部屋に戻ってきた獄寺は、Tシャツにハーフパンツといった格好をしていた。
どこにでもいる、ごく普通の中学生とかわらない。
ドレス姿で青白い顔をしていた時よりはすっきりとした顔つきになっている。
「あたたまってきたかい?」
声をかけると、ちら、とこちらを見たものの、すぐに視線を逸らされた。
「お先……っした」
ボソリと告げると、できるだけ綱吉から身を離したところに立ち尽くす。
急いで髪を拭いただけなのか、湿った毛先からはポタポタと雫が落ちている。
「先に休んでていいよ。オレも風呂に入ってくるから」
続き部屋になった奥の部屋へと視線を向けると、ダブルベッドがひとつ、こちらからは見えている。あそこで今夜、二人とも休まなければならないのだ。
疑わしそうな表情の獄寺は、明らかに警戒しているようだった。
当然だと綱吉は思う。獄寺は、今日、顔を合わせたばかりの相手と強引に結婚式を挙げさせられた。それも、男の綱吉とだ。これで綱吉が女であれば獄寺の戸惑いもいくらか解消できたかもしれないが。
男同士で、しかも十の歳の差。戸惑いや迷いがないはずがない。そして嫌悪も。
嫌がられても仕方がないと綱吉は思っている。
「あ。髪、ちゃんと乾かしてから休んだほうがいいよ、獄寺君」
そう言うと綱吉は、素早くバスルームーへと足を向ける。
必要以上に構ったりしたら、今は獄寺の警戒心をより大きくするだけだ。少しずつ自分の存在に慣れていってもらおう。これからは、一緒に生活をしなければならないのだから。
バスルームへと続く脱衣所のドアをパタンと閉めると、綱吉ははぁーっ、と溜息をついた。
どうしたらいいのか、わからない。
獄寺が戸惑っているように、綱吉自身も戸惑っている。
何しろこれから、十歳も年下の男の子と一緒に暮らさなければならないのだ。
日常が変化するだろうことはわかっていた。獄寺は中学生だから、できるだけそれに合わせてやらなければならないだろう。日々の生活があまりにもハードなようだと、出入りの手伝いでも頼んだほうがいいのかもしれない。まだ、わからないが。
「まったく、ビアンキのやつ……いったい何を考えてんだか」
思わず綱吉は呟いていた。
そもそもビアンキがこんな妙なことを考えなければ、自分も獄寺も振り回されることはなかっただろう。
普通に養子縁組をするだけでよかったのではないだろうか。
結婚だなんて、わざわざ獄寺を見せ物にするようなことをして……そう、綱吉だって恥ずかしかったのだ。
男同士で誓いのキスなんて、思い出しただけでも顔から火が出そうになる。
だけど……と、綱吉は考える。式の時の獄寺のあの格好は、確かに可愛かった。首にはチョーカーを巻き、肩口を大きく開けたドレス姿だった。鎖骨のラインが見えそうで見えなくて、綱吉は色っぽいと思ってしまった。女の子とは異なる男子特有の薄い胸をフリルとリボンでうまく隠したデザインでもある。シフォン地のドレスは膝丈のそう長くはないドレスだったが、サイドから後ろへかけてはチュールレースとリボンをあしらい、腰のラインをみごとに誤魔化している。
ビアンキの力作だと聞いているが、確かに頷ける出来だ。
しかし、似合うからといって獄寺には常日頃こういう格好をしてほしいとは思うわけではない。年相応の男の子らしい格好をしてほしいと、綱吉は思う。ビアンキや、周囲に流されるのではなく、自分のやりたいようにしてくれればいいと思うのだ。
「オレには荷が重すぎるよ」
中学生の男の子と同居だなんて、無理だ。しかも相手とは結婚式を挙げたのだ。いったいどんな顔をしてこの先、一緒に暮らしていかなければならないのだ。
いや、しかし。自分はつい今しがた、獄寺を実家にいる時と同じように大切に育ててやらなければと決心したばかりではないか。
無理ではなくて、やらなければならないのだ。
獄寺の父のかわりに。ビアンキのかわりに。
はあぁ、と重苦しい溜息をつくと綱吉は、脱衣所の鏡の中の自分自身を見つめ返した。
シャワーもそこそこに、綱吉はバスルームを後にした。
とりあえず、今夜はさっさと休むに限る。
ダブルのベッドはそれなりの広さがあるから、二人で横になってもシングルの時のように密着しなければベッドから落ちてしまうといった心配をする必要はない。相手がいることなど気にせずに、さっさと眠ってしまえばいいのだ。
すっかり寝支度をととのえた綱吉が奥の部屋に戻ると、獄寺はまだ起きていた。
ベッドの上で、膝を抱えてじっとしている。
「あれ、待っててくれたの?」
声をかけると、弾かれたように獄寺は顔を上げた。やっぱり怯えている。
大人の自分ですらこんなに悩み、戸惑っているのだから、子どもの獄寺の不安はそれ以上のものだろう。
「髪、乾いた?」
手を伸ばして獄寺の髪にさっと触れてみると、髪はまだしっとりと湿っていた。
この様子からすると、獄寺は髪も乾かさずにじっとここでこうして座り込んでいたのだろう。
「ちょっと待ってて。ドライヤーとってくるから」
言うが早いか綱吉はバスルームへと引き返す。備えつけのドライヤーを部屋へ持ってきて使っても、別に構わないだろう。
「ほら、髪乾かしてあげるからもっとこっちに寄って」
子どもの頃に綱吉自身、年下できかん気のランボの髪を数え切れないくらい乾かしてやってきた。それに比べれば獄寺の髪を乾かすぐらい、どうということはない。
ベッドの端にちょこんと座り直した獄寺の後ろに腰を下ろすと綱吉は、ほっそりとした銀髪にドライヤーをあてていく。指通りのいいさらさらとした髪は、いつまでも触っていたいような気になる。
「ほら、すぐに乾いただろ?」
自分のごわごわとした髪とは異なる獄寺の髪を、綱吉は少しだけ羨ましく思った。これならドライヤーをしなくても、そう酷い寝癖がつくこともないかもしれない。
「……ありがとう、ございます」
ボソボソと獄寺が告げるのに、綱吉は小さく笑みを浮かべた。
「今日から家族なんだから、気にしなくてもいいよ。ビアンキは結婚式やら何やら派手なことをしないと気がすまないようだったけど、オレはそんな堅苦しくは考えていないから」
ビアンキの希望を叶える形で大々的に結婚式を挙げさせられたその裏で、綱吉と獄寺は養子縁組をしている。だったら、保護者と被保護者として暮らせばいいのだ。別に獄寺と性的な関係を持つ必要はない。ここから先は、二人の気持ちの問題だ。
「でも……」
それでも歯切れの悪い獄寺の頭を、綱吉はぽんぽん、とする。もう少しこの髪に触れていたい。手触りがよくて、癖になりそうだ。
「他人同士の人間が一緒に暮らすことになったんだから、いろいろあるとは思うけれど……自分の家にいるのと同じように思ってもらっていいからね、獄寺君」
綱吉の言葉に、獄寺は困惑したような表情をした。
「でも、俺……」
じっと綱吉を見つめるふたつの目は、淡い緑色をしている。綺麗な色だ。フゥ太の報告では獄寺はなかなか気の強い少年だということだったが、これまでのところ、そういった態度は微塵も見受けられていない。今はまだ猫を被っているのかもしれないが、早く素の獄寺を見たいと綱吉は思っている。
「ビアンキに何か言われた?」
彼女のことだから、獄寺にはよからぬことを吹き込んでいるかもしれない。式に出席した友人から聞き出した話では、獄寺の実家の借金の形に綱吉と結婚することになったのだということを、一度ならずビアンキが口にしていたことがあったらしい。そういった話を獄寺が知っているとすれば……。
「俺の実家がヤバイって話は知ってました」
獄寺の声は、思ったよりもしっかりしていた。
俯いてはいたが、声の調子ははっきりとしている。
「だから十代目のところへ嫁にいくことになった、ってことも……その、姉貴から聞かされています」 やはりそうだったのかと綱吉は顔をしかめた。
「それで……あの、俺、やっぱ十代目とセックスしなきゃなんねーんでしょうか」
今にも泣き出しそうな、なんとも言えない表情で獄寺が尋ねてくる。戸惑っている獄寺は、可愛らしい。泣き出しそうな顔も、口元をきゅっと一文字に引き結んでなにかを堪えている表情も、どれもみな、綱吉には愛しく思える。
「セッ……」
「するんですか、セックス」
いったいビアンキは、十四歳の子どもにどんなことを話したのだろう。
「いや、あの……」
ぐいぐいと獄寺は身を乗り出してきて、綱吉に迫ってくる。
「俺、十代目がしたいと思われるのなら、頑張ります。男だし女みたいに胸があるわけじゃないけど……あの、口でしたって構いません。十代目のためなら……」
必死になって言ってくる獄寺が可愛くて、可哀想に思えた。
「……獄寺君」
綱吉が着ているパジャマにしがみつくようにして獄寺は、一生懸命に伝えようとする。十代目のためなら、男同士だろうと何だろうと、体の関係を持っても構いません、と。
全身で訴えてくる獄寺の様子を見ているのが悲しかった。
ほっそりとした体にそっと腕を回して、怖がらさないように、壊さないようにゆっくりと抱きしめる。
「大丈夫だよ、獄寺君。オレは君の嫌がることはしない。絶対に」
耳元に囁きかけると、ようやく獄寺は自分たちの体勢に気がついたようだった。
「あ──あの、十代目」
言いかけた口元に、綱吉はキスを落とした。
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