『冷たい炎』



  すぐにウソップを呼んで、オーブンの修理をしてもらうことになった。
  修理をしている間は、サンジといえどもキッチンに入ることはできない。
  仕方がないとサンジは、甲板にバーベキューコンロを引っ張り出した。今夜は甲板でバーベキューだ。
  すぐにルフィがやってきて、サンジの邪魔をし始める。
  わけもなく苛々としていた。気分がささくれ立って、いつものように笑ってやり過ごすことができない。
  コンロの上に並べた野菜にルフィが手を出した瞬間、本気で蹴りが出た。
  自分でも驚いたが、苛々とした気持ちは一向におさまりそうにない。勢いで拳骨が出た。ルフィの頭をゴン、と殴りつけたサンジは、腹の底から低い声を絞り出した。
「……静かにしろ」
  あまりにも機嫌の悪そうなその声に、気の弱いチョッパーがビクッとした。首を竦めてこそこそと、サンジから離れようとする。
「なんだよ、サンジ。腹減ってんのか?」
  あまりにも無神経なルフィの言葉に、サンジのこめかみに青筋がビッと走る。
  震える拳を何とか押さえつけ、サンジはゆっくりと息を吐き出した。
「食糧庫に行ってくる」
  憮然としたままそう告げると、サンジは足音高く甲板を横切っていく。
  背後でルフィが、全然わからないといった風に呟くのが聞こえた。
「なあ。なんでサンジのヤツ、怒ってんだ?」



  オーブンの修理は、サンジがキッチンを使わない時間を利用して進められた。
  サンジが片付けたシンク周りをあまり汚してしまわないようにと気を遣いながら、ウソップが作業を進めていく。
  大切なメリー号のため、丁寧に少しずつ作業をこなしていくウソップの背中にちらりと目を馳せて、サンジは小さく溜息をつく。
  キッチンがこんなことになってしまったというのに、自分の頭の中はエースのことでいっぱいだ。料理人としては失格だと、サンジは思う。こんなにも……そう、料理のことすらロクに考えることができないほど、エースに心を持っていかれてしまっている自分は、いつもの自分ではないような感じがする。
  それでは、たった今、この場所にいる自分はいったい誰なのだろうか。
  料理人でない自分とは、いったいどんな自分なのだろうか。
「……なあ、サンジ」
  目の前の背中をじっと見つめたままあれこれ考え事をしていたサンジだったが、とうとう耐えかねたようにウソップが口を開いた。
「その……そうやってじっと睨まれていると、居心地が悪い、ってか…──」
「ああっ?」
  ギロリと目をすがめてサンジが声をあげると、ウソップはおどおどとした薄ら笑いを浮かべ、オーブンへと向き直る。
「いや何でもねえ。さー、作業、作業」
  ブツブツと言い訳がましく呟いて作業に取りかかるウソップの背中に気付かれないように溜息を零すと、サンジはキッチンを後にした。



  あの時、炎は弾けたように見えた。
  ひときわ大きく瞬いて、炎がオーブンの中で膨れあがった。と、同時に腹に響くような低い音がしたのだ。
  赤い炎は、オーブンの内側を舐め尽くし、ドアを吹き飛ばしてサンジへと迫ってきた。
  逃げようとは思わなかった。ただ呆然とサンジはその様子を見つめることしかできなかった。
  赤い炎は綺麗だった。激しく燃え上がる炎の色に、サンジは見惚れた。まるでエースのように、激しくて、そして優しい炎の動きを見つめていると、サンジの体がカッと熱を孕みだす。男の体温を思わす炎の熱さに、サンジの鼻の奥がツンと痛くなる。
  綺麗だと思った。
  自分には一生手に入れることのできないものだ、とも。
「エース……」
  呟く声は、微かに震えている。
  あの時、炎を見つめながらサンジは、エースに抱かれたいと思った。今すぐに、あの男に抱かれたい。ぐちゃぐちゃになるまで陵辱され、犯されたい。激しく燃えさかる炎の中で、思うままに嬲られ、果てたい。望みは叶わなかったが、熱くなった体はその日一日中、サンジを苛み続けた。



  体の中に残る熱を鎮めるためにその夜、サンジは一人きりで格納庫へと降りていった。
  息をひそめて階段を下りると、カンテラの炎を絞る。
  前回ここに来た時は、エースの腕の中で眠った。あれから何日も経った今、一人きりでいることが無性に寂しく感じられた。
  持ち込んだ毛布にくるまると、積み上げた土嚢袋にもたれ、息を吐き出す。
  この先いったい、エースと自分はどうなってしまうのだろうか。エースの記憶が戻ったとして。この船での短い期間のことはエースの記憶からは抜け落ちてしまうのだろうか。サンジが愛したエースは、どこにもいない記憶の中の人となってしまうのだろうか。
  そんなのは寂しすぎる。あまりにも寂しい。
  左手の中指で自分の唇をなぞると、エースの唇が思い出された。
  キスをする時に、あの男はいつもふざけてサンジの唇を甘噛みした。唇の感触が好きだった。あの男の体臭も、密着した時の肌の熱さも好きだった。
  何もかも全て、エースのものなら好きだった。
  肌も、指先も、唇も、汗のにおいも、何もかも。
  あの声で「サンジ」と名前を呼ばれたい。苦しいほどに深くキスをして、舌を絡め合いたい。
  ペロリと唇を舐め、サンジは右手で自分の股間に触れてみた。硬い。布地の上から何度か指先を滑らせると、すぐにこもっていた熱が腹の底からチリチリと焦げ付くような痺れを呼び起こした。
「は、あ……」
  深い息をつくと、布地の下の高ぶりがいっそう硬く張り詰めるのが感じられる。
  下着の中に手を入れ、直接、性器に触れてみた。陰毛を掻き分け、勃起したペニスの根本から焦らすように先端へと竿を辿る。エースに触られた時のことを思い出しながら、ぎこちなく手を動かしてみる。
「ぁ……」
  手の中の性器が、ピクン、と跳ねる。
  もどかしいような胸の痛みにサンジは顔をしかめた。
「……エース」
  男の熱が欲しかった。指先の熱さと、肌の熱さ。腰の高ぶりはいちばん沸点の高いところだ。硬く張り詰めたもので貫かれる瞬間は痛み以上に幸福感を感じた。自分が征服される幸せと、相手を征服する悦びの、相矛盾した感情で満たされる瞬間の心地よさをサンジは知っている。いちど知ってしまえば、手放すことなどできやしない。
  あの男のことが、好きなのだ。
  先端をてのひらで包み込み、弧を描くように手を滑らせた。
  腰から腹の底にかけて広がる痺れるような快感が、たまらない。
「ん、っ……」
  クチ、と湿った音がするのは、先走りが先端から溢れ出したからだ。染み出した先走りをてのひらになすりつけ、亀頭全体に広げていく。
  気持ちよくてたまらないのは、エースのことを考えながら手を動かしているからだ。
「あ、んんっ……」
  土嚢にもたれてサンジはマスターベーションをした。
  腰が揺れるたびに物足りなさを感じるものの、体の熱を鎮めるためにはこうするしかない。
  虚しいことだということは、最初からわかっていた。



  明け方の空気がどこからか格納庫に入り込んできた。
  寒さに身を震わせ、サンジはノロノロと目を開けた。
  一人きりの寂しさに、体が震えた。
  自分は一人なのだ。仲間はいる。しかし、それだけだ。愛した男は今日明日にでも記憶を取り戻し、そうしたらきっと自分から去っていくだろう。
  自分は、一人だ。
  仲間も、愛する人もいながらにして一人だというのは、なんと海賊的な生き方なのだろう。自嘲気味に微かに笑うと、サンジはしっかりと毛布にくるまる。
  起きるにはまだ少し早い時間だ。もう一眠りしようと目を閉じる。
  早々と起き出した誰かの足音が、甲板から響いてくる。耳に馴染みのあるあの、足音。
  サンジはぎゅっと閉じた目に力を入れる。毛布の端を握りしめ、唇を噛み締める。
  早くどこかへ行ってくれ! あの男のものは足音ですら、耳にするのが恐い。
  毛布に深く潜り込み、じっと息をひそめていると、耳に馴染んだあの足音が格納庫へと近付いてくるのが感じられた。
  来るな、と念じると同時に、来て欲しい、自分がここにいるのに気付いて欲しいとサンジは思う。
  男の足音が躊躇うように近付いてきたかと思うと、格納庫の手前で止まった。
  心臓が、ドクン、ドクン、と音を立てて鳴り響きだす。
  エースは、格納庫に入ってくるつもりなのだろうか? それともただ気紛れにここまでやって来ただけなのだろうか?
  どちらにしても、とサンジは思う。
  エースの姿を目にしてしまったら、自分はきっと抑えが効かなくなってしまうだろう。
  こうやって毛布にくるまっている今ですら、あの男に自分は抱かれたいと思っている。いや、犯されたいのだ。火傷しそうなほど熱い男の性器で、激しく突かれたい。体の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられたら自分はきっと、あの男から二度と離れられなくなるだろう。
  それでもいいと、サンジは思う。
  記憶を失っていようが、もしかしたら敵となるかもしれない男だろうが、構わない。
  自分があの男を欲しているのだ。
  だいぶん経ってから、カチ、と音がした。格納庫のドアが開いた音だ。
  咄嗟にサンジは目をぎゅっと瞑った。
  少しだけ開けたドアの隙間から男が滑り込んできた。ドアを閉め、足音をひそめて男が近付いてくる。一歩、二歩、三歩……サンジのいる土嚢袋の小さな山をぐるりと回り込んで、男がやってくる。毛布越しにでも男の気配が感じられる。
  ポス、と頭に大きな手が置かれた。
「おい。ここで、何やってんだ?」
  男の声が間近で聞こえた。
  ほんのわずかな期間、男と疎遠になっていただけだというのに、サンジはひどく懐かしいような気がした。
  声を出そうとするが、うまい言葉がすぐに出てこない。喉の奥が焼け付くように熱く、口を開けると掠れた弱々しい声しか出てこなかった。
「寝てるのか?」
  穏やかな声に、サンジの体が震えそうになる。
  しかしサンジはじっとして身じろぎもせず、寝たふりを決め込んだ。
  何を話せばいいのか、わからなかったのだ。
  エースの手はサンジの頭を二度、三度と撫で、それから離れていった。名残惜しそうな指先を引き止めたいと思わずにいられなかったが、そのための言葉が今のサンジには見付からなかった。
「……ごめんな、サンジ」
  小さな、小さな……耳をそばだてていても聞き逃してしまいそうなぐらいに小さな声が、ポソリとサンジの耳元で囁かれた。
  それから、前髪の生え際に、軽く触れるだけのキスがおりてきた。



To be continued
(H23.2.6)



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