LOVE IS 2−6

  目の前に立ちふさがった男は、人の悪い笑みを浮かべるとサンジが跨った馬の手綱を取った。
「城に戻ろう、サンジ。シャンクスもベックマンも心配している。エースだって、そうだ。サンジのことをずいぶん心配してたんだぞ、あいつ」
  そう言うとルフィは、ぐい、と手綱を引き、馬の向きをかえさせた。
「ル、フィ……」
  言葉が出てこなかった。
  最後にルフィと会ったのは、サンジがまだバラティエで王の補佐官に捕らわれていた頃のことだ。
  あの時のルフィは、何かに悩んでいるようだった。
  エースに尋ねても笑って真面目に取り合ってくれなかったが、誰かに恋をしているのだということだけは、サンジも何とはなしに感じ取っていた。それが、想いの届かない恋だということも知っている。あの頃、気紛れで気難しかった少年が、いつの間にかこんなにも成長している。
  この落ち着きは、いったいどこから来るのだろう。この自信は、どうやって手に入れたものなのだろうか?
  言葉が出てこないのは、自分があまりにも情けなかったからだ。
  幼かったルフィがこんなにも成長しているというのに、自分はまだ、バラティエで我が儘いっぱいに育てられた王子のつもりでいる。自分一人でできることなどたいしてないのに、自分の気持ちに突き動かされるようにしてゾロのそばへ行こうと城を抜け出した。
  ルフィは何も言わなかったが、その後ろから何人もの兵士がついてきているところを見ると、おそらく心配したベックマンあたりが供をつけたのだろう。
  ルフィに手綱を取られ、サンジはすごすごと城に凱旋することになった。
  もうあと少しでゾロのいるところに行くことができたのにと思うと、情けないやら悔しいやらで、何も言えなくなってしまう。
  俯いたサンジは、じっと手綱を握る自分の手を見つめ続けていた。



  城に戻ったサンジは、あれからずっと居心地の悪い思いをしている。
  勝手に城を抜け出したことを咎める者が一人としていなかったため、サンジはますます居たたまれない思いをすることになった。
  ルフィはと言うと、サンジを連れ帰るとすぐにまた、城の外へと出ていった。今度はフーシャの西の集落で起きた騒ぎをおさめに行ったらしい。
  自分一人が皆のお荷物になっているのではないかと、そんな考えがサンジの中にふと沸き上がる。
  部屋に閉じこもって、一人きりになりたいと幾度となく思った。
  もちろん、ここフーシャでは、そんなことをする自由はない。
  人手はまだまだ足りていない。サンジにでもできるような仕事が、フーシャには山とあった。
  午前中の板書を終えたサンジは、食堂で一人遅い昼食をとっていた。
  このごろサンジは、食堂の下座に座るようにしていた。そこでなら、自分の好きなように振る舞うことができた。時間をずらして食事をすると、人も少ないからだろうか、不用意に喋りかけてくる者も少なくなった。
  一人でとる食事にもだいぶん慣れてきた。
  ゾロがいないのは相変わらず寂しかったが、だからといって日常の生活がかわるわけでもなく、淡々と日々は流れていく。
  エースは優しかった。
  暇を見つけてはサンジに声をかけ、そばにいてくれる。幼馴染みのよしみだとエースは笑って言っていたが、それだけではないことぐらい、サンジにだってわかっていた。
  下心というのは、こんなにも簡単に見破ることができるのだ。
  もちろん、エースの場合は悪意のない明け透けな下心だ。だからだろうか、サンジも安心してエースと一緒にいることができた。
  食事を終えてしまうと、サンジは部屋に戻った。
  午後はベックマンの手伝いをすることになっている。
  手早く着替えて、中庭に出た。
  中庭には、何人かの兵士たちが既に集まっている。ざわざわとしたざわめきに紛れこんでしまわないよう、サンジは少し離れた場所から兵士たちの様子を眺めていた。
  自分もあの集団の中に混ざりたい。彼らと一緒に外に出たいという思いが、サンジの中に沸き上がってくる。
  唇を噛み締め、じっと集団を眺めていると、背後からポン、と肩を叩かれた。
「用意はできているか?」
  張りのあるベックマンの声に、サンジの心臓がドクン、と高鳴る。
「……はい」
  頷くと、もう一度、今度は背中を軽く叩かれた。
「馬で、出るぞ」



  ベックマンの言葉が、信じられなかった。
  呆然とその場に佇んでいると、鋭い眼差しに睨み付けられた。
「何をしている。今から、視察に出るんだぞ。ついてこれないのか?」
  その言葉に、サンジは慌てて男の後を追いかける。
  思考力が鈍っているのは、まだベックマンの言葉を正確に理解できていないからだ。
  ベックマンのところまで駆け寄ると、エースが横から素早く割って入ってきた。葦毛の馬を引いている。
「サンジ、この馬に乗っていけ」
  ぐい、と手綱を押しつけられたサンジは、迷うことなく馬の背に飛び乗った。
  焦げ茶色の瞳は従順で、おとなしそうだ。サンジが乗っても逆らうことなく、じっと命令が出るのを待っている。
「出発するぞ!」
  ベックマンの声が中庭に響くと同時に、あたりに集まっていた兵士たちが後に従って城門を駆け抜けていく。
「行ってこいよ、サンジ。フーシャを見てきてくれ」
  ニヤリと笑って、エースが告げた。
「……うん」
  頷いて、サンジは馬の腹を軽く蹴った。
  葦毛の馬は、駆け足で城門を駆け抜けていく。素直な走りの馬だと、サンジは感心した。エースはこの馬を、サンジのためにわざわざ厩から引いてきてくれたのだろうか。
  頬にあたる風が心地よく、サンジの口元に自然と笑みが浮かんでくる。
  前を走る兵士たちの集団の先に、ベックマンと彼の操る黒馬が見えた。
  兵士たちの最後尾についたサンジは、外の世界が珍しくて、馬を走らせながらもあたりの様子を横目でちらちらと眺めている。
  いったいぜんたい、ベックマンは何故、サンジを連れて視察に出ることを思いついたのだろう。先日の一件から、ベックマンのサンジを見る目が変わりつつあるのを、サンジは気付いていた。以前のベックマンは、サンジを壊れ物のように扱うことがあった。子どもを扱う時のように、根気よく丁寧に、優しい態度で接していた。それがあの一件から、変わったようにサンジは思う。
  決定的な何かがあったというわけではないが、眼差しや態度が、これまでとは微妙に違っているのだ。
  城の中庭で声をかけられた時も、そうだ。
  今までなら、あんなふうに肩や背中を叩いてくるようなことはなかった。ああいったことは他の男たちとは気軽にしていても、サンジには決して触れようとはしなかった。
  言ってみればこれまでのベックマンは、サンジに対してどことなくよそよそしかったということだ。親切にしてはいても、他人行儀な態度で接してくる。それがサンジにはもどかしく、今ひとつフーシャにとけ込めない一因にもなっていたのかもしれない。
  ぐい、と顔を上げて先頭を見ると、黒馬は気持ちよさそうに走っている。
  サンジは手綱を引く手を加減しながら、駆け足の速度を速めてやった。
  舞い上がる砂埃に、土のにおいを嗅いだ。
  何かが変わろうとしている、そんな気配を感じて、サンジは口元をきりりと引き締めた。



  何事もなく、最初の視察が終わった。
  視察自体は城を出て城下の集落の様子を確認し、また城へと戻ってくるだけの単純なものだったが、時には紛争の前兆を察知する機微も必要とされた。
  何度かそういった視察に同行させられた後に、今度は紛争後の現地確認に同行させられた。今度は、シャンクスが一緒だった。
  こうやってベックマンやシャンクスに同行することが何を意味しているのか、サンジには今ひとつ理解できずにいた。
  そのうちに、エースの率いる小隊と共に、サンジは行動するようになった。
  その頃にはサンジは、フーシャの内情にも地理にも、ずいぶんと詳しくなっていた。
  視察の後に仲間たちと一緒に食堂でくつろぐことも、覚えた。
  ウソップとゾロは、まだ城に戻らない。その空白の部分を、エースや視察仲間が埋めていってくれる。
  このまま自分は、この生活に慣れていくのだろうか。ゾロのいないフーシャでの生活に溶け込んで、いつか、一人でバラティエへと帰っていくことになるのだろうかと、そんなことを思い始める。
  ゾロのことは、誰も、何も言わなかった。
  しかし視察の一団が何かをさがしていることは、サンジも薄々気づきはじめていた。
  いったい彼らは、何をさがしているのだろうか?
  ゆっくりと、ゾロのいない日常が当たり前のようになってくる。
  ゾロが城を出たばかりの頃のような不安は、今のサンジにはなかった。
  エースや、周囲の人たちとの交流が続き、ゾロがいなくてもサンジは、彼らに溶け込んでいくことができるようになっていた。
  視察は、熱心に続けられた。
  何をさがしているのだろうかと思いながらも、サンジはその疑問を口にすることができない。
  彼らはいったい、何をしているのだろうか。
  疑問を抱えたサンジの元に、ウェストランドとの国境に近い集落の視察に行くようにとの命令が下った。
  エースの隊に混じってサンジは、馬を駆った。
  国境近くとはいえ、ウェストランドとの境は比較的のんびりとして、穏やかなはずだ。ベックマンからもそう、聞いている。
  それなのに、エースは何やら気難しそうな顔をして先頭を走っていた。
  何をそんなに憂うことがあるのだろう。
  何をそんなに、執拗にさがしているのだろう。
  エースのすぐ後ろで馬を駆りながら、サンジは風のにおいを感じていた。
  焦げ臭いにおいと、何かが腐ったようなにおいが混じった風は生暖かく、サンジをいいようのない不安へと押しやろうとしているようだった。



「……焼き討ちだな」
  誰かが呟いた。
  集落は焼き払われ、煤けた残骸があたりに残るばかりだった。
  ムカムカするようなにおいがするのは、これはきっと、集落を焼き払われた時に逃げ遅れた人間が焼けたにおいだ。
  こみあげてくる吐き気をこらえながら、サンジは焼け跡をひとつひとつ調べていく。
  彼らはいったい、何をさがしているのだろう?
  灰の中から何を、さがしだそうとしているのだろう?
  ふと見ると、灰の中に、薄汚れたシャツの燃えさしが残っていた。
  ウェストランドの人々が身につけていたような、暗い色のシャツだ。
  不意に誰かが、声をあげた。何かを見つけたらしい。彼らがさがしているものを知るために、サンジもそちらのほうへと駆けだそうとする。
  ふと、足下のシャツの燃えさしが気になった。
  これも、彼らがさがしているもののひとつではないかと思ったのだ。
  逡巡したサンジは、足下のシャツを拾い上げた。灰が舞わないようにそっと端のほうをつまんで引きずりあげる。
  暗い色だと思ったのは、血の色だった。



To be continued
(2008.12.4)



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