『冷たい炎』
緩慢な動きで、指が肌を辿っていく。
パチパチという焚き火の爆ぜる音と、自分たちの息づかいと……それから、口づけを交わす時の湿った音。
首筋にキスをされ、サンジは身を竦めた。
大きな手のひらが肌の上を這い回り、サンジの体を温めていく。
洞窟に入った時から感じていた寒気は、今はもうない。エースの手の温かさに、体が熱を放ち始める。熱すぎると、サンジは思った。
「肌が白い、って、言われるだろう?」
胸の突起をくりくりといじりながら、エースが尋ねる。
「んっっ……ぁ……」
答えるかわりに、鼻にかかった甘えたような声があがった。
「ここに……」
と、みぞおちの少し右、肋骨の下あたりに手を置いて、エースは笑った。
「キスマークをつけてみたい」
あまりにも明け透けなものの言い方に、サンジは眉をひそめ、それからすぐに微かに笑った。 所有の印は欲しい。相手が女性であっても、欲しと思う。所有され、支配される心地よさをサンジは知っている。
だけど、欲しいのはここではない。
欲しいのは……
「そこは、ダメだ」
そう言って鼻で小さく笑った。
どこに欲しいのかは、教えてやらない。
男の顔を覗き込むと、不安そうな眼差しがじっとサンジを見つめている。可愛いと、つい、そんなふうにサンジは思ってしまう。自分よりひとつ年上の男だというのに、何故、そんなことを思ってしまうのだろう。
「じゃあ、こっちは?」
今度はへその脇に手を置いて、遠慮がちにエースが尋ねる。
サンジは意地の悪い笑みを貼り付けたまま、首を横に振った。そんなところに欲しいのではない。そうではなくて、もっと…──
「一カ所だけ、マーキングさせてやる。よく考えてからつけろよ」
さらりと言ってのけるとサンジは、エースの首にしがみついていった。
大きなうねりの中に放り込まれたような感じがして、サンジは思わず声を上げていた。
エースの手が尻の肉を左右から鷲掴みにした。
ゆっくりと、男の棒が挿入されていく。
熱さと痛みにサンジの体が震え、白い背中が大きく弓なりにしなった。
「エース……エース……」
掠れた声で何度も男の名前を呼んだ。
夢中でしがみついた男の腕は、逞しかった。ぎゅっと腕を掴むと、そのまま背に腕を回され、身を引き上げられた。太股に座らされたサンジは、ぴたりと男の体に密着した。
「このまま助けが来なくても、アンタとなら何とかなりそうな気がする」
小さく笑ってサンジは言った。
「助かるんだよ、俺たちは」
あっけらかんとした物言いで、エースは言い切る。こういうところは兄弟だけあって、ルフィとよく似ているとサンジは思う。一緒にいて不安を感じさせないものの言い方は、今、いちばんサンジが欲しいものだった。
「ああ……そうだな。そうだよな」
自分を納得させるように頷いてサンジは、エースの唇をペロリと舐めあげた。
この先どうなるかを憂うのではなくて、この先どうしなければならないのかを考えよう。自分たちはきっと、助かるはずだ。そう思うと、張り詰めていた気持ちが少し、楽になった。
唇を合わせて、舌を差し込んだ。エースの舌は、熱っぽくて、ざらざらとしている。舌を吸い上げると、お返しとばかりに、胸の突起をきゅっとつままれた。
鼻にかかった声が洩れ、恥ずかしさを隠すためにサンジは、エースの首にしっかりとしがみついていく。
あやすように優しく体を揺さぶられ、サンジは喉を鳴らした。
島に漂着してからずっと、鳩尾の奥ににしこりのように居座っていた言いようのない不安が、呆気なくどこかへ溶け出していく。
「エース……」
二人で助かろうと、サンジは呟いた。
エースの発する熱に翻弄されながら、確かに自分はそう呟いたと、サンジは思った。
目が覚めると、太陽はすっかり空に上がっていた。
浜辺へ出ると、砂の白さが目に痛いほどだ。
いつ頃から起き出していたのか、エースが集めてきた果物や魚が、木陰に敷いた椰子の葉の上に並べて置いてあった。
「よくこんなに集めてきたな」
小さく口笛を鳴らしてサンジが呟く。
海岸にエースの姿は見あたらない。
太陽の光がまぶしくて、サンジは目をすがめた。
昨夜はあんなにも不安だったというのに、今朝はこんなにも清々しい。エースに抱かれたことで、胸の内にあった不安は消えてしまったらしい。
太股の内側に残されたエースの所有の印が、サンジには嬉しかった。体の奥が疼くたびに、所有の印が燻っているような感じがする。
「起きたのか」
不意に、声がかかった。
山ほどの薪を抱えて、エースは戻ってきた。腰のベルトに吊されているのは、野ウサギだ。
「迎えが来るまで、燃やし続けるぞ」
砂浜にドサリと薪を置いて、エースは言った。
「そうだな」
二人で助かろうと言ったその言葉を守るため、サンジは薪を積み上げ始める。
薪を腕に抱えようとしたところで、エースの手がそれを遮った。
「いいから。ここは俺に任せておけよ」
口元に人当たりのいい笑みを浮かべて、エースは言った。
「それよりも、腹が減って仕方がない。何か食えるものを作ってくれ」
言った端から、エースの腹の虫が鳴った。
サンジは嬉しそうに頷いた。
二人で、助かるのだ。
洞窟の中で燻っていた火から調理用に火種をとってきて、海岸で魚も肉も焼いた。肉が焼けてくるのを待ちながら、果物を囓った。
食べ物があるということは、迎えの船が来るまでの間、生き長らえることができるということでもある。
幸い、この島には食べ物がある。少しぐらい迎えが来るのが遅れたとしても、当分の間は何とか過ごすことができるだろう。
それでも、一刻も早く、迎えが来てほしいと思わずにはいられない。
過去のトラウマはとっくに克服したと思っていたが、やはり、嫌なものは嫌なのだ。
エースの積み上げた薪に目を馳せ、サンジは溜息を吐いた。
煙草がほしいと、思わずにはいられなかった。
優秀な航海士嬢のおかげで、サンジはたちは三日としないうちにメリー号に回収された。
風の向きと潮の流れ、それからエースの燃やした薪のおかげで、発見が早まったとナミは言っていた。
気が張りつめていたのか、回収された日の夜、サンジはぐったりとして料理をするだけの元気もなかった。
それでも、無理を押して仲間のために食事を作るのは、サンジがプロに徹していたからだ。
本当は、足が震えて動くことすらままならなかった。怖くて怖くて、あの島から無事にメリー号に戻れたことが信じられないほどだった。そんな弱い自分を認めたくなくて、サンジは、皆のために食事を作った。
そうしていれば、余計なことを考えずにすんだ。
そうしていれば、普段の自分を取り戻すことができた。
一仕事終えた後のサンジは、キッチンの椅子に腰掛けてぐったりとなっていた。サンジの体調などお構いなしのルフィは、いつも以上に食が進んだようだ。こき使われた後の充実感は、アドレナリンとなって今も体の中を駆け巡っている。
ポケットから煙草を取り出すと、サンジはふぅ、と溜息を吐いた。
帰ってこれたことに感謝して、煙草を口にくわえる。
マッチを使おうと服のポケットを探っていると、エースがやってきた。
黙ってサンジの目の前、テーブルの隅にほんの少しだけ尻を乗せると、金髪に唇を押し当てる。
「なんだよ、俺は疲れてるんだ」
唇をとがらせてサンジは、エースを軽く睨みつけた。
ニヤニヤとした人の悪い笑みを浮かべた男は、勿体ぶって手を差し出した。サンジの目の前でパチン、と指を弾くと、何かが揺らいだ。
「あ……?」
炎だった。
エースの指先にともった小さな炎は、揺らめいてオレンジ色の光を放っている。
「きれいだろ」
自慢げにエースが言う。
「いつから……」
言いかけたサンジの唇に、指が押し当てられる。
「誰にも言うな。まだ、全部思い出したわけじゃないんだ」
頭を寄せてきたエースは、声を潜めて静かに告げた。
サンジは黙って、火をわけてもらった。
煙草の煙が立ち上り、いつものニコチンのにおいがサンジの鼻をくすぐった。
その夜、サンジはエースの腕に抱かれて眠った。
格納庫におりた二人は、一枚の毛布を二人で使った。
密着した肌を通じて、エースの熱がサンジにも伝わってくる。
あたたかかった。
この男を手放したくないという思いが、サンジの胸の内では渦巻いている。しかしその一方で、一日も早く元のエースに戻ってほしいと思う自分も、いる。
元のエースに戻るということは、二人の関係も終わってしまうということだ。
全てを思い出したわけではないと告げたエースの表情は、確かに、記憶を失った男のものだった。
筋肉質な男の肩にしがみつくと、暖を取るかのようにサンジは体をすり寄せていった。
夜は、まだ明けない。
うとうととしかかったと思うと、ちょっとの物音で目を覚ます。何度も寝返りを打っては、目を開けた。
自分が怯えているのだということに気付いたのは、明け方近くになってからだった。
結局のところ、サンジは恐れているのだ。エースの記憶が戻ってしまうことを、そして彼がサンジの側から去っていくことに対して、怯えている。
何故、こんなにもこの男のことが気にかかるのだろう。
庇護欲も征服欲も、感じる。
だけど根本のところでは、何故、自分がエースのことを気にかけているのかがわからない。
自分はいったい、この男のどこに惹かれているのだろうか。
苛々とサンジは、眠る男の肩口に噛みついた。
皮膚を、舌先でゆっくりとねぶった。
微かないびきをかきながら、男は眠っている。
起きるまで肩を噛んでいようかとも思ったが、そうはしなかった。
鼻の奥がつんとなり、サンジの目の端に、うっすらと涙が滲んだ。
To be continued
(H20.10.16)
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