『愛は、キマグレ! 2』
久しぶりのゾロの部屋はいつもと同じでやっぱり殺風景で、何もなかった。
押し入れの隅からゾロはちゃぶ台を出してくると、部屋の真ん中に用意する。その間にサンジは、母屋から前もって借りてきた急須にポットの湯を入れ、湯飲みの用意を始める。
お互い、話したいこと、聞きたいことがたくさんありすぎるせいか、逆に言葉が出てこない。普段から手紙のやりとりをすることもなければ電話で会話をすることもないため、離れていた間に起きたどれを真っ先に相手に伝えればいいのかが、なかなか決められない。
用意をしてしまうと二人は言葉もなく、ちゃぶ台に向かい合って座ったまま黙りこくっていた。
妙に気恥ずかしい感じがして、顔を上げることですら躊躇われる。
視線を明後日のほうに向けて、二人ともあきらかに不自然な様子をしていると、引き戸がガラリと開けられた。
「ゾ〜ロ〜、田舎から酒饅頭送ってきたから、これ、おすそわけ」
にこりと笑う少女は、先ほどとは少し雰囲気が違う。眼鏡をしていないからだということに思い当たったものの、サンジは怪訝そうに彼女を見つめた。
「お久しぶり、サンジさん」
そう言って愛想良く笑う彼女からは、先ほどの刺々しさは微塵も感じられない。
「道場に持ってけよ」
しかめっ面でゾロが言うと、少女は軽く肩を竦めた。
「嫌。今、たしぎが道場使ってるんだもの。筋肉ムチムチの先輩が来てるから、たしぎに、邪魔するな、って怒られるに決まってる」
その言葉にゾロは口を半開きにして、あー、とか、うー、とかしばらく考え込んでいた。
「お前も稽古つけてやればいいんじゃねえのか?」
苦し紛れにゾロが言うと、目の前の彼女は酒饅頭の箱をちゃぶ台にダン、と叩きつけてゾロをギロリと睨み付けた。
「たしぎが、練習相手に志願したの。それに、あれはアンタが連れてきた人でしょう? アンタが稽古つけてあげればいいんじゃないの?」
意地の悪い笑みを浮かべて彼女はそう言うと、くるりと踵を返した。
「サンジさん、ごゆっくり」
引き戸のところでちらりとサンジを振り返った彼女は、にっこり笑って手を振った。
頬にかかる少女の髪がゆらゆらと揺れて、開け放った引き戸の向こうから吹き込んだ風と共に甘い花のようなにおいが部屋の中にさーっと入ってきた。
「……あの可愛いお嬢さんは、前に俺が会ったことのある娘だよな?」
確かめるように、サンジはゾロに尋ねた。
「ああ。紹介してなかったか? 今のは、くいなだ。で、さっき道場で会ったのが双子の妹のたしぎ。たしぎは潔癖性だから、気をつけろよ」
何を、とは、ゾロは言わなかった。が、あまりデレデレするなということなのだろうとサンジは解釈した。
しかし、それにしても今の今まで恋人のサンジに紹介を忘れていたなどという薄情なことがあっていいのだろうか。尋ねなかったサンジもサンジだが、いつかゾロの方から師匠のお嬢さんとやらを紹介してくれるものとばかり思いこんでいたのは、どうやら間違いだったらしい。
「じゃあ、あの、汚ねぇオッサンは?」
確かスモーカーとか呼ばれていたなと、サンジは思う。
筋肉質な体型だが、身のこなしはなかなか素早そうだった。
「ああ。ありゃ、大学講師だ」
言いながらゾロは、饅頭の箱を開けて中を検分している。受け取る時には嫌そうな顔をしていたものの、早速饅頭を食べる気でいるらしい。
「大学の先生が、こんなところに稽古に来るのか?」
畳みかけるようにサンジが尋ねると、ゾロは物珍しそうにサンジの顔を覗き込んだ。
「気になるか?」
まっすぐな眼差しに見つめられ、サンジは一瞬、ドギマギした。
「あ……いや、あの……ほ、ほら、お前、アイツのこと知ってるみたいだったから、それで……」
サンジの言葉に、ゾロは「ああ」と頷く。
「俺の通ってる大学の講師だよ、ありゃ。根性が捻くれ返ったヤツだから、あんまり近付くなよ」
その言葉でサンジは、ゾロがあの男にあまり好意的ではないらしいことを感じ取った。
「ふぅん」
と、サンジは湯飲みに手を伸ばす。お茶を一口すすり、ゾロの言葉を頭の中で反芻してみる。
大学──俺の通っている大学と、ゾロは言った。普段、気が向けば朝からでも喫茶店に入り浸っているこの男が、大学に通っているのだろうか? いったい、いつから?
「それより、お前も食うだろ、酒饅」
尋ねられて、サンジはつい頷いていた。
自分のことを話すよりも、ゾロのことが聞きたい。自分がいない間、ゾロがどうしていたのか、何をしていたのか、話してほしい。何もかも、全て。離れていた間の空白を埋めるぐらいたくさんのことが、きっとあったはずだ。
箱の中から饅頭を取り出したゾロは、サンジの前へと一個押しやる。
「うまいぞ」
嬉しそうに言って、ゾロは笑った。
饅頭を食べて、お茶を飲んで。
ゾロの話を聞きたくてうずうずしているのに、それでもサンジはいまだに言葉ひとつ口にすることができないでいる。
饅頭の包みを開けると、芳醇で優しい酒の香りが広がる。柔らかな皮と、ほんのりと酒の味がする滑らかな餡。サンジは饅頭を味わうように、ゆっくりと囓った。
「離れている間、お前、何をしていた?」
不意にゾロが声をかける。
弾かれたように顔を上げたサンジは、ぎこちない笑みを浮かべた。
「料理の修業に決まってっだろ」
ゼフの元にいた時にはなかった複雑な人間関係に、少しばかり嫌気のさすこともあった。修行が厳しいだけなら、おそらく気にもならなかっただろう。そしてそれ以上に、些細なつまらないことで気持ちが落ち込んだことのほうが、サンジにはショックだったのだ。
「ふぅん」
ゾロはじっと、サンジの目を見つめた。
心の奥底まで見透かされてしまうのではないかと思うぐらい鋭いゾロの眼差しに、サンジは身が竦むような感じがした。
「……あー、でも、向こうで友達ができてさ」
視線をゾロから逸らしながら、サンジは言葉を続けた。
「エースって言って、面白いヤツなんだ。俺より年上らしいんだけど、これがとんでもなくドジなヤツでな……」
そう言って、ぐい、と湯飲みの底に残っていたお茶を飲み干す。
「それで、お前のほうはどうだったんだ? まさか、浮気なんかしてねぇよな?」
問うた瞬間、ゾロは目をすがめてサンジを睨み付けた。
「するか、アホっ」
言葉少なにそれだけ言うと、また黙り込む。
「本当か?」
もう一つ、と、サンジは饅頭に手を伸ばす。その指を、ゾロの節くれ立った手がぎゅう、と握り締めた。
「あ? 痛てぇだろ、馬鹿ゾロ」
口を尖らせて言いながらも、サンジはその手を引っ込めようともせず、ゾロに掴まれたままにしておく。
「お前は、どうしてたんだよ。俺が……いない間」
自分でも思っていなかったほど優しい声が、サンジの口から出た。
掴まれた手が、ゾロの口元に引き寄せられる。
「…お前が修行に出てすぐに、大学に復学した」
ゾロが喋ると唇がサンジの手を掠め、またすぐに離れていった。くすぐったいような感触に、サンジの背筋がぞくりとなる。
「それから?」
尋ねかけると、ゾロはニヤリと笑った。
「それだけだ」
「それだけ?」
「そうだ、それだけだ」
そう言ってゾロは、握り締めたサンジの指先にペロリと舌を這わせた。
to be continued
(H19.11.9)
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