「……招待状?」
怪訝そうな顔をして綱吉は呟く。
届けられた一通の招待状の裏には、封蝋が施されている。表面の凹凸を確かめるように指でなぞりながら、綱吉は顔をしかめた。
差出人の名前こそ書かれていなかったが、封蝋に使われたこの紋様には見覚えがある。
知らず知らずのうちに、綱吉の眉間にぎゅう、と皺が寄る。
開けたくはなかった。
どうせロクでもない用事で呼び出されるに決まっている。
見てはいけない、このまま捨ててしまうべきだ。そう思うものの、恐いもの見たさの好奇心も綱吉の胸の内には存在しており、しばらく悩んだあげく、手元で表にしたり、裏にしたり、見えるはずのない内側を透かしてみようとしたりして、いじましく眺めるにとどめることにした。
そのうち、執務室にフゥ太が戻ってきた。
被保護者にあたるランボの世話のために執務室を離れていたフゥ太は、綱吉の様子を一目見るなり、取り繕うような奇妙な表情をした。
「……なに?」
声をかけると、フゥ太は机越しに手を伸ばし、綱吉がヒラヒラとさせていた招待状をひょい、と取り上げる。
「ビアンキ姉からの招待状だね」
裏返して、蝋に押された紋様を確かめながら、フゥ太が言う。内容を既に知っているような雰囲気に、綱吉は探るようにフゥ太の顔を見つめた。
「なんて書いてあった?」
あまりいい内容ではないだろうことは、フゥ太の様子からもなんとなくわかった。
できれば見なかったことにして知らんぷりを貫きたいところだが、ビアンキ相手にどこまで通用するかは神のみぞ知る、だ。
「……結婚式の招待状だったよ」
はあ、とフゥ太は溜息をつく。
「ビアンキと……リボーンの?」
おそるおそる綱吉が尋ねると、フゥ太は「そうだったらまだよかったんだけどね」と返して、もう一度、溜息をついた。
「じゃあ、誰の?」
いったい、誰と誰の結婚式なのだろう。
聞くべきではないことはわかっていたが、聞かなければ綱吉自身の気がすまない。わからないままで放っておくと、後々、とんでもないことになりそうな気がしたのだ。
「──ツナ兄の、だよ」
声を潜めて、フゥ太は告げた。
部屋の中の空気が一瞬にして凍りついた。
たった今、自分が耳にした言葉が信じられず、綱吉は口をあんぐりと開けたまま、フゥ太の顔を凝視した。
「俺……の?」
嘘だろう、と綱吉は呻き声を上げた。
当の本人が知らないままに結婚式の招待状が手元に届けられるとは、いったいどういうことなのだ。
手元のペーパーナイフを取り上げると綱吉は、手にした招待状の封を切った。
二つ折りの真っ白な招待状は、間違いなく結婚式の招待状だ。この年になれば何度か目にする機会も出てくるものだ。だが、自分の結婚式の招待状が、どうしてビアンキから届けられなければならないのだろうか。
封筒の中からカードを出す手がおぼつかないのは、これが自分の結婚式の招待状だと知ったからだ。動揺していることは自分でもわかっていたが、手が震えるのだから仕方がない。
なんとかしてカードを取り出し、目の前で広げてみる。
中には、確かに自分の名前が書かれてあった。
沢田綱吉、と。
それからその隣には、獄寺隼人、とも。
「獄…寺……隼人」
綱吉も名前だけは知っていた。
ビアンキの腹違いの弟で、日本に住んでいるとも聞いている。だが、男だ。獄寺隼人という名前の示すとおり、男なのだ。
「……男同士って、結婚できたっけ?」
おそるおそる綱吉が尋ねると、フゥ太はご愁傷様といった表情で綱吉を見つめ返してきた。
「ビアンキ姉が結婚させようとしてるんだ。できないわけがないよ」
その言葉に、綱吉は叫び出しそうになった。みっともなく叫んで、わめいて、暴れ回って部屋を壊したらどうだろう。結婚なんて取りやめにならないだろうか。
「ちなみに式は明日、午後二時から。招待状を手にした人たちはもう並盛に集まりつつあるから、中止はできないよ」
どうして、と綱吉は思った。
どうして当事者である自分が、自身の結婚式のことを何も知らされていないのだ。どうして男と結婚しなければならないのだ。どうして結婚相手の情報が、何もないに等しいのだ。
「どうして……」
言いかけた綱吉に、フゥ太は申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめんね、ツナ兄。これは、一種の政略結婚なんだ」
フゥ太の言葉には重みがあった。
目を見て話してくれないからだろうか、いっそうその言葉が重く綱吉にのしかかってくるようだ。
「な…なん、で? 政略結婚って……」
そういう形の結婚があることは、綱吉も知っている。
綱吉自身、マフィアとしては少しは名の知られたボンゴレ・ファミリーの十代目で、そういった重々しい話を幼い頃から祖父や父から聞かされてきた。
だからというわけではなかったが、政略結婚という形の結婚を否定するつもりはなかった。とは言え、男同士という部分には賛成しかねる。だったらまだ、年上のビアンキとの結婚を言い渡されたほうがずっとマシというものだ。もっとも、それなら納得して結婚するのかと問われると、そういうわけでもないのだが。
「明日、って、随分と急だね」
お膳立てを整えようと思うと、それなりに時間が必要だ。話が出たのは昨日今日のことではないだろう。
「……本当にごめんね、ツナ兄。少し前からビアンキ姉の実家が困ってる、って話は聞いていたんだ。だけどまさか、こんなことになるとは僕も思ってなかったから……」
フゥ太がそう言うのなら、事実なのだろう。昔からフゥ太は気持ちの優しい子だと言われていたから、何かを企んだりするようなことはないはずだ。それよりもむしろ、ビアンキの立てた計画に巻き込まれたと言ったほうが近いのではないだろうか。
「困って……って、融資の話は何度かあったと思うけど、あれは片付いた話じゃなかったっけ?」
確かに融資の話が出たことはある。だが、そう切羽詰まった話ではなかったはずだ。
「片付いてなかったみたいだよ」
と、フゥ太が言うのに綱吉は小難しい顔をしてみせた。
考えてみれば、ビアンキの父という人はプライドの高い人だった。その一方で自分の手に余るような無茶なことはしない人だったようにも思われる。融資の件はおそらく、控えめに見積もって話していたのだろう。
だが、こうなってしまったら仕方がない。
隠し続けられるような話ではないし、いつかは全員の知るところとなるだろう。
「この結婚のことだけど……表向きはビアンキ姉が実家の後を継ぐから、腹違いの弟がツナ兄と養子縁組を組むために家を出される形になっているから」
だからそのつもりでいるようにと、フゥ太は言い足した。
「面倒くさいなぁ」
だったらどうして、結婚式なんてまどろっこしいことが必要なのだろう。ビアンキは、いったい誰に何をアピールしようとしているのだろう。
「……それで、オレの結婚相手の獄寺隼人君って、どんな子?」
養子縁組なら、まあ、理解はできる。綱吉はさっさと思考を切り替えた。
「十四歳だってさ。明日、式の時に直接本人に会って確かめればいいと思うよ」
子どもじゃん──口に出して言うことこそしなかったが、綱吉は危うく噎せるところだった。
男同士での結婚というのも理解できなかったが、相手が十四歳とは綱吉も思っていなかった。歳の離れた弟というのは、本当のことだったらしい。
「本当に結婚するのなら、犯罪じゃん」
未成年の男子と結婚させるつもりだったビアンキは、いったい何を考えてこんなことを企んだのだろう。ますますもって理解できない。
渋い顔をして綱吉は、椅子から立ち上がった。
「ツナ兄?」
まだ何か言おうとしているフゥ太を片手で制すと綱吉は、いつになく真剣な表情をした。 「今日はもう仕事にならないから、自室でふて寝でもしてるよ。明日は、式に間に合うように起こしてくれればいいから」
ぶっきらぼうにそう告げると、綱吉は執務室を後にする。
フゥ太に怒ったところでどうしようもないことはわかっていた。これは単なる八つ当たりだ。そうとわかっているものの、怒らずにはいられない。
バタン、と執務室のドアを音を立てて乱暴に閉めると、綱吉は足音も荒く自室へと戻っていった。
こうなったら、本当にふて寝でもするしかない。
十四歳の男の子と養子縁組という名の政略結婚をするだなんて、あまりにも突飛すぎる。 しかも明日、家族や友人、それに他の同盟マフィアのボスや幹部たちに男同士の結婚式を披露することになっているのだ。
こんなことが許されていいのだろうか。
ビアンキに一言文句を言ってやりたいような気がしたが、口論で彼女に勝てるだけの自信はなかった。
はあぁ、と大きな溜息をつきつき、綱吉は自室に逃げ込んだのだった。
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