緋色の月 1

  誕生日を祝ってやると了平とランボに呼び出されたのは夕方の早い時間のこと。
  あまり気乗りはしなかったが、二人から呼び出されれば断わることもできず、綱吉は指定された料亭へと足を向けた。
  芸者姿の女の子たちを侍らせて、料理と酒に舌鼓を打ちつつも、綱吉はさっきから時計の針ばかりを気にしている。
  自分の誕生日だというのに、どうしてこんなに気を遣わなければならないのだろうか。
「あの……オレ、そろそろ……」
  もういい加減に店を出たほうがいいと思うのに、了平とランボの二人が両隣に陣取り、綱吉を解放してくれない。これはおかしい、なにかあるぞと思い至ったのは、すっかり遅い時間になってからのことだ。
  このままでは今日中に獄寺と会うこともかなわなくなるかもしれない。
  ジリジリと尻を浮かせて座敷を後退りかけたところで、手前の襖が大きく引き開けられた。
「あれっ、ツナ。こんなとこでナニやってんだ?」
  山本だった。
  襖の向こうには、山本が立ち尽くしていた。
「山本?」
  怪訝そうに綱吉が首を傾げる。
  山本の手が伸びてきて、綱吉の腕を掴んで立ち上がらせた。
「獄寺が、部屋で待ってるってさ」
  耳元で山本がそう言ってニヤリと笑う。
「あ……うん。ありがとう」
  これで帰るための言い訳ができたと綱吉は、振り返りもせずにそそくさと料亭を後にしたのだった。



  料亭を出た綱吉が空を見上げると、月が出ていた。
  曇り空に浮かぶ月は、濁ったような淡い緋色をしている。このまま雨になるかもしれないなと、綱吉は思う。
  少し行った大通りでタクシーでを捕まえると、マンションの自分の部屋へと向かった。
  半月ほど前から獄寺とは同棲をしていた。
  今は好きな人と一緒に暮らすことの難しさ、楽しさを満喫しているところだ。ただ恋人としてつき合うだけだった頃とは違う。一緒にいる時間が増えると同時に、すれ違う時間も増えた。同じ屋根の下に暮らしているのに、顔を合わすことなく生活のリズムを刻むということは、なんと味気ないものなのだろう。
  これではいけないと思いながらも同棲生活を続けているのは、少しでも獄寺と一緒にいたいからだ。
  気配だけでもいい。たとえ顔を合わすことができなくとも、一緒に住んでいるのだというなにかしらの証が欲しかった。
  たかだかひと月にもならない同棲生活だというのに、こんなふうに周囲にちょっかいを出されただけで呆気なく破綻させるつもりはこれっぽっちも綱吉にはない。
  急いで家へ戻ると、エントランスのエレベータを横目にやり過ごし、慌ただしく部屋まで階段を駆け上がる。
  帰ったことを知らせるためにバタン、とわざと大きな音を立ててドアを開閉するが、獄寺は顔を出さない。
「あれ? 獄寺君?」
  ただいまと声をかけるものの、返ってくる声もない。
  山本は、獄寺が部屋で待っていると言ったのは、あれは嘘だったのだろうか?
「おかしいな……」
  呟きながら綱吉は、バスルームへ足を向ける。料亭での料理や侍らせていた女の子たち──もっともこれは、ランボの好みで侍らせていたのだが──のにおいが移ってしまったような気がして、あまりいい気がしない。
  バスルームでさっと汗を流し、また部屋に戻る。
  獄寺の姿が見えないのが気がかりだが、相手は自分と同じ大人だ。仕事が押しているのかもしれないと思うと、無理を言うこともできないだろう。
  今日中に顔を合わせることはできないかもしれないなと思い始めた頃になってようやく、リビングから獄寺の声が聞こえてくることに綱吉は気づいた。
「……て……助けてくださ……十代目……」
  掠れた声で、獄寺が呼んでいる。
「獄寺君?」
  慌てて綱吉はリビングに飛び込んでいく。
  あの獄寺がこんな弱々しい声を出すなんてことがこれまでにあっただろうか?
  いったいなにが、と思いながらリビングのドアを開けると、目の前にはしどけない姿でテーブルの上に横たわる獄寺の姿があった。



「ん、なっ……ご、獄寺君?」
  なにを言えばいいのだろうかと綱吉は真っ白な頭を振り絞って考える。
  いったいこれは、どういうことなのだろうか。
  目の前に広がる……この、光景。
  山本はこのことを知っていて綱吉に、獄寺が「待っている」と告げたのだろうか?
「じゅ…十代目……」
  ヴ、ヴヴヴ……と低い振動音がリビングには響いていた。なんの音だろうと思いながら綱吉は、獄寺のほうへと近づいていく。
  素っ裸でテーブルの上に仰向けに寝そべる獄寺の胸から腹の上には、刺身が盛ってあった。
「刺身……だよな?」
  確かめるように、綱吉は呟く。
「十代目ぇ……」
  はふっ、と苦しそうに獄寺が息を吐き出す。
「いったいどうして……」
  言いかけた綱吉を、獄寺が潤んだエメラルドの瞳で見上げてくる。
「や…山本のヤツと、シャマルに……」
  獄寺の声は上擦っていた。
「山本が?」
  言われてみれば、あり得ないことではなかった。料亭にいた綱吉に、獄寺が部屋で待っているからと耳打ちをしてきた山本なら、この状況を知っての言葉であってもおかしくはない。そうすると、了平とランボも共犯者ということだろうか? 綱吉たちよりもはるかに年上のシャマルまで一緒になって、いったいどういうつもりなのだろう。
  それにしても、と綱吉は思う。
  目のやり場に困ってしまうのは、あまりにも獄寺の姿が扇情的だからだ。
  乳首の周囲を飾り立てるように盛りつけられているのは甘エビとウニ、それにイカだ。みぞおちのあたりからマグロ、マダイ、スズキがずらりと並んでいる。花に見立てた魚の身に、艶やかなイクラの粒が映える。臍よりも下、陰毛のあたりにはカニが置かれている。
「すごいな」
  呆れると同時に、綱吉は感心してしまう。まさか獄寺がこんな姿になっているとは思いもしなかったのだ。
  もしかしてこれのために了平とランボが、綱吉を料亭で足止めしようとしていたのだろうか? 彼らなりに、綱吉の誕生日を祝ってくれようとしていたのだろうか?
「……感心してないで早くなんとかしてください、十代目!」
  焦れったそうに獄寺が叫ぶ。
「どれから食べればいい?」
  尋ねると、獄寺は恨めしそうな眼差しで綱吉を小さく睨みつけた。



  箸を手にした綱吉は、獄寺の白い裸体の上を飾る刺身をじっと見つめる。
  どれから食べようか。
  どこに手をつければ、獄寺の姿が乱れるところを見られるだろうか。
  頭の中にふっと浮かんだよからぬ思いに苦笑しながら、綱吉は箸を延ばす。
  まずは、腹の上にあるマダイだ。刺身に箸をつけると、くすぐったいのか獄寺の腹がヒクン、と蠢く。
「だめだよ、獄寺君。じっとして」
  そう言って綱吉は、一切れずつ刺身を平らげていく。
「んっ……でもっ……」
  綱吉の箸が胸のあたりに延ばされると、獄寺が困ったように目をつぶってしまった。
「じゅ…代目……」
  刺身が肌に触れる感触が気持ち悪いのだろうか、獄寺はぎゅっと目を閉じたまま、綱吉の食事が終わるのを耐えている。
「ぁ……」
  綱吉の箸の先が肌に触れるたびに、獄寺は甘く微かな声を洩らした。早く食べ終えてやらなければと思う一方で、もっと獄寺を見ていたいとも思う。ぎゅっと目を閉じた獄寺の目尻には朱が差して、ひどく艶めかしく見える。箸が触れるたびにヒクヒクとなる腹筋。いつの間にか陰毛の中で性器が頭をもたげ始めていて、獄寺はそれを隠そうとして立て膝にした足を合わせようとさっきから必死になっている。
  勘違いしそうになるような甘い響きの声を尻目に、綱吉はなに食わぬ顔で刺身を食べながらもその実、ドキドキし続けている。
  なんていやらしいのだろう。
  こんな誕生日プレゼントを受け取るのは、初めてでどうしたらいいのかわからないぐらい舞い上がってしまいそうだ。
  それにしても、いったい誰がこんな誕生日プレゼントを思いついたのだろうか。こんな……淫らでいやらしい趣向を考えつく者など、綱吉の周囲にはほとんどいない。獄寺が女性だったなら、もしかしたシャマルが考えたのかと思うところだが、おそらく違うだろう。
  手を止めてじっと考え込んでいると、獄寺がもぞもぞと腰を揺らした。
「──…く……十だぃ目、早くっ!」
  強請るような獄寺の声に、綱吉ははっと我に返った。
「なに、今の。すごくエロい声……」
  だけど、こんな獄寺も可愛いと思う。
  綱吉は顔を寄せると、獄寺の胸に唇を寄せた。残ったままだったウニをパクリと食べると、ついでとばかりに獄寺の乳首をベロリと舐めあげる。途端に獄寺の身体がビクン、と大きく震える。
「んっ、ぁ……」
  獄寺の声が可愛らしくてたまらない。
  ざりざりと胸の先をねぶりながら綱吉は、もう片方の手であらかた食べ終えた腹の上をそっとなぞった。
「ふ、……ぅ……」
  獄寺の胸が、大きく上下する。
  しょっぱいようなウニの味がいつもより美味しく思えた。



1         

夜の欠片へ

(2011.9.19)



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