星をおいかけて 2

  追いかけても、追いかけても、手の届かないものがある。
  必至になって追いかけて、どうにか追いついたと思ったら、また逃げられて。
  この手に掴んだと思うと同時にするりと手の中から逃げ出してしまう。そんなことをもう、数え切れないほど繰り返している。
  夏の夜の寝苦しさに、何度も寝返りを打ちながら綱吉は、深い溜息をついた。
  夢の中で綱吉は、獄寺を探している。
  手を繋いで、キスをして、抱きしめて……できることなら彼のなにもかもすべてを、自分のものにしてしまいたいと思っているのに、夢の中に獄寺はどこにもいない。
  いったい、どこに行けば獄寺に会うことができるのだろうか。
  手を繋いだり、キスをしたり、その先の行為へと進んでみたいと思っているのに、獄寺はどこにもいない。もしかしたら自分は、嫌われているのだろうか?
  もしかしたら獄寺は、本当は綱吉のことなんて好きではないのだろうか?
  こんなふうにいくら追いかけても、届かない。だから……自分はきっと、こんなにも求めてしまうのだ。
  自分には、なかなか手に入れられそうにないように思えるから。



  顔をあげて、夏の風を正面から頬に感じる。昨日の午前中はまだ雨が降っていたというのに、呆気なく梅雨明け宣言がなされたかと思うと、もうすっかり風は夏のにおいを含んでいる。
  ジリジリと照りつける太陽、額から伝い落ちてくる汗、背中にへばりついたシャツ。そういった不快感を、しばし風が追いやってくれる。風が吹くたびに汗が引いていくような感じがして、気持ちがよかった。
  太陽の光が眩しくて目を閉じると、背後に足音が聞こえた。獄寺だ。
  こっそりと綱吉は息を飲む。
  気まずい思いが込み上げてくるのは、夕べ、キスをしたからだ。
  流れ星を見ながら、道ばたでキスをした。
  唇が離れると同時に獄寺は自分の唇を押さえて、逃げるようにして走り去っていった。
  嫌われたかなと思ったけれど、他にどうリアクションすればよかったのか、綱吉にはわからない。
  嫌われないようにするだけしか自分には、できない。
  好かれているのはわかっていたが、その好意がどこまでを許しているのかがわからない。
  手は、繋ぐことができた。抱きしめることも、できる。そこまでは獄寺は許してくれている。
  だけど。
  キスは、夕べが初めてだったのだ。
  今朝、玄関先まで迎えにきてくれた獄寺はいつもと変わらず、だけどどこかしら困ったような顔をしていた。そんな表情をさせてしまったのが自分なのだと思うと、申し訳ない気分になる。
  謝ったほうがいいのだろうか?
「……十代目」
  獄寺が声をかけてくる。
  こんな時に山本がいないのが残念だった。野球部の活動がなければ、山本も一緒に三人で帰っていたはずなのに……。
  口の中でみっつ数えてから綱吉は、ゆっくりと振り返った。



  少し緊張した獄寺が、決まり悪そうな笑みを浮かべて立っている。
「お待たせしました、十代目。帰りましょうか」
  いつもよりよそよそしい声と、態度。目は、自分のほうを見ていない。
  やっぱり嫌われたんだ──そんなふうに思うと、胸の奥がツキンと痛い。苦しくて苦しくて、息ができなくなりそうだ。
「あ……」
  なにを喋ればいいのか、わからなくなってしまいそうだ。
  言いかけたものの、口をパクパクとさせることしかできず、諦めて綱吉は口を噤んだ。
  俯いて足下を見ると、影ができていた。
  影の上に、ポタリ、と汗が落ちる。素早く地面に染みこんで黒い跡を残す。
「帰りませんか、十代目」
  穏やかな獄寺の声が、どこか遠くで聞こえているような感じがする。
「鞄、お持ちしますね、十代目」
  そう言って獄寺は、綱吉の鞄を取り上げた。
  二人分の鞄を持って歩く獄寺の後を、とぼとぼと綱吉はついて歩いた。
  いつもはあっという間の家までの距離が、今日はやけに長く感じられる。気まずいのに、歩いても歩いても、家に辿りつくことができないのだ。いったいどんな罰ゲームなんだよと綱吉は思う。
  はあ、と溜息をつくと、先を歩いていた獄寺が慌てて振り返った。
「歩くの、早かったっスか?」
  尋ねられ、慌てて綱吉は首を横に振った。
  そうではないのだと、言わなければ。違う、と一言、口にすることができたなら、それですむことなのに。
「具合でも悪いんスか?」
  立ち止まり、獄寺がさらに尋ねてくる。
「う…ううん」
  ブンブンと勢いよく首を横に振ると綱吉は、思い切って獄寺の顔を真正面から捕らえた。淡い翡翠の色をした瞳は、気遣わしげに綱吉を見つめていた。
  この目が、好きだと綱吉は思った。
  この、目。
  真っ直ぐに自分を見つめる瞳。純粋に憧れだけを映し出した瞳が、好きだ。どうして獄寺がここまで綱吉のことを好きなのかはわからないが、この目を見て確信した。
  獄寺は、自分のことを好いていてくれる。昨夜、キスをしたことで綱吉のことが嫌いになったわけではなかったのだ、と。
「あの、獄寺君……」
  言いかけて、しかし綱吉は、やっぱりそこで言い淀んでしまったのだった。



  結局、なにも言えないままにいつもの三叉路までやってきてしまった。
  できることなら尋ねてみたいと思いながら、綱吉はどうしても口にすることができないでいる。
  たった一言。
  夕べのキス、嫌じゃなかった?──そう、尋ねればすむだけだというのに。
  隣を歩く獄寺の顔へと、ちらりと視線を馳せる。
  綺麗な顔立ちをしている。すっきりと整った頬のライン。唇。淡い翡翠色の瞳はとても魅力的だ。細くて柔らかな銀髪。触れさせてほしいと言ったなら、獄寺はどう返すだろう?
  それが、知りたい。
  獄寺の反応を綱吉は、今、知りたいと思っていた。
  激しく拒否されるのか、それとも頷いてくれるのか。
  いったい、どちらだろうか。
「ご……」
  言いかけて、慌てて綱吉は口を噤んだ。
  口にするには勇気が必要だ。言った後の獄寺の反応が、怖くてたまらない。そして綱吉には、獄寺の反応を確かめるだけの度胸が今はまだなかった。
  三叉路の中心で立ち止まると獄寺は、綱吉に顔を向けた。
「どうかしたんスか、十代目。今日はなんかヘンっスよ」
  ヘンなのは獄寺のほうだと言い返したかった。
  夕べのキスからこっち、獄寺は間違いなく綱吉のことを意識している。今朝だってどこかしらぎこちなかったし、昼休みだって放課後だって、無意識のうちにだろうか、綱吉を避けるような態度を取っていた。
「ごっ、獄寺君だって……オレの顔、ちゃんと見てない時あるよね」
  いつもはうるさいぐらいに綱吉を構おうとするくせに、今日はあまり獄寺に世話を焼いてもらった覚えがない。
  獄寺が夕べのことを引きずっているのは、疑いようがなかった。
「んなこと、ないっス」
  驚いたように綱吉の顔を覗き込んでから、獄寺は静かにそう言い返した。
  いつもの獄寺らしくなく、穏やかな声だった。



  夜の空を見上げる。
  自室の窓から見上げる空は狭くて、小さくて、どこかしら頼りない。
  あの流れ星を見た空のような広さがない。
  机に肘を乗せた綱吉は、頬杖をついて窓の向こうへと視線を馳せる。
  獄寺は、いったい自分のどこを好きになってくれたのだろう。
  つきあってほしいと言い出したのは、確かに獄寺のほうからだった。だけど、その気持ちに応えたい、獄寺を友人としてではなく、恋人として好きになりたいと思ったのは綱吉自身だ。獄寺はただ、最初のきっかけを綱吉に与えたすぎない。
「あー、もう。なんでこんなにややこしいんだろ」
  苛々と呟く。
  部屋の灯りを消して、綱吉はベッドにごろりと横になる。
  じっとりとした湿気混じりの空気に、頭の中が茹だりそうだった。
  目を閉じて、呼吸に集中する。息を深く吐き出す。出して、出して、出して。限界までいくと、今度は自然と空気が肺の中へと入り込んでくる。それを何回か繰り返して、また目を開けた。
  暗がりの中で真っ黒な天井を見上げる。
「獄寺君……」
  ポツリと綱吉は呟いた。
  このまま、つきあっててもいいのだろうか?
  本当に自分で、いいのだろうか?
  疑問、躊躇い、戸惑い。それから、少しの期待。
  このままつきあい続ければいいのだと思いながらも、獄寺の本心を計り損ねている自分がいる。なんて自分はみっともないのだろう。
  この期に及んでまだ、自分の気持ちに自信が持てないでいる。心のどこかで、獄寺のことを信頼しきれていないのだろうか?
  あれこれ悩んで、ひとしきり頭を働かせた。獄寺とのことをどうするか、まだ決心がつかないのは、これはひとえに綱吉の踏ん切りの悪さのせいだろう。
  とは言うものの、どこかで現状を楽観視している自分もいた。
  また、獄寺君と一緒に流れ星を見たいな──眠りに落ちる寸前、綱吉はそんなことを考えていたのだから。



   2        

(2011.6.27)



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