ……」
憮然とした表情で獄寺は呟いた。
自分の体の下で、綱吉がもぞもぞと決まり悪そうにしている。
「だ…大丈夫だった、獄寺君?」
重なり合った二人の心臓が、制服越しにドクン、ドクン、と脈打っているのが感じられ、獄寺はほんのりと頬を赤らめた。
コンクリートの上に寝転がったまま、綱吉の手が獄寺の背中にそっと回される。抱きしめられているのだと思うと、いっそう獄寺の胸の鼓動は忙しなく鳴り響きだす。
「あ、の……十代目?」
恐る恐る獄寺は声をかける。
いくらここが屋上で、ひと目がないとは言え、いつまでもこうしているわけにはいかないだろう。
「うん。なに?」
「離してください、十代目」
綱吉の腕が、ぎゅうぅ、と獄寺を抱きしめてくる。
あたたかくて、居心地がよくて、できることならずっとこのままでいたいと獄寺は思う。 「……──が、好き」
不意に耳元で、綱吉が囁いた。
掠れて、おどおどとした声は微かに震えていた。
獄寺の頭の中が、一瞬にして真っ白になった。
「帰らないと……」
ボソボソと獄寺は呟いた。
学校の屋上、コンクリートの上に転がったままで、二人は抱き合っていた。
あれからどのくらい時間が過ぎたのだろうか。
日差しは相変わらずだったが、風が少し、冷たくなってきた。
「まだ大丈夫だよ」
綱吉が低く返す。
綱吉が好きだと囁いたあの言葉の意味が、獄寺には今ひとつよく理解できないでいた。
きっと綱吉のことだから、あれは友だちとしての「好き」だろう。好き。綱吉は、自分のことを友だちとして好きでいてくれるのだ。
それがわかっただけでも充分ではないかと、獄寺は胸の内で自分に言い聞かせる。
綱吉が自分を「好き」なのは、恋愛の対象としてではないはずだ。笹川京子や三浦ハル、クロームなど女の子には事欠かない綱吉が、わざわざ男の自分を恋愛対象として「好き」になるはずなどない。そんなことは、決してあってはならないはずだ。
「帰りましょう、十代目」
そうきっぱり言い切ると、獄寺はあたたかな腕の中からするりと抜け出した。
まだコンクリートの上に寝転がったままの綱吉の手を取り、ぐい、と引き起こす。
「制服、汚れちゃいましたね」
立ち上がった綱吉の背中は、砂埃で白くなっている。コンクリートの上でゴロゴロしていたから、きっと自分の背中の状態も似たり寄ったりだろう。「失礼します」と声をかけて獄寺は、綱吉の背中の汚れを払った。
綱吉の背中の汚れを払いながら獄寺は、鼻の奥がツン、としてくるのを感じた。
「……埃、結構ついてますね」
そう言って獄寺は、砂埃のせいにして鼻をスン、と啜る。
目元が赤いのは、無理に気にしないことにした。
今なら、砂埃のせいにしておけるだろう。
二人で並んで帰る道が、今日は酷く長く思われた。
二人きりでいるのが、辛くてならない。
こんな日に限ってあの野球バカは、部活に行ってしまっていない。こんな時に一緒にいないでどうするよと、獄寺は眉間に皺を寄せる。
山本が一緒だったら、綱吉はきっと、あんなことを口にしなかっただろう。屋上で、獄寺を抱きしめたりはしなかっただろう。
山本さえ、あの時、あの場にいれば……。
綱吉はと言うといつもと変わりない様子で、それが逆に獄寺を不安にさせた。
綱吉の言葉の意味が知りたいような気もしたし、知りたくないような気もした。
知ってしまえば自分は、今の自分ではいられなくなってしまうだろう。
友だちの「好き」だとしても、恋愛対象の「好き」だとしても、自分には荷が重すぎる。 これが右腕としての「好き」だったなら、獄寺の気持ちもまた違ったものになっていたはずだ。
辛すぎると、獄寺は思った。
今の自分には、どちらにしても辛くてならない。友だちとしての「好き」は確かに嬉しいが、そうすると自分が綱吉に抱いている恋愛感情を押し殺さなければらななくなってくる。一方、恋愛対象としての「好き」となると、綱吉の立場と自分が男であることを鑑みると、両手放しで喜ぶわけにはいかなくなってくるだろう。
どちらにしても、自分が辛い思いをするのだろうか。
綱吉は、辛くはないのだろうか。
ただ「好き」という言葉にだけ反応して、喜んでいられたらよかったのにと思わずにはいられない。言葉の裏の意味を考え始めた時から獄寺は、純粋に綱吉の気持ちを嬉しく受け止めることができなくなっている。
はあぁ、と溜息をつくと、いつもの分かれ道だった。
もうこんなところだったのだ。
「それでは、十代目。失礼します」
いつものように頭を下げて、獄寺は自分の家へと続く道へ足を向ける。
歩きだした途端、背後から綱吉が声をかけてきた。
「獄寺君っ!」
立ち止まって獄寺は、背後を振り返る。途端に目に入ってくる秋空の青さが眩しいほどだ。
「さっきの言葉、よく考えておいて。明日、返事が欲しいんだ」
そう告げると綱吉は、獄寺が反論しようとするよりも早く「じゃあ!」と声をかけて小走りに去っていってしまった。
柄じゃないよなと獄寺は思う。あれはいつもの綱吉らしくなかった。あんなふうに強引な綱吉は、滅多にお目にかかったことがない。
それだけ切羽詰まっているということだろうか?
明日、と、綱吉は言った。
明日には、綱吉に返事をしなければならない。
やはり屋上で言われた「好き」は、自分のことだったのだ。
どう返事をいたらいいだろうかと獄寺は思う。
どうしたら自分の気持ちを綱吉に伝えることができるだろう。今の自分の気持ち、正直な、嘘偽りのない気持ちを、綱吉に伝えたい。
綱吉は、理解してくれるだろうか?
とは言うものの獄寺自身、自分の気持ちをうまく伝えることができるかどうか、あまり自信はない。
右腕として認めて欲しくて、友だちでもあり、そして恋人でもある、そんな関係を望んでいるのだが、そんなのは我が儘だと言われやしないだろうかと危惧してもいる。
難しすぎると、獄寺は溜息をつく。
どれかひとつを選べと言われたなら、まず迷うことなく十代目の「右腕」と答えるだろう。それは間違ってはいないと思う。だが、同時に恋人でもあり、友だちでもあることを望んでいるのだと言えば、どうだろう。綱吉はいったいどう思うだろう。どう言うだろう。
そのことを考えると、恐くてたまらない。
欲張りだということは自分でもわかっている。我が儘だということも。
だけどひとつでは足りないのだ。
全部、手に入れたい。
夕方の風が薄着の身に染みたが、空は相変わらず青く澄んでいた。
はあ、と溜息をつき、獄寺は帰り道をトボトボと歩く。
答えを出すのが恐い。
いちど答えを出してしまえば、後戻りはできないような気がしてならない。
自分の気持ちも、綱吉の気持ちも、たったひとつの方向に定まってしまうような気がしてならないのだ。
「俺は……俺も、十代目のことが好きです……」
ポツリと、空に向かって呟いた。
明日、はっきりと自分の気持ちを告げよう。
どれも全部がいいと。
右腕も、友だちも、恋人も、全部。
でなければ、綱吉の気持ちには応えられない、と。
こんな我が儘を綱吉は聞き入れてくれるだろうか?
──たぶん、彼は聞き入れてくれるだろう。獄寺の望むような言葉を綱吉は、さらりとごく自然にかけてくれるはずだ。
「やっぱ敵わないんスよね、十代目には」
そう呟いて零した溜息は、先ほどまでのように重くどんよりとしたものではなかった。
|