『I vowed never to…… 2』
焼けるような痛みの中で、ゾロの意識は朦朧としていた。
サンジが近くにいるらしいことは気配でわかっていた。時折、耳に聞こえてくる足音と気配でサンジだと確認しては安心する。その繰り返しだった。
そのうちに隣の部屋からガタガタと音が聞こえてきた。何をしているのか気にもならなかった。痛みのほうが大きく、出血が多かったのか、手足の先が冷たかった。身体が思うように動かないこともあって、ゾロはじっと目を閉じていた。じくじくとした痛みがゆっくりと身体を蝕んでいくのがわかる。寝ていれば治るはずだと言い聞かせ、じっと目を瞑っていた。
もしかしたら少しの間、眠っていたのかもしれない。
ぼんやりとした意識の中で、サンジの声がどこか遠くの方から聞こえてくるような感じがした。
「チョッパーを連れてくる。戻ってくるまでここにいろ」
命令口調でそう言われ、ゾロは少しばかりムッとした。と、何やらひんやりとしたやわらかなものが唇に押しあてられた。サンジの唇だった。湿ったサンジの唇の間から、ぬるくはあるが水が与えられた。貪るようにゾロはその水を啜った。
「もう一口、飲んどけ」
そう言ってサンジはふたたび唇を押しつけてくる。ゾロはもういちど生ぬるい水を啜り、サンジの唇のひんやりとした感触を味わった。
「水が飲みたくなったら、頭の方にコップを置いておく。必要なだけ飲め。ただし、今はケトルに入っているだけしかない。できるだけ早く戻ってくるから、いい子にしてろよ」
サンジの言葉に、ゾロは片方の眉をくい、と上げて応えた。それだけだった。
「暗くなる前に戻ってくるからな」
そうサンジは言った。すぐにパタン、とドアの閉まる音が聞こえてくる。
ゾロは意識を手放した。
※
不衛生な路地を足早に通り抜けながらサンジは焦っていた。
早く港に辿り着かなければならないのに、なかなか港への道が見えてこない。確かにこちらの方角からきたはずなのに、もと来た道がわからない。路地が終わると田園風景が続いていた。丘陵地帯を駆け抜けた覚えはあったが、こんな風景だったかどうかは覚えていない。マリモ剣士じゃあるまいし、と思いながらもおそるおそるサンジは丘を下り、すぐ目の前の路地に飛び込んだ。
路地を抜けると広場だった。どうにか見覚えのある景色のところに戻ってきたような気がする。
ゾロが撃たれた、あの場所だと気付いたのは、先ほどと同じ場所に露店商のはげオヤジがいたからだ。
混乱のなくなった広場はどこか陰気な空気が漂っている。明るかった人々の顔付きが、いつの間にか暗く翳って見えるようになっていた。
あの時、ゾロが落とした荷物はどうなったのだろうときょろきょろとあたりを見回したが、どこにも荷物は残っていなかった。処分されたか持っていかれたか。あれだけの荷物だ。もったいないことをしたと思うと同時に、麦藁海賊団の財布の紐を握るナミに話したら怒られるなとサンジは肩を落とした。
恨めしそうに石畳をじっと横目に眺めながら、サンジは先を急いだ。
潮の香りを含んだ風が、ふわりとサンジの頬に吹きつけてくる。
それにしても、心なしか海兵の姿が急に増えたようだ。
先ほどの海賊が逃走中なのだろうか、すれ違う海兵の言葉の端々に耳を傾けていると、どうやらどこかの海賊団の下っ端がこの港に逃げ込んだようだった。下っ端の一人や二人なら放っておけばいいものを、海軍の連中は何をそんなに血眼になっているのだろうか。
もっとも、その間はこちらに海軍の目が向くこともないだろう。しかしだからと言って安心することは出来なかった。海軍は件の海賊一人を捕まえることに躍起になっている。サンジたちがおとなしくしている限り、海軍はこちらにまで余分な注意を向けることもないだろうが、何か目立つことをしたらすぐに海軍がやってくる。こういう時に不審な行動を取らざるを得ない状況というのも、あまり嬉しくないことだ。
はあ、と大きな溜息を吐くと、サンジは桟橋に向かって走り出していた。
メリー号に戻ると、甲板に全員が揃っていた。
「サンジ君、遅かったのね」
買い出しの荷物をひとつも持っていないサンジを咎めるように、開口一番にナミが言った。苛ついているのか、腕組みをした右の人差し指が左の二の腕を神経質そうに叩いている。
「ナミさん、それが……」
言いかけたサンジの言葉を遮るように、チョッパーが小さく叫んだ。
「血っ……血のにおいがするぞ、サンジ! どこか怪我でもしたのか?」
わたわたと小さな身体を揺すりながら、チョッパーが心配そうに尋ねかけてきた。くりくりとした丸い目が、真摯にサンジを見つめている。
「本当だ。サンジ、お前、シャツに血が付いてるぞ」
そう言ったのはルフィだ。ウソップも横から覗き込んで、うんうんと頷いている。ふと見ると、シャツの裾に点々と血が付いていた。ゾロの血だ。丘陵地帯を越えたあたりからゾロの足取りは目に見えて遅れがちになっており、臭くて狭い路地を通り抜ける頃にはあの筋肉ダルマを半分背負うようにして走ったのだ。血は、その時にでもついたのだろう。
「いや、俺じゃなくて……」
「剣士さんね」
と、ロビンが冷静にサンジの言葉を繋ぐ。ロビンの澄んだ眼差しに見つめられ、サンジは言わなければならない大切なことを思い出した。
「そうなんだ」
そう返すと、サンジはぐるりと仲間の顔を見回す。
「聞いてくれ、ロビンちゃん、ナミさん。ゾロが、撃たれた──」
すぐにゾロを船に連れ戻すための計画が立てられた。
まずは怪我の治療のためにチョッパーが隠れ家へ行くことになった。傷の状態によってはすぐに動かすことができないこともあり得る。ログが溜まる限界まで隠れ家でゾロに療養してもらうことも一度は考えられたが、あまりいい案ではないように思われた。
もっとも、まずは患者の様態を見てからでなければ何とも言えないというチョッパーの意見が最終的な結論となったのだが。
暗くなる前に偵察も兼ねて港の様子を確かめられるようにとチョッパーとサンジ、ナミ、それにルフィの四人がメリー号を後にした。
ウソップ、ロビンの二人はメリー号で留守番だ。
途中、露店商のいる広場でナミとルフィは目についた酒場へと入っていった。二人はサンジが戻ってくるまで、ここで待機しながら周辺の情報を聞き出してくれることになっている。
チョッパーを連れてサンジは歩いた。
足早に歩くサンジの後を、チョッパーは必死になって追いかけてくる。
だが、待ってくれとも早すぎるともチョッパーは言わなかった。
チョッパーは彼なりにゾロのことを心配していた。サンジと同じようにチョッパーも、気持ちが急いて仕方がないのだろう。
二人して黙々と歩いていく。
人ごみの中を通り抜け、海軍の姿を見かけたら怪しまれないように買い物中の親子のようなフリをして、少しずつ道を進んでいく。
焦る気持ちをどうにか押さえつけ、一歩いっぽ確実に、二人はゾロがいる隠れ家へと歩み続けた。
※
ごみごみとした広場をなんとか通り抜け海軍をやり過ごすしたところで、チョッパーはハーッと息を吐いた。
人混みが恐かった。どことなく緊張した空気の流れる中を、チョッパーは頭からすっぽりとフードを被ってサンジの後をついて歩いた。それでも恐かったのだ、チョッパーは。
いつの間にか町には戒厳令が敷かれていて、この町の住民ならともかく、外からやってきた……特に不審な者に対しては厳しい検査が待ち受けていた。午前中にはそんな気配は微塵も感じられなかったとサンジは言っている。おそらく、ゾロが撃たれてから後に戒厳令は敷かれたのだろう。人間なら人間、トナカイならトナカイの姿でいることができれば、こんな不安を感じる必要もないのだろうが、人間と獣の間の姿を彷徨うチョッパーは不安でたまらない。
「まだ着かないのか?」
小さな声でチョッパーが尋ねると、サンジは少し困ったように笑った。
「この丘陵地帯の向こうにある居住区の中なんだ」
どこが、とまでサンジは言わなかったが、チョッパーにはそれだけでわかった。
「……わかった。急ごう」
短く応えると、チョッパーは歩く足を速めた。
海軍に撃たれたというゾロの怪我も気になった。あのゾロが、怪我をした。それも戦ってではない。流れ弾にあたったのだという。話を聞いた時にはまさかと思った。仲間の誰もがそう思ったはずだ。ありったけの薬をドクターバッグに詰め込んで、チョッパーはサンジの案内で隠れ家へと急いでいる。
気は逸るのだが、なかなか足が思うように動かない。
それに、なんだか後をつけられているような気がしてきた。カサカサと枯草の間を行き交う、小さな小さな足音が聞こえてくるような気がするのだ。
隠れ家に辿り着いた時にはチョッパーは泣き出しそうな顔付きになっていた。
それに、この路地に入った時から漂ってくる鼻が曲がりそうな悪臭と、薄ら寒い不衛生な空気に、本当にゾロは大丈夫なのだろうかという気になってくる。
「ここだ」
サンジが低く告げるのに、チョッパーはごくりと唾を飲み込んだ。
そっとドアを押すと、錆びた蝶番がギイィ、と音を立てた。
To be continued
(H17.2.21)
(H27.8.23加筆修正)
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