血のにおいと、焼け焦げたにおい。風に乗って漂ってくるのは鼻につくきつい死臭だ。
シャツの切れ端を手にしたサンジは、エースのほうを振り返った。
何かを言おうとして、ふと、口を閉じる。
誰かが、サンジと同じように服の切れ端を持っている。それにもやはり、黒い染みのようなものがついているのが見えた。乾いた血の色だ。
殺された後に、集落全体に火をかけられたのだろうか?
兵士たちの様子をじっと見ていると、灰の中を漁っていた男が唐突に声をあげた。
何かを見つけたらしい。
仲間たちがわらわらと集まっていく。
切れ端を手にしたまま、サンジも男のほうへと駆け寄っていった。
彼らがさがしているものを、サンジも知りたいと思った。
集まった兵士たちの後ろから、こっそりとサンジは様子を見ていた。男が手にしたものを眺めていたエースの表情が、やけに険しい。
目の前にいた兵士の肩越しにエースのほうをひょいと覗き込んで、サンジは気付いた。ウソップがいつも持ち歩いていたものとよく似た形の鞄が黒焦げになっている。
「ウソップ……?」
呟いたサンジは、口の中に嫌な味が広がっていくのを感じた。
いったい何故、こんなところにウソップの持ち物があるのだろう。ウソップは、ゾロと一緒にいたのではないか?
何故、こんなところにウソップの鞄があるのだろうと思うと同時に、いったいここで何があったのかが、サンジには気になって仕方がない。
じっと立ち尽くしていると、少し離れたところで、別の兵士が声をあげた。
「隊長!」
エースの後をついてサンジも、兵士のところへと駆け寄っていった。
燃えさしの中に半身を埋める死体は腰から上はきれいなままだった。足のほうへと目を向けると、兵士の腰から下は炎に持っていかれたのか、黒く焼けこげていた。名前こそ知らなかったが、間違いなくゾロやウソップと一緒にフーシャの城を出ていった兵士の一人だ。そう気付いた途端にサンジの口の中に酸っぱい胃液の味が広がり、その場に嘔吐してしまった。
エースは顔色ひとつかえることなく、的確な指示を兵士たちに与えていく。
焼き払われた集落で見つけたウソップの鞄は、城へ持ち帰ることになった。しかし死体のほうは、城まで連れて帰ることができない。可哀想だがここで弔ってやることになった。
本当ならば、城に連れ帰るべきなのだがと、エースはしんみりと呟いた。
他の兵士たちに混じってサンジは、黙々と地面を掘った。城へ帰ることができない死んだ兵士のために。焼き払われ、炎の中で死んでいった住人のため、サンジは心を込めて穴を掘った。
城へと戻る道のりは、皆、言葉少なだった。
焼き払われた集落の惨状を目の当たりにして、会話を交わすだけの元気もないようだ。
サンジは、無性にゾロに会いたかった。
会って、話をしたかった。
城を出て、何をしていたのか。何を見たのか。何もかもすべて、包み隠さずに教えてほしいと思った。
手綱を操る手は正確だったが、サンジは城に戻るまで始終上の空だった。
城に戻ったサンジたちを出迎えてくれたのは、先に諜報活動から戻ってきていたナミだった。
険しい表情でシャンクスの待つ謁見室に報告をしに行ったエースとは対照的に、ナミはにこやかだった。
ウソップとゾロのことをナミに尋ねたかったサンジは、ナミと二人きりで食堂へと向かった。
時間が時間だったからか、人の数は少なかったが、サンジには好都合だった。ナミと二人で適当な席に腰を落ち着けると、厨房でもらってきた松の実の入ったパンとホットミルクを口にしながら、互いの話に耳を傾ける。
エースより一足先にシャンクスに報告をすませているナミは、鼻高々にサンジに話をしてくれた。
ナミが出かけていたのは、サンジたちとは反対のフーシャの南東部だった。不穏分子を煽る輩がいるらしいという噂を聞きつけて現地へ行っていたらしい。結局、不穏分子そのものの存在が確認されず、無駄足を踏んだ感が拭えないでもなかったが、それをさっ引いても有り余るほどの大きな収穫を持ち帰ってきたとナミは言った。
話を聞いているうちに、サンジの視界の向こうで、食堂にエースが入ってくるのが見える。
どうしようかと思いながらも気付かないふりをしていると、シチューとパン、それにワインを手にしたエースがサンジのいるテーブルのほうへと近づいてきた。
「お疲れさん、エース」
にやにやと笑いながら、ナミが声をかける。
エースは顔をしかめてサンジの隣に腰を下ろした。
「さっき、中庭で出迎えてくれた時になんで話さなかった?」
珍しく不機嫌をあらわにしたエースに、サンジはぎょっとなった。こんなにふうにエースが怒るのを、サンジはあまり見たことがない。
「あら、何のこと?」
鼻先で小さく笑ったナミは、それまで手つかずだったオレンジジュースを一気に飲み干した。
「おかげでこっちは、大恥をかいた」
肩をすくめたエースは、ぐい、とワインを煽り飲む。グラスに並々と注がれたワインが、一口で半分ほどになった。
「今回の調査で、ウソップの荷物らしきものを焼け跡から発見したと言ったら、シャンクスに散々笑われた」
憮然とした顔で、エースは言う。
余程悔しかったのだろう。いまだにエースのこめかみのあたりがヒクヒクとしているのが、隣にいるサンジにもはっきりとわかった。
ナミはにやりと笑ってエースをじっと見つめた。
「優秀な諜報員が、判断ミス?」
低い声でナミは尋ねる。
エースはというと、気に入らないというふうに溜息を吐き、手にしたパンを噛みちぎる。サンジは黙って食事を続けた。今は、横から口を出す時ではない。
「てっきりあの場所で、ゾロの隊が壊滅したのかと思ったよ」
落とし気味の声でエースが告げると、ナミは目を丸くした。
「いやだ。そんなこと、あるはずないじゃない」
呆れたようなナミの声が、サンジの耳に反響する。
「そりゃあ、確かにゾロの隊は北方の調査に出かけていたけれど……だけどその後、ウソップの指揮でちゃんと川を下ってルフィの隊と合流してたわよ」
言いながらもナミの声は笑っている。
「どこをどうしたら、そんな妙な考えが浮かんでくるの?」
ナミの瞳が、猫の瞳のように煌めきを放つ。悪戯っぽい猫のような瞳は呆れたようにエースを一瞥すると、サンジのほうをちらりと見遣った。
「さあ。なんでだろうな」
投げやりにエースが答える。
サンジには知らされてはいなかったが、エースは、ゾロの隊を追っていた。ウソップを城へ呼び戻すため、秘密裏にあちこちを回っていたのだ。
「まあでも、よかったわね。ゾロもウソップも無事だったし、調査のし甲斐があった、ってことでしょう?」
あっさりとしたナミの物言いに、エースは疲労感を感じてぐったりとした。
「そういう報告は、もっと早くしてくれ」
自分だけが何も知らされていなかったのだと、二人の会話を耳にしながらサンジは思った。
そんなにも自分は、頼りないのだろうか?
シャンクスやベックマン、それにエースから見ると、いったい自分はどんなふうに見えているのだろうか。ただの我が儘な王子にしか見えないのであれば、これから自分はかわっていかなければならない。バラティエを背負う者として、分別ある者にならなければならないだろう。
ナミもエースも、夢中で言葉を交わしている。滅多に顔を合わすことがないからだろうか、この機会に情報交換をするつもりでいるようだ。
黙々と食事を平らげたサンジは、二人が会話に夢中になっているうちにとばかり、そそくさと食堂を後にしたのだった。
部屋に戻ってもたいしてすることはない。
一人でいると、後ろ向きな思いが胸の中いっぱいに広がって、サンジを悩ませた。
かといって、エースやナミと一緒にいても、気分が晴れることはなさそうだ。自分一人だけが取り残されてしまったような疎外感を感じるのは、気のせいではないはずだ。
どうしたものかと思いながら自室の前までやってくると、隣のゾロの部屋が騒がしかった。
わずかに開いたドアの隙間から中を覗くと、ゾロの緑色の頭がちらりと見える。
いつの間に、ゾロは戻ってきていたのだろうか。
「ゾロ……」
ドアのノブに手をかけようとすると、女性の金切り声が耳に響いてきた。ドアの影でサンジからは見えない位置にいた女性が、叫んでいるのだ。
「やめてください!」
サンジの手が反射的に止まる。
「やめてください。せっかく傷が治りかけてきたのに、これ以上、無茶をしないでください!」
ベッドから降り立とうとするゾロの足首に巻かれた包帯が、血で、ほんのりと赤く滲んでいるのがサンジにも見えた。
「大丈夫だ。無茶はしねえ」
そう言って尚もゾロは、部屋を横切ってドアのほうへと向かおうとする。
「歩かないでください、お願いだから。まだ傷の癒えていないあなたを部屋から出してしまったら、私……」
必死になってベッドに引き留めようとする女性を、ゾロが力任せに突き飛ばすのが見えた。
サンジは、力一杯ドアを開け放った。
「ゾロ!」
サンジが部屋に飛び込んだ途端、ゾロの表情が和らいだような気がした。
「よ、サンジ」
にやりと笑ったゾロは、どこから見てもふてぶてしかった。
半狂乱の女性は、部屋から下がらせた。
包帯を赤く染めている男をベッドに連れ戻したサンジは、食堂から軽めの食事をもらってきた。
「ほら。食べろ」
サイドボードにトレーを乗せると、ちらりとゾロの様子を窺う。
少し顔色が青いのは、怪我をしているからだろうか。
「お前は、もう食べたのか?」
尋ねられ、サンジは小さく頷く。
「さっき、食堂で食べた」
返しながら、サンドイッチをゾロの口元へと持っていく。
「食べろよ」
顔をしかめてゾロはサンドイッチを口に運んだ。
「シチューももらってきた。ああ、酒はダメだって、料理長が言っていた」
サンジがそう告げると、ゾロはあからさまに不機嫌そうな顔をした。
「酒ぐらい飲ませろよ」
低い声でゾロがぽそりと言うと、サンジはこっそりと笑った。まったくこの男は、怪我をしても酒が一番なのだろうか。
「シャンクス直々の命令が出ているから、ダメだってさ」
いつの間にか、シャンクスの命令が厨房には行き渡っていた。怪我人のゾロには、酒と名の付くものはいっさい飲ませるなという命令だ。
しかし怪我をして戻ってきたゾロには、面白くない。
酒ぐらい飲ませろとサンジに散々ぶつくさ言った挙げ句、飲ませてくれないなら自分で食糧庫まで酒を取りに行くと言い出す始末だった。
これにはサンジも慌ててしまい、隣の自室から寝酒がわりのワインをこっそりと持ち出してくるしかなかった。
「絶対シャンクスには言うなよ」
サンジはそう言ってワインのボトルをゾロに渡した。
「ああ。わかってら」
一言でも口にしてしまえば、取り上げられるに決まっている。
サンドイッチとシチューを口の中に詰め込みながらゾロは、時折ワインをボトルごとラッパ飲みした。口の端からワインの赤い色がたらりと零れ、寝間着やシーツに赤い染みを残した。
「落ち着いて食べろよ」
呆れたようにサンジが言うと、ゾロは無邪気に笑って「気にするな」と返した。何日ぶりかに会ったゾロは、思っていたよりも機嫌がいいようだ。
ベッドの縁に腰掛けたサンジは、ゾロが食事を終えるまで、じっと彼の顔を見つめていた。
To be continued
(2008.12.11)