『恋はトツゼン! 13』



  どれぐらいの時間、うとうととしていたのだろうか。
  気がつくとゾロがいた。
  目を開けると、壁にもたれるようにして床に座り込んだゾロの姿が視界に入ってくる。
  自分はまだ夢を見ているのだろうかとサンジがじっと凝視していると、ゾロが小さく身動いだ。
「悪かったな、無茶させたみたいで」
  言われた瞬間、カッ、と頭に血が上った。
「うるせぇ」
  と、サンジが睨み付ける。
  それ以上は言うなと、サンジの眼差しが暗に告げていることに気付いたゾロは、口を閉ざすと何もなかったようにまた、じっとサンジを見つめる。
  そうやってしばらくの間、互いに見つめ合っていた。
  じっとしていると店の中の物音が微かに響いてくる。
  いったい今は何時頃だろうかとサンジは思った。客の立てる物音や会話が聞こえてこないところを見ると、どうやら店はとっくに閉まっているようだ。
  ほんのりと卵粥のにおいがしてくる。小さな頃、サンジが熱を出すとゼフがいつも作ってくれた。最近は食べることもなくなっていたが、このにおいは卵粥のにおいに間違いない。
  二人して見つめ合っているとサンジの腹が鳴った。口の中に唾が湧いてきて、サンジは改めて空腹を感じさせられたようだ。
  こちらを見て、ゾロがにやりと笑う。
  決まり悪そうにゾロを睨み付け、サンジはゆっくりと上体を起こした。



  タイミング良くドアが開いた。
  厳つい表情はそのままで、ゼフが声をかけてくる。
「目が覚めたんならメシを取りに来い」
「俺が行こう」
  すかさずゾロが立ち上がり、店へと降りていく。
「二人分あるから、適当にお前らで分けろ。食い終わったらここの流しに置いておけ。それぐらいはできるだろう」
  トレーには二人分の茶碗と湯呑み、箸が二膳。それに卵粥の入った土鍋と一緒に蓮華が乗せてあった。
  ゼフはそのまま振り向きもせず、ゾロに背を向けたままで店を出ようとしたが、気が変わったのか不意に立ち止まって言った。
「お前……緑頭のケツの青いヒヨっ子だとばかり思っていたが……」
  ぽつりとゼフが呟く。
  黙ってゾロは、その呟きに耳を傾けている。部屋と店とを隔てるドアを閉めておいて正解だったと、ゾロは密かに思った。たった一枚のドアだが、されど一枚だ。ドアが閉まっていなければゼフも、ゾロに喋りかけることはなかっただろう。
「うちのチビナスを、てめぇの事情に引きずり込むな」
  店のドアのノブを握り締めたままで、ゼフが言う。
「この店の存続は首の皮一枚で何とか繋がったが、それで何もかもが許されると思うなよ」
  そう言うとゼフは、ドアを開けた。
  カラン、と戸口の隅につけたベルが鳴る。
  ゾロは無言で頭を下げた。
  義足が痛むのか、ひょこひょこと片足を引きずって歩くゼフの後ろ姿が街の闇に溶け込んで見えなくなるまでずっと、ゾロはそうやって頭を下げていた。



  トレーを持って部屋に戻ると、サンジがぎろりとゾロの顔を凝視した。
「なんだよ。たかがメシ取りに行くだけなのにどこまで行ってたんだよ、てめぇは」
  不満そうに口を尖らせて、サンジ。
「ああ、ちょっとな」
  やんわりとゾロは返した。これで誤魔化すことが出来たとは思わなかったが、それでも、本当のことを──たった今、ゼフに言われたことを──教える気にはなれなかった。
「どこに置くんだ?」
  尋ねながらもゾロは目の端に捉えた折り畳み式のテーブルに気付き、片手にトレーを持ったまま、あいているほうの手でテーブルを引きずり出してくる。
「ちょっと持ってろ」
  片手が塞がっているためになかなか思い通りにテーブルを出すことができず、とうとうゾロはそう言ってトレーをサンジに押し付けた。苛々としているのか、こめかみのあたりに青筋が立っている。
  テーブルを出し、そっとベッドの脇に置く。それからサンジに持たせたトレーを取り上げ、テーブルに乗せた。
「さて、食うか。腹減ってんだろ、お前」
  わざと明るい声を出すゾロを、サンジは訝しげに見ていた。
「──ジジィに、何を言われた?」
  低いがしっかりとした口調で、詰問する。
  ゾロは肩を竦めて返した。
「釘を刺された。お前を、俺の都合で振り回すな、とさ」
  嘘は言っていない。まあ、だいたいのところはこんな意味合いだったはずだ。これ以外にも言われたことがあったが、それは サンジの知らなくてもいいことだった。これ以上は、知る必要はない。ゾロは先刻のゼフの言葉を鉄の塊か何かのように、唾と一緒にごくりと喉の奥へと飲み下ろした。
「なんだよ、それ」
  不服そうにサンジは頬を膨らませる。
  ゾロは「まあ、まあ」と笑って、卵粥を茶碗に取り分けてやった。
「ほら、食えよ」
  鼻先に茶碗を突きつけてゾロが言うと、サンジは茶碗をひったくり、掻き込むようにして卵粥を胃袋に納めていった。よほど腹が減っていたのだろう。
  その様子を横目に見ながら、ゾロも卵粥を食べる。
「……うまいな」
  ぽつりとゾロが呟くと、サンジはにこりと破顔した。



「ごちそうさま」
  最後の一粒まできれいに食べてしまうと、ゾロはトレーを手に立ち上がった。
「食い終わったら流しに置いとけと言われた」
  言い訳がましく、ゾロ。サンジは苦笑して、自分もベッドから降りた。
「汚れ物を一晩放っておくのも何だし、片しとこうか」
  そう言って、ゾロの後について店に出る。
  明かりの消えた店内はブラインドの隙間から入ってくる紺碧色に染め上げられていた。壁の時計の針が、影の中でぼんやりと見えている。十一時半。
  流しの中にトレーから下ろした食器類をそっと並べていく。サンジは脇からひょいと流しを覗き込み、ゾロの手つきをじっと見つめた。
  不器用な手つきでゾロが茶碗を洗う。泡だらけのスポンジでさっと拭くと、ざっと水で流して汚れも残ったそのままに水切りカゴの中に入れようとする。
  すかさずサンジは手を伸ばした。ゾロの手の上から指を重ね、そっとスポンジで茶碗を洗ってみせる。
「洗い物ってのはなァ、こうやってするんだよ」
  自慢げにサンジが言った。



  二人で洗い物を片付けてしまうと、部屋に戻った。
  ゾロは居心地悪そうに部屋の中を眺めている。
「なあ、泊まっていかねぇ?」
  サンジは躊躇いがちに、背中からゾロの身体を抱きしめた。
「泊まっていけよ。明日は……」
  と、サンジはぎゅっ、とゾロの服を握り締めた。
  サンジが何を言おうとしているのか、ゾロにはわかってしまった。だらりと脇に垂らした両の拳を強く握り締め、また開く。しがみつくサンジの吐息が、上衣の布越しに感じられる。
  一緒にいたいとゾロは思った。
  今、この時だけでなく。
「──泊まってくよ。だから、もう寝ろ」






to be continued
(H15.12.5)



ZS ROOM

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