星をおいかけて 3

  夏休みが目の前に迫ってきた。
  あれから獄寺とは、なんの進展もないままだ。
  恋人としてつきあっていると言っても、所詮はその程度のつきあいでしかないのだろうか。
「オレが、ダメツナだから……」
  頼りないし、ダメダメだし、いきなりキスしたりするから……だから獄寺君に、嫌われてしまったんだ──そんなことを考えながらも、本当のところはいったい自分とのつきあいをどう考えているのか、獄寺に問い質すのが怖くてこれまで通りの日々を綱吉は送っている。
『だからダメツナだって言うんだぞ』
  耳に馴染んだリボーンの声が、頭の中でグルグルと回っている。
「わかってる……わかってるよ、そんなこと!」
  小さく呟いて、ドン、と机を叩く。
  袋小路に迷い込んで、このまま出口すらわからなくなってしまいそうだ。
  どうしたら、この迷路から抜け出すことができるのだろうか。獄寺の気持ちをどうやって、確かめればいいのだろうか。
  人の気持ちを確かめるなんてことをしてはいけないことはわかっているが、そうではなくて、彼の本心が知りたいと綱吉は思った。彼は綱吉のことを本当に恋人として、見てくれているのだろうか?
「疑ってるってわけじゃないんだけどさ」
  なんとなく決まりが悪くて、綱吉は言い訳がましく呟いた。
  誰もいない部屋の中はポツンとしていて寂しい。
  はあ、と溜息をつくと綱吉は、宿題のノートに鉛筆を走らせた。



  朝が来るのが早くなったと綱吉は思う。
  このところ、夜はあまりよく眠れていないような気がする。ベッドに潜り込んで目を閉じると、次に目を開けた時にはもう朝だということが頻繁にあった。
  疲れているのだろうか? それとも、罪悪感を感じている? もしかしたら、獄寺とのつきあいにこれといった進展が見られないことにショックを受けているのかもしれない。
  やっぱり自分がダメダメだからだ……と、起き抜けに深い溜息をつく。
  顔を上げると、階下から母の自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ツッくぅーん」
  なにかあったのだろうか。ベッドから出て、ふと時計に目をやるとちょうど八時を少し過ぎていた。
「げっ……」
  カエルが潰れたようなみっともない声で低く呻くと、綱吉は慌てて服に着替える。寝癖のままの頭で階段を転がるようにして下りると、台所の母に「なんでもっと早くに起こしてくれなかったんだよ!」と恨めしげに声をかけた。
「まあ。あたしはちゃーんと起こしました。ツッ君がもうちょっと……って言って二度寝しちゃったんじゃないの」
  そう言いながらも奈々は、綱吉のために朝食を用意する。
「ほら、これ食べて」
  渡されたトーストを口にくわえると綱吉は、テーブルの上に用意されていた弁当を鞄につめこみ、慌ただしく玄関先へと向かう。
「気をつけて行くのよ」
  背中にかかる母の声に、「もうちょっと早く起こしてくれてもいいのに」と綱吉は一人ごちた。



  玄関のドアを開けると、門扉の向こうに獄寺が立っていた。
「おはようございます、十代目!」
  直立不動の姿勢で声をかけてくる獄寺の表情は、どこかしらぎこちない。
「獄寺君、ごめん。オレ、寝過ごしちゃったみたいで」
  早く学校へ行かなければと思うのに、門扉のところで動きが止まってしまった。
  この強張りを、どうしたらいいだろうか。
「あの……」
  今までなんともなかったのに、喉が、急にカラカラに渇いていく。
  口の中の唾がなくなってしまいそうだ。
「急ぎましょう、十代目」
  そう言うが早いか、獄寺の手が、綱吉の鞄を取り上げる。
「あ……」
  ありがとう、と、綱吉は小さく呟いた。
  綱吉の鞄を持った獄寺は、スタスタと歩きだしている。どうしてあんなふうに、なにもなかったフリができるのだろうか。なるべく表に感情が出ないように、獄寺は自分の気持ちを抑えこんでいるよにも見える。自分には無理だと綱吉は思った。自分には、そんなことはできない。今の自分が獄寺と気まずい関係にあるのなら、そういった感情が素直に表に出てきてしまう。どう頑張ったって、自分には隠し通すことなんてできやしないし、もちろん獄寺のようになにもなかったフリをすることもできない。そのフリが、明らかに傍目におかしいと映っているとしても、知らん顔を続けるだけの度胸が綱吉にはない。
  だからダメツナなんて言われるんだろうな──そんなふうに綱吉は思った。
  門扉の向こうの獄寺の背中が、どんどん遠ざかっていく。
「ご……獄寺君っ!」
  咄嗟に綱吉は、声を張り上げていた。



  不意に、あの日の夜空が綱吉の頭の中に蘇ってきていた。
  獄寺と二人で、道の真ん中に立って空を見上げていた。
  そんなに遅い時間でもなかったというのに、流れ星がふたつ、みっつと流れて落ちた。あの時のじっとりと湿った夜の空気を覚えている。翌日からはカラリと晴れて暑くなったが、その夜は夏の始まりなど感じさせない、ひんやりとした重苦しい夜だった。
  今とは全然違うのに。
  それなのに何故、思い出したりしたのだろうか。
  綱吉の声に振り返った獄寺が、慌てて駆け戻ってくる。
「どーしたんスか、十代目。お加減でも悪いんスか?」
  心配そうに顔を覗き込まれると、綱吉の気分がスーッと軽くなっていく。
「あ……ううん、ごめんね、獄寺君。忘れ物したかと思ったんだけど、大丈夫みたいだ」
  苦しい言い訳だ。自分でもわかっていたが、他に言いようがないのだから仕方がない。
  不思議そうに小首を傾げる獄寺に、綱吉は笑みを向けた。
「遅くなったから、走ってこっか」
「はい、十代目」
  獄寺が嬉しそうに頷く。
  ようやく綱吉は門扉から手を離し──そう言えば、家から出た綱吉は門扉をずっと握りしめたままだったことに今さらながら気づいた──、獄寺と並んで走り出す。
  半袖のシャツの中で、脇の下にじわりと汗が滲みだしてくる。
  いくらも行かないうちに背中から汗が噴き出し、不快の極みになった。
「あちぃ……」
  呟いて、とうとう学校まで半分ほどの距離のところで綱吉は立ち止まった。
  肩が大きく揺れている。ふいごのように息を吐き出し、空気を貪る。獄寺の肩も揺れている。
「あ……」
  耳を澄ますと風に乗ってチャイムの音が聞こえてきた。あれはきっと、始業時間を知らせるチャイムだ。
「ああ、始まっちまいましたね」
  なんでもないことのように獄寺が言う。
「このまま──」
  言いかけて、綱吉ははっと口を噤んだ。
  今、自分はなにを言いかけたのだろうか。
「ん? なにか言いましたか、十代目?」
  幸い、獄寺には綱吉の言葉が聞こえなかったらしい。尋ねてくる獄寺に、綱吉は作り笑いを浮かべた。
「遅刻決定だね」



  二人でのんびりと道を歩いた。
  サボろうか……と言いかけては、綱吉はなんども口を噤まなければならなかった。
  サボることぐらい、どうということでもない。沢田家にリボーンがやってくるまでの綱吉は、よく学校をサボっていた。リボーンがやってきて、山本と親友になって、獄寺と出会った。それからだ。綱吉の人生が一転したのは。
  仲間たちと集まって、他愛のない会話を交わす。今は、そんななんでもない日常がたまらなく愛しく思える。
  皆と出会えてよかった。なによりも、獄寺と気持ちを通わせることができるようになったことが、綱吉にはとても大切なことのように思えてならない。
  だからこそ、安易に自分の気持ちだけで獄寺と一緒に学校をサボるような真似をしてはならないと思う。
  だけど、今のこの時間からでは、どんなに頑張って登校したとしても、一限目は遅刻だ。
  そしてこのまま、のんびりとした足取りで歩いて、二限目から登校することもできなくはない。
「……サボっちゃおっか、学校」
  ちらりと隣を歩く獄寺の顔を盗み見る。
  獄寺は、驚いたように綱吉のほうへと顔を向けた。
「いいんですか?」
  獄寺と知り合ってからの綱吉は、ほぼ毎日のように登校している。獄寺と山本の二人が朝になると迎えに来るものだから、休みたくても休めないのが本心だ。だけど、嫌じゃない。こんなふうにして皆に構われ、助けられながら一日いちにちを重ねていく自分が少しずつ成長しているように思えて、なんとはなしに誇らしくもある。
「いいよ。サボっちゃおう」
  思い切ってそう言うと綱吉は、満面に笑みを浮かべた。



      3     

(2011.7.2)



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