十二月の街は寒くて、賑やかだ。
クリスマスの曲が流れる人混みの中をハヤトを連れて歩き回ったのが、昨日のこと。歩き疲れて二人してぐったりとなって飛び込んだクレープ屋で甘い甘い生クリームがたっぷり乗ったイチゴのクレープを食べて、また商店街を歩き回った。
クリスマスのプレゼントはピアノの楽譜にすると決めてあったし、枕元にサンタさんからのプレゼントが置いてあったことで、朝、起きた時からハヤトは大はしゃぎをしていた。だが、瓜のプレゼントを失念していたのはまずかった。
少し前に沢田家にやってきた子猫の瓜に、サンタさんからのプレゼントがなかったのだ。 大慌てで、瓜に気づかれる前に二人で瓜のためのプレゼントを買いに行こうと綱吉が提案しなければ、ハヤトはいつまでも不安そうにしていたことだろう。
瓜にまでプレゼントが必要だったとは盲点だったと、綱吉はこっそり溜息をつく。
結局、ペットショップで猫用の玩具と新しい毛布を買い、おまけに特上の猫缶までオマケして瓜のためのプレゼントにすることにした。
せっかくの休日を猫のための買い物に費やしたことはなんとも複雑な気持ちだった。
それでもまあいいかと思うことができるのは、プレゼントを選ぶハヤトの瞳がきらきらと宝石のように煌めいていたからだ。
あんなに楽しそうにしていたのだから、少しぐらいの労力は仕方がない、と綱吉は思う。 ハヤトが嬉しそうにしていると、それだけで綱吉の心は和らぐ。
年上の恋人だったビアンキとの関係に疲れ、挙げ句、彼女に押しつけられた歳の離れた弟の面倒を見ることになったのも、今となればいい思い出だ。
今の綱吉は、ハヤトにどっぷりと染められていた。この幼子がいなければ、自分は夜も明けないと感じている。ハヤトの笑い声が夜となく昼となく聞こえる生活が、今の綱吉にはとても大切なものとなっていた。
恋愛とは違う、別の種類の愛情をハヤトに対して感じている。
父性愛とでも言うのだろうか。
とても大切で、愛しく思っている。
瓜がやってきてから沢田家の生活は、大きくかわった。
それまで在宅勤務だった綱吉だが、なんの気紛れか、保育園へ通いたいと言い出したハヤトの言葉に背を押され、年明けからは元々の営業職への復帰のための準備期間に入っていた。
ハヤトはと言うと、この十一月から保育園へ通っている。
朝、七時に起きて瓜の世話をしてからハヤトは自分の用意をする。一人で服に着替えて、保育園の通園鞄を用意する。その間、綱吉は自分の用意に大わらわだ。
通いの家政婦が用意しておいてくれた朝食を二人して食べると、七時半。ハヤトの通園バスがマンションの近くまでやってくる時間だ。
小さいハヤトに急いでコートを着せて表へ飛び出して行くと、少し離れた曲がり角のところでバスが停まっているのが目に入る。
「ハヤト、急ごう!」
声をかけ、手を繋いで走って行くと、お迎えの先生がにっこり笑って「慌てなくていいですよ」と声をかけてくる。
「すみません、遅くなって」
おはようございますの挨拶もそこそこに綱吉が言うと、ハル先生は「まだ大丈夫、間に合いますよ」と優しく返してくる。
「おはようございます、ハヤトくん。今日も一日、楽しく遊びましょうね」
ハヤトの目線に合わせて声をかけるハル先生はそう言うと、「じゃあ、パパに行ってきますのご挨拶をしてください」とハヤトを促す。
「行ってきます、ツーたん」
たどたどしく告げるハヤトだが、保育園に行くのが楽しくて仕方がないといった表情をしているものだから、綱吉も安心してこの幼子を送り出すことができる。
「行ってらっしゃい、ハヤト」
声をかけ、バスの外から手を振ってハヤトを見送る。
そんな朝が最近、楽しくて仕方がない綱吉だった。
保育園のお迎えバスに乗ってハヤトが行ってしまうと、綱吉は自分の出勤支度に追われる。
秋になって誕生日を迎え、ハヤトは少しだけお兄ちゃんになったのが、少しだけ寂しくも感じられる。
綱吉と幼いハヤトの二人暮らしだった沢田家へ猫の瓜がやってきて、ハヤトはお兄ちゃんになった。だからだろうか、ハヤトは保育園へ行きたいと言い出した。それまでにも保育園の話はそれとなく出してみたことがあったが、知らない子たちとの交流に気後れを感じてか、なかなか行きたいとは言わなかった。それが、瓜がやってきたことでお兄ちゃんになった自負の現れだろうか、ハヤトが保育園へ行きたいと言い出したのだ。
早速、近所の保育園へ連絡を取ってみると、ちょうどクラスに空きがあった。十一月からならとの返事があって、トントン拍子にハヤトの保育園の話が進んだ。
おかげで今、綱吉は家ではなくて会社へ仕事をしに行っている。
猫の瓜と家で遊んだりピアノを弾いたりすることはもちろん今でも大好きなハヤトだが、保育園へ通い出したことで少しだけこの小さな子の世界は広がった。歳の離れた姉のビアンキとの別れを過去に経験しているハヤトのことを考えると、本当にこれでいいのかと悩むこともあった。それでも、ハヤト自身が自分から保育園へ行ってみたいと言うのだから、叶えてやるべきだろう。そう綱吉は思ったのだ。
当のハヤトはぐずりもせず、保育園へと通っている。
無理強いをしなくてよかったと綱吉は思っている。もしも綱吉が強引に保育園に通わせていたなら、ハヤトはこんなにものびのびとした子どもには育たなかったかもしれない。
今のハヤトは、ビアンキとの別れを経験した直後のハヤトとは違う。はっきりとそれが感じられた。
大人の顔色をうかがう必要もなく、いつも楽しそうにしている。瓜のおかげで率先して自分の身の回りのことをするようにもなったし、いいこと尽くめだ。
そして綱吉自身もまた、ハヤトと瓜のおかげで、年上の恋人との辛い過去を思い出す回数が次第に少なくなってきていた。表面上はいつもと変わらないようにしていても、裏切られ、突き放されたような気分がいも綱吉の胸に重くのしかかっていた。
自分を必要とする手を探し、癒されたいと思っていた。
その両方が今、綱吉の前にはある。
こんなに幸せな気持ちになるのは、いつぶりだろう。
いったいどのぐらいの期間、自分の気持ちは固く閉ざされていたのだろうか。
そこまで考えてふと時計を見ると、綱吉自身の出勤時間が迫ってきていた。
「さて。オレもそろそろ行かなくちゃ、遅刻しそうだ」
慌てて戸締まりや火の元を確認した綱吉が家を出るのは、八時前。玄関口まで見送りにきた気紛れ猫の頭をやんわりと撫でると、ドアに鍵をかけて綱吉は出勤する。
吹きすさぶ風は冷たく、耳がちぎれそうなほど痛かったが、綱吉の気持ちはホッコリとあたたかかった。
祖父の経営する会社に出勤する綱吉は現在、在宅勤務から営業勤務への移行期間中だ。
保育園に通い始めたばかりのハヤトのことを考えて年明けから本格的に営業部に戻ることを前提に、今はふたつの勤務形態を使い分けている。
営業職は嫌いではなかったが、やはりハヤトと一緒の時間が充分に確保できるのはこれまでの在宅スタイルだろう。
職場での先輩にあたる了平や同僚たちにいろいろとフォローを入れてもらいながら、これまでのブランクを取り戻すのに綱吉は忙しい。
なにかと大変ではあったが、それでも、今がいちばん充実しているように綱吉には思えた。
年明けには元の営業職に戻ることが決まっているし、家に帰ればハヤトと瓜がいてくれる。
自分はなんて幸せな人間なのだろう。
恋人とは別れてしまったが、今の自分はとても充実した日々を送っている。
恋人と一緒にいることだけが幸せではないのだということを、改めて綱吉は感じていた。 ずっとこんな日々が続けばいいと綱吉は思う。皆が楽しく、賑やかに暮らすことができればどんなにいいだろう。
別れた恋人のことはいまだに思い出すが、もう、綱吉の胸は痛まない。
むしろ、ハヤトと出会えたことのほうが綱吉にはもっと意味のあることのように思えてならない。
覚えること、勉強することが山とある仕事を終えてくたくたになったところで保育園へお迎えに行くと、ハヤトはたいてい、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「お帰り、ツーたん!」
そう言って勢いよく飛びついてくる小さな子が、とても愛しく感じられる。
「ただいま、ハヤト」
綱吉は、体当たりをしてきた体を抱き上げて、ほんのりとピンク色をした頬にチュ、と唇を寄せる。
「おなかすいた」
綱吉の首にしがみつくハヤトが言うと同時に、かわいらしくお腹の虫がぐーっ、と音を立てた。
「ハヤトくん、とってもいい子だったんですよ、沢田さん」
ハヤトを追いかけて教室から出てきたハル先生が、笑顔で告げる。
彼女の一言で、保育園にいる間のハヤトの様子が目に浮かぶようだった。きっとハヤトは、外遊びをしたり、部屋で絵本を見たり、歌ったりしていたのだろう。
「ハル先生にさようならを言ったら、大急ぎで帰るぞ」
綱吉の言葉にハヤトは、ハル先生に元気よく挨拶をした。
|