『冷たい炎』
今思えば、誰もエースが能力者であることを話してはいなかったのだろう。
サンジに限って言うと、話す必要はないと思っていた。
何故だか、能力者というものは自らそれと気付くものだと思いこんでいたらしい。能力者でありながらあらかじめ説明をしておかなかったチョッパーの思惑まではわからないが、サンジはそうと思いこんでいた。そうでなければ、チョッパーから既に話してあるものと思っていた。
どこかムッとしたような様子でサンジの出方を待っているエースは、これまでになく子どもっぽい表情をしている。
可愛いと、そんな風に思ったサンジは慌ててにやけそうになる口元を引き締めた。
「あー……それについては、チョッパーに聞いてくれ」
チョッパーが話していないということは、その時点では能力者についての知識は必要ないと判断されていたのではないだろうか。もしかしたら、もっとエースが精神的に落ち着いてから説明するつもりでいたのかもしれない。
口の先を尖らせてエースは、側にやってきたサンジを見上げる。
タイピンをしていないサンジのネクタイが、ゆらりと揺れた。
「潮のにおいがきついな」
そう言ってサンジは、エースの髪に手を伸ばした。潮焼けした髪の間に絡まったゴミを慎重に指で摘んでとってやる。口にくわえていた煙草は反対側の手に持った。髪に触れるサンジの足が、エースの太股に軽くあたった。
「シャワー浴びてきたほうがいいんじゃねえの?」
からかうようにサンジが言ったところで、エースの手がネクタイに伸びていく。
「ん? 邪魔だったか?」
椅子に腰掛けたエースを見おろすようにして、サンジは顔を覗き込んだ。
やっぱりサンジの眉は、くるりと巻いている。掴んだネクタイを、エースはゆっくりと引っ張った。
サンジの顔が、ゆっくりと下を向く。
唇がゆっくりと合わさった。
自分はいったい何をしているのだろうと、サンジは男の額を見ながら思う。広い額の真ん中、眉間に皺を寄せて、男の唇はサンジの唇を塞いでくる。逃げようとすると、大きな手で後頭部をしっかと固定された。
「んっ……」
唇を割り開くかのように、男の舌先がサンジの唇を何度も舐める。
この先を、サンジは知っていた。男同士でキスをするのは初めてだったが、舌先が蠢き、そのうちに口の中に入ってくることぐらいわかっていた。
男の舌が唇の隙間をこじ開けてサンジの口の中に侵入してくる。途端に、サンジの口の中に溢れてきた唾液をちゅう、と吸われた。痛いほど舌を吸い上げられ、唾液を搾り取られる。
「ん、んんっ」
体を動かすと、いつの間にかサンジの体はエースの膝の間に挟み込まれていた。
「や、め……」
体を捩り、抵抗すると、エースの手が強い力でサンジの腰に絡みついてくる。強い力で引き寄せられ、サンジの足はふらついた。エースの太股に、サンジは自分の太股を押し付けるようにしてよろめく体を支えた。
唇の隙間から空気を吸うと、はあ、と色めいた溜息が出た。体がぼうっと火照っているのは、これはエースのせいだ。
唇が離れていくとサンジは、ぐい、とエースの肩を押した。心持ち体を離し気味にして、男の顔を見る。なかなか強引な唇の合わせかただったというのに、意気消沈した顔のみっともないことと言ったら。
それでも、じっと真っ直ぐにサンジを見つめる瞳の色が気に入った。
この眼差しは、悪くはない。
サンジは改めて男の顔を見、それからふわりと頭を抱き締める。
「不安か?」
そう、男の耳元で囁いた。
「こんな時、俺が女だったらよかったのにな」
そしたら、慰めてやることができたのに。男の不安を吹き飛ばすのは、女の役目だ。抱き締めて、何度でもキスをしてやるのに。そう告げると、エースの両腕がそっとサンジの背に回された。
記憶を失った男を可愛いと、サンジは思う。
自分よりひとつ年上の、しかもなかなかに筋肉質な体型の男のことを可愛いなどと思う日が来るだろうとはサンジ自身、考えてもいなかった。
だが、可愛いのだ。
無防備で、不安定で。目の前の記憶のない男がどうしようもなく、サンジには可愛く見える。
側にいて、守ってやりたいと思ってしまう。
こんな感情は間違っていると、サンジの中でもう一人の自分が冷たく言い放つ。男の自分が、同じ男に抱く好意以上の気持ちを許せないでいる。
どうしよう。自分はいったい、どうしたらいいのだろうか。このまま流されてしまってもいいのだろうか?
触れ合った部分から、エースの体温が伝わってくる。薄いシャツ一枚を間に、相手の体温が感じられる。あたたかいと、思った。
「女ばかりがいいとは思わねえ」
喉の奥から掠れた声を絞り出して、エースが告げる。
サンジの体がピクンと震えた。
潮のにおいがするエースの髪に唇を押し付け、サンジは目を閉じた。
もう、いい。このまま流されてしまおう。そう思って目を開ける。さらに強く男の頭を掻き抱き、ところ構わず唇を押し付けた。
心惹かれた女性にだって、こんなことをしたことはない。
溜息を吐きながらサンジは、エースの髪に口づけを落とす。背中を撫で回すエースの手が、心地よい。
「男のお前がいいんだ」
言いながらエースは、サンジのシャツの隙間からするりと手を中に忍び込ませる。
「言葉遣いが悪くて、足癖の悪い、お前がいい──」
その言葉に応えてサンジは、エースの臑を軽く蹴飛ばす。
「てっ……」
何か言いたそうにサンジを見上げたエースの眼差しは、飢えたような眼差しをしている。
「──…俺が、欲しいのか」
ゆっくりとサンジが尋ねた。
「ああ。サンジが、欲しい」
このまま体を繋げてしまえば、何かがかわるかもしれない。
サンジはごく自然に、エースにキスをした。
チュ、と音を立てて唇を吸うと、脇腹のあたりをエースの手が撫でていくのを感じて体が震えた。
「ん……」
ゾクリと、鳥肌が立つ。
ゆっくりと這い上がるエースの手が、脇腹からうっすらと浮き上がった肋骨をなぞり、平らな胸へと辿り着く。
「男だぞ、俺は」
エースの手が胸の尖りに触れるのを牽制しながら、サンジが告げる。
「知ってる」
即座にそう返すと、エースはニヤリと笑った。記憶を失ってからの彼がこういった表情をするのは珍しい。
もう一度キスをして、今度は自分から舌を相手の口の中に潜り込ませた。ざらりとしたエースの舌は熱くて、甘い蜜のような香りがしている。味わうようにさらに深く唇を合わせ、唾液を啜った。
キスの最中に、サンジは思った。
おそらく、彼をより欲しているのは自分のほうだろう、と。
男の肉、男の血。声も、肌のぬくもりも全て、奪い取って自分のものにしてしまいたい。庇護欲よりも征服欲が胸の内でフツフツと沸き上がり、想いを遂げるための欲望が血流となって体の中を駆け巡っている。
抱くのは自分のほうだと、胸の内でこっそりと呟く。
たとえ、実際には自分のほうが受け手になるとしても、抱くのは自分だ。サンジ自身の意思で、この男を自分の中に受け入れるのだ。
エースの肩に手をあてると、サンジはするりとなで下ろす。
「俺が欲しいのなら、奪い取れ」
そう言ったサンジの瞳の奥にもまた、エースの飢えに似た光が宿っていた。
テーブルに腰掛けると、サンジのほうがエースより視線が高くなる。
立って上から見おろすよりもより近く、より密着感を感じることができる位置。
喉を鳴らしてサンジは、エースの唇を吸った。柔らかい下唇の感触を何度も味わい、舌で唇をなぞる。あたたかいエースの舌先が、ちろちろとサンジの舌先をつついてくる。じゃれ合うように舌を絡め合った。
いつの間にかエースは椅子から立ち上がっていた。押さえ込むようにしてサンジの体をテーブルに仰向きに寝かせると、まだとまっていたシャツのボタンを外していく。
「男は初めてか?」
神妙な顔つきでエースが尋ねると、サンジは淡い笑みを浮かべた。
「どっちだと思う?」
冷ややかな眼差しでねめつけると、苛立ったようなエースの手がサンジの膝をぐい、と割り開く。
「そうこなくちゃな」
満足そうにサンジは呟いた。
自分が誘ったことにしておけばいい。どうせ今、目の前にいるエースはいつかは消えてしまうのだから。ならば、記憶が戻った時に後腐れのないようにしておいてやらなければ。
それぐらいのことなら、今のサンジにも出来るだろう。
そして、そうしてやることがエースのためなのだと、そんなふうにサンジは思っている。きっと今日のことは、記憶を取り戻した時には、必要のない想い出になっていることだろう。
サンジの白い肌に顔を埋め、エースは朱色の跡を残していく。首筋、胸元、臍の脇ときて、とうとうボトムに指がかかる。バックルを外す音がやけに大きくサンジの耳に響いた。
「後悔しても知らねえぞ」
脅すようにエースが告げる。最後通告のつもりだろうか。
サンジはニッと笑ってエースの腰に足を絡めた。
「それは、こっちのセリフだ」
足に力を入れてしがみつくと、エースの体が覆い被さってきた。
噛みつくような激しいキスが何度も交わされた。
鼻にかかったような甘えた声を出しながらサンジは、エースにしがみついた。エースの広い背中にしっかと両手を回す。
待っていたかのようにエースの手が、サンジの股間へと伸ばされた。
To be continued
(H20.5.3)
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