『I vowed never to…… 5』



  隠れ家の外は、相変わらず悪臭が漂っていた。
  鼻がひん曲がりそうになるのを必死に堪えてチョッパーは、隠れ家の周囲を見て回った。
  ここまではあの海軍兵士たちも──チョッパーたちは、彼らが実際にはならず者でしかないことをまだ知らない──やってくることはないだろう。
  町で見かけた兵士たちはあまり素行のよろしくない連中のような気がした。それに、この隠れ家に辿り着くまでの間に感じた、後をつけてくる気配のことも気にかかる。
  サンジには言わなかったが、チョッパーは確かに気配を感じていた。
  だがそれも、この隠れ家のあるエリアに辿り着く頃には消えていたから、気にしないようにしていただけのことだ。
  すん、と鼻を鳴らしてあたりのにおいをチョッパーは嗅ぐ。
  後をつけてきた者のにおいは、このあたりに漂う悪臭のせいで嗅ぎ取ることができなかった。
  だが、あの時のチョッパーは確かに気配を感じていた。誰かが後をつけてきている。じっとこちらを見つめて、歩いてくる気配。カサカサと鳴る葉擦れの音。微かな、耳をそばだてなければ聞き逃してしまうほど微かな足音。サンジは気付かなかったようだが、チョッパーは間違いなく気付いていた。
「ダメだ……やっぱりわからない」
  鼻の上に皺を寄せてチョッパーは呟いた。
  こうも悪臭が強いと、自慢の鼻を頼りにすることもできない。
  仕方がないとチョッパーは、隠れ家のぐるりを再度見て回る。
  サンジでも誰でもいいから、早く戻ってきてほしかった。
  ゾロの熱が下がるまでは自分がこの場を守らなければならないが、できるだろうかとチョッパーは不安に思う。
  もしも相手が、自分よりも大きくて強いヤツだったらどうしよう。ちゃんと守り抜けるだろうか? ゾロを守って、相手を倒すことができるだろうか?
  いや、倒すことができなくても、無事に逃げきることさえできればいいかとチョッパーは考え直す。
  今はとにかく、ゾロ優先だ。
  怪我人の負担にならないように考えなければとチョッパーは思った。
  それからもう一度、あたりに漂う悪臭に顔をしかめてからチョッパーは隠れ家へと戻る。
  パタンと小さな音を立ててドアを閉めると、中の籠った空気の中で溜息をつく。
  外へ出ても、中に入っても、鼻が役に立たないのはどちらも同じだった。



  隠れ家に戻った途端、チョッパーは違和感に気付いた。
  自分がこの小屋を出る前にはなかったにおいが、小屋の中に残っている。
  それに、流しのあたりに置いていたパンがなくなっている。果物もだ。
  すん、すん、と鼻を鳴らしながら流しに近づいていく。
  ゾロのにおいがしていた。それから、うっすらと誰か別の者のにおいも。流しの底を見ると、果物を入れていた小皿が割れて粉々になっていたが、パンも果物もなくなっていたからきっとゾロが食べたのだろう。そう思うことにした。
  鼻の頭に深い皺を寄せたままチョッパーは、奥の部屋へと足を向ける。
「ゾロ、いるか?」
  慎重に声をかけてから、ドアをそっと開ける。
  ゾロはあのソファに横になって休んでいた。
  まだ顔色が悪いようだが、昨日の夜にチョッパーが診た時よりはマシになっているような気がする。
  チョッパーは部屋に入っていくと、ゾロの額に蹄を当てた。
  熱も下がってきているようだったが、まだ安心はできない。
  それでも、自分の手当が間違ってなかったのだということは確信できた。
  ホッと息を吐き出すと、チョッパーは隣の部屋へと戻っていく。割れた小皿を片付けておかなければならない。
  トコトコと蹄を鳴らして流しを覗き込むと、小皿の欠片を一つずつ丁寧に拾い集めていく。
  早く誰か来てくれればいいのにと、そんなことを考えながらチョッパーは流しを綺麗に片付けた。
  それから、ふと顔を上げて長しのそばの小窓から外をひょいと覗いた。
  人影が見えた。
  窓の向こう、草陰の中に、人の姿が見えたような気がする。
  目をしばたたかせて、チョッパーは窓のヲ向こうをもう一度よく確かめた。
  あれは、いったい誰だろう。サンジだろうか、ルフィだろうか……それとも、ウソップだろうか。
  目を凝らして、それでもよく見えないので小窓を蹄でごしごしと拭いてみたが、やはりよくわからない。
  チョッパーは慌てて小屋から飛び出そうとして、思いとどまった。
  ここでチョッパーが飛び出していってしまったら、ゾロはどうなるのだ。
  まだ熱も下がりきっていないゾロを一人きりにできるわけがない。
  そろそろとチョッパーは窓のそばから離れると、小屋の隅に行った。人影がどこかよそへ行ってしまうまで、部屋の隅で動かずにじっとしていようと思った。
  ゾロのそばへは敢えて行かなかった。
  人影の正体が誰だかわからないうちは、ゾロの姿を見られるのはまずいと思ったのだ。



  かなりの時間が過ぎてから、複数の人の気配がしてきた。
  チョッパーは顔を上げると、小屋の入り口のほうへと視線を向けた。
  声が聞こえてくる。
  サンジと、ウソップの声だ。
  ようやくチョッパーはホッとして、体の緊張を解いた。
  それからゆっくりと立ち上がる。
  すぐにドア軽く叩かれた。
「チョッパー、いるか?」
  抑え気味のサンジの声に、チョッパーは入口のほうへと駆け出していた。
  勢いよくドアを開けると、目の前のサンジに飛びついていく。
「サンジ! 誰もいなかったか? さっき、誰かいたんだ。この小屋の向こうの繁みの中から、こっちをじっと見てたヤツがいたんだ!」
  一気にそう捲し立てながらチョッパーは号泣していた。一人きりで怖かったのだ。
  息継ぎの合間にチョッパーは、ズルっと鼻水を啜った。
  自分一人ならいざ知らず、今はゾロが一緒だ。怪我をして、体の自由がきかない男を守らなければならないという使命感にチョッパーは押し潰されそうになっていた。
「誰もいなかったか?」
  疑うようにチョッパーは、サンジの顔を覗き込む。
「そこの流しで、別の人間のにおがした。パンと果物がなくなっていた。ゾロが食べたのかもしけないけれど、誰かこの小屋に入りこんだヤツがいるんだ」
  グズグズと泣きながらチョッパーが訴えると、とん、とん、とサンジに背中を優しく叩かれた。
「ああ、わかった。後で見てくるから、ちょっと落ち着け」
  チョッパーは深呼吸を何度もした。
  ちらりとウソップのほうを見ると、彼は「もう大丈夫だ」と笑いかけてくる。
「このキャプテン・ウソップ様が来たからには、もう大丈夫だ。心配すんな、チョッパー」
  ウソップがいないと言うのなら、そうなのだろう。
  それでもチョッパーは疑うようにもう一度窓の向こうへと視線を向けてから、二人へと視線を戻す。
  二人とも腕には荷物を抱えていた。
  ゾロとチョッパーの二人への差し入れだ。
「腹が減っただろう。ここじゃ料理はできないから、弁当を作ってきたぞ」
  言いながらサンジは、荷物を差し出してくる。
「ありがとう、サンジ。ゾロの熱も下がってきたから、明日には船に戻れると思う」
  ゾロの怪我はまだまだ安静第一だった。だが、どうしても移動をすると言うのなら明日だろう。明後日は駄目だ。この小屋の周辺があまり安全でなさそうなことに気付いてしまったから、チョッパーとしてもさすがにこの隠れ家にいつまでもいる気はなかった。
  明日、と聞いてサンジもホッとしたようだ。
「今夜はウソップがついててくれるからな、安心しろ」
  少し柔らかな表情になってサンジはそう告げた。
  チョッパー一人きりだといろいろ不便も出てくるだろうと、ウソップが来てくれたのも心強いことだった。
  今夜一晩だけ頑張れば、明日にはメリー号の船室でゆっくりと眠ることができるのだ。
「俺、頑張るよ、サンジ!」
  チョッパーが声を上げる。
「おう。任せたぞ、チョッパー」
  そうサンジが返すと、チョッパーはますます張り切ってゾロの看護をしなければと思うのだった。
  窓の外に見えた人影や、後をつけてきていた足音のことなど、チョッパーはもうすっかり忘れてしまっているようだった。




To be continued
(H27.8.24)



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