波留の本丸の刀剣男士一同が広間に勢揃いすると、さすがに迫力がある。
薬研と陸奥の二人だけだった布由の本丸とは大違いだ。
「春霞ちゃん、こっちにおいで」
広間へやってきた春霞に気付いた燭台切が、声をかけてくる。
ちょうど上座にあたる場所に春霞を連れていくと、そこに座るようにと燭台切は言う。
「え、いや、あたしは皆と同じでいいから……」
そう言って断ろうとするのを、横から長谷部が「駄目です」と口を出してくる。
「審神者として、主として、ケジメをつけるためにもあなたはここに座らなければなりません」
怖い顔でそう告げられると、言われた通りにしなければならないような気がしてくる。
春霞はおとなしく一段高くなった席に腰を下ろした。
少し離れて正面、左右に分かれてずらりと御膳が並び、ほとんどの刀剣男士たちが席に腰を下ろしている。
よくよく見ると、初日と同じく顔色の悪い者が何名かいる。明日以降、この者たちの手入れを優先的にしようと春香はその顔を心に留めておく。
まずは次郎太刀、それに加州清光もあまり顔色がよくないような気がする。一期一振とその弟たちが健康的な状態であるのに反して、同田貫一派と呼ばれる者たちは全体的にあまりよくはない状態にあるようだ。それに、この本丸に元からいた刀剣男士たちの何人かも、顔色がよくなさそうだ。
薬研が隣にいてくれたらと、春霞は思った。出された御膳に箸をつけながらでも、今後の相談をすることができたのに。
その薬研は、広間の下座側、一期一振たちと一緒に座っている。下座のずっと向こうにいるから、気軽に声をかけることすらできないのだ。
ぐるりと見回すと、山伏国広もあまり顔色がよくない様子だった。
長谷部の言葉を適当に聞き流し、宴会が始まると春霞は席を立とうとする。まずは遠征から戻ったばかりの山伏国広の状態を知りたかった。
「主、お声をかけてくだされば一人ひとりここへ呼びつけましょう」
慌てて長谷部が声をかけてくる。
「あら、呼ばなくてもいいわよ。皆は座って食事を続けてくれればいいから」
そう返すと春霞は、いいから、いいから、と言いながらさっと立ち上がると山伏のそばへ行ってしまう。
席を立ついい口実ができて、春霞は内心ホッとしていた。何しろここに来てから全員で食事をするのは初めてのことで、いつもと勝手が違うことに戸惑いを感じていたのだ。
山伏国広のそばに行って気付いたのは、やはり疲れているのだろう、目の下にうっすらと隈ができていることだった。聞いたところでは、御手杵が手入れ部屋に入るか入らないかの時期に山伏は既に遠征に出ていたらしい。あまりにも長すぎる遠征ではないか。
「遠征お疲れ様です、山伏さん」
声をかけると、山伏は爽やかな笑みを春霞に向けてきた。
「遠征先にもお噂は届いてましたぞ、主殿」
いったいどんな噂だったのだろうと春霞は訝しむ。そもそも、噂の広がるのが早すぎるような気がしないでもない。
「お疲れでしょうから、今日はゆっくり休んでくださいね」
当たり障りのない言葉をかけながら、春霞は目の前の刀剣男士の様子を観察した。一見したところ怪我はなさそうだ。明日以降の様子に注意、と春霞は頭の中に書き付ける。
「明日にでもゆっくりと、遠征でのお話を聞かせてください」
春霞がそう告げると、山伏は重々しく頷いた。
その後は二言三言、言葉を交わしただけで春霞はさっと立ち上がった。ちらりと下座へ視線を向けると、薬研がこちらを見ていた。目が合うと、「わかっている」とでも言うかのように、笑みを向けられる。
陸奥を失って以来、春霞と薬研の間には不思議な絆のようなものが育ちつつあった。互いに相手の考えていることを察知できるような何かだが、別にそれはおかしなことではなかった。互いに気を遣い合っていれば、自然と相手のことがわかるようになる。今、相手が何を望んでいるのか、何をしてほしいのかが感じ取れるようになる。そういった、人との付き合いの中でごく当たり前に思える行動が、よりいっそう強まっただけのことだ。
山伏のそばを離れた春霞は、今度は次郎太刀のところへ足を向けた。同田貫と御手杵に関してはもう大丈夫だろうが。足を引きずっていた次郎太刀のことが気にかかった。
「次郎太刀さん、お酒は足りてますか?」
声をかけると、少し不機嫌そうに次郎太刀は春霞のほうへと視線を向けてくる。
思った通り、やはり顔色がよくない。
「この春菊の白和え、おいしかったですよ」
食べるよりも飲むばかりの次郎太刀は、「そうかい」とだけ返すと、ムスッとしたまま手にした徳利にじかに口をつけた。
ゴクゴクと喉を鳴らしながら水のように酒を飲む姿は、まさに呑兵衛だ。
「こっちの山芋餅もおいしかったです。加州くんが作ってくれたんですよ」
同じ本丸の出身同士だから、名前を出せば少しでも喋ってくれるかと思ったのだが、次郎太刀ふん、と鼻を鳴らしただけで春霞のほうは見向きもしない。
仕方なく春霞は次郎太刀の様子を観察することにした。
怪我を負ったままお酒を飲んでいるのだとしたら、あまりいい傾向ではない。痛みを誤魔化すために飲んでいるということも考えられる。
「手入れが必要な時は、いつでも言ってくださいね」
そう告げると春霞は、また別の刀剣男士のところへと足を向けた。
ひととおり広間をぐるりと回り終えた春霞は、最後に長谷部のところへと足を向けた。
この男も、顔色の悪いうちの一人だ。
心労からの顔色の悪さならしばらく休ませればいいだけのことだが、そうではないような気が少なからずする。
「長谷部さん、食べてますか?」
春霞が声をかけた時には長谷部は、既に御膳の上のものは全て食べ終えていた。
何でもそつなくこなすところが腹立たしい。
「主こそ、少しは食べられたほうがよろしいのではありませんか」
厳しい眼差しでじっとこちらを見つめられると、まるで自分が悪いことをしているような気になってしまう。春霞はすう、と息を吸い込むと、伏目がちに話し出した。
「明日から、手入れ部屋を解放します。午前の間だけですが、ふた部屋を使って手入れが必要な者には手入れを行うことにしました。それから……十日に一度、鍛刀をすることにしました」
どうです? と、春霞はちらりと長谷部のほうへと視線を向けた。
先手を打って鍛刀をすると言ってしまえば、長谷部はそれ以上は何も言えなくなるだろうと思ってのことだ。
「鍛刀……するのですか?」
疑わしそうな眼差しで、長谷部は春霞を見つめてくる。
自分のほうから鍛刀をするように言っておいて、こんなふうに質問するの狡くはないだろうか。
「十日後に鍛刀をします。それまでに、手入れが必要な者は手入れ部屋へ来てもらいます。手始めに長谷部さん、明日は必ず手入れ部屋に来てくださいね」
こうして皆の前で春霞が宣言してしまえば、長谷部には逃げることができなくなる。
「それは……主命ですか?」
「主命です」
春霞はつん、と顎を引いて返した。
手入れが必要なければ、それはそれで別に構わない。とにかく、手入れ部屋が常に稼働しているところを全員に知らしめることが大事だと春霞は思っている。午前中ならば誰が来ても手入れを行うということを、全員が理解するようにしなければならない。
「……わかりました。主命とあらば」
どこかしら納得がいかないといった様子で長谷部は頷いた。
これで、他の者たちも屁理屈をつけて手入れ部屋へ引きずり込むことができるようになったわけだ。
春霞は勝ち誇ったように艶やかな笑みを長谷部に向けた。
※※※
その夜、春霞は宴会が終わってから薬研の部屋を訪ねて行った。
平野と秋田もいる短刀部屋の前でそっと声をかけると、ここでは何だからと一期一振の部屋へと連れていかれた。
薬研からどの程度のことを聞いているのか、一期一振は二人の姿を見た途端に今夜は弟たちと一緒に休むことにしたからと言って部屋を移った。
悪いことをしたと思ったが、最近は薬研と二人きりで話す機会などそうそうあるわけもない。 せっかくの好意を無駄にするようなことだけはしないでおこうと春霞は思った。
「……鍛刀、できるのかい?」
部屋の障子を薬研が細く開くと、ひんやりとした冷たい風が部屋の中に入り込んでくる。
寒さで目が冴えそうだ。
「どうかな。わからないけど、そうでも言わないと手入れができないと思ったの」
春霞の言葉に、薬研は頷く。
「大将の思うようにやればいいさ」
目の付け所は悪くないんじゃないかな、と薬研が呟く。
最も重い傷を負っていた御手杵を手入れしたことで、刀剣男士たちの間では実は、手入れをしてもらいたそうにしている者が何人かいるのだと薬研は言う。次郎太刀もその一人だったが、初日に春霞にしたことを思うとなかなか手入れをしてほしいとは言い出しにくいのではないだろうか。
さらに春霞が予想した通り、一期一振やその弟たちの状態は問題がなさそうだとも薬研は言った。しいて言うなら骨喰が少し軽傷を負っている程度だが、急を要するものでもないらしいから、放っておいても構わないだろう、とも。
と、なるとやはり、次郎太刀と加州の様子が気にかかるところだ。
「長谷部の旦那には人柱として手入れ部屋に入ってもらうしかないだろうな。次郎太刀のことは、それからだ。長谷部の旦那から言われれば、さすがの次郎太刀も手入れ部屋に足を運ぶしかないだろうしな」
長谷部と次郎太刀が手入れをしてもらえば、他の者たちも言い出しやすくなるだろう。
戦に出ても怪我をしたら手入れをしてもらえるとわかれば、本来の本丸らしい状態に近付くことにもなる。
そうなってきたら、おそらく刀剣男士たちと春霞の間にある見えない溝のようなものも埋まってくるのではないかと思われた。
「それにしても、鍛刀ねえ……」
どこか面白そうに、薬研はぽそりと言った。
あんなに嫌がっていた鍛刀を、春霞が自分から言い出すとは薬研も思ってはいなかったようだ。何だかんだと理由をつけて断るのではないかと、薬研は半ばそんなふうに思いこんでいたらしい。
「あたしだって、やりたくはないわよ……」
枕を抱えて、春霞は呟く。
やりたくないのは、今もそうだ。
だが、いつまでもしないままではいられないということも、春霞は知っていた。
この本丸を本来あるべき姿に近い状態まで持っていこうと思うと、嫌だろうがなんだろうが、しなければならないということを春霞は理解している。
はぁ、と溜息をつくと春霞は、枕の上に額を乗せた。
「……陸奥に会いたい」
陸奥なら、今の春霞を見て何と言うだろう。
布由の本丸を失い、逃げ込んだ先で審神者として振舞わなければならない春霞に、何と言うだろう。
「あまり根を詰めるなよ、大将」
薬研が言った。
「頑張らなくていいから、辛くなったらいつでも俺っちに言ってくれ」
細く開いた障子の隙間から冷たい空気が流れ込んでくる。
その空気の冷たさに思わず春霞は自分の肩をぎゅっと抱きしめた。
(2015.8.1)
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