「店の権利なんて、いったいいつの間に……」
  半ば放心したようにサンジが呟く。
「そうなのよ。こっちだって予定外のことで、驚いてるんだから」
  と、ナミが相槌を打つ。
  ゼフは、とサンジがちらりと視線を馳せると、この厳つい顔の養い親は表情一つかえることなく、さらりと言ってのけた。
「人間、いつ何時、何が起こるかわからんからな。備えあれば憂いなしとも言うし」
  ナミが肩を竦める。
「お前が……」
  と、ゼフはサンジのほうを見遣った。
「店に直接、出入りできる部屋を作って欲しいと言ってきた時に、地主に相談して建物の権利を買い取ったんだ。どっちみち、増改築したら役所に申請しなきゃなんねぇからな。一つでも手間を省いておいて、助かった」
  ロビンが手にしたコーヒーカップがカチ、と音を立ててソーサーに戻される。彼女は黙って皆の会話に聞き入っていた。
「まったく、アイツに任せたのが間違いだったわ。土地の書類を見ただけで、家屋のほうの確認を怠るなんて……こっちはいい面の恥さらしじゃない。土地も家屋も地主が権利書を持っているものとばかり思ってたから、あたしは……！」
  ダン、とテーブルを叩いて悔しがっているのはナミだ。噛み締めた唇が真っ白になるほど力を込め、じっとテーブルを睨み付けている。ゼフが家屋の権利書を持っていたのも予定外なら、土地の権利が共有になっていたことも予定外だった。せめてもの救いは、立ち退きを要求するためにゾロがあまり手荒な行動に出なかったことだろうか。ニコ商会といえば悪名が高く、同業者たちはあまり関わろうとはしないが、それは何も人道に反するようなことをしてばかりだからというわけではないのだ。
「済んだことをいつまでも嘆いていても始まらないわ。気持ちを切り替えたら？」
  どこか面白がるようにロビンは、ナミに声をかけた。
「わかってるわよ、それぐらい。わかってる。あたしはただ、自分で確認をしなかったことを後悔しているだけ。家屋の権利が地主にあると思いこんでたものだから、毎日、ゾロをここに来させて……なんて無駄なことをしてたのかしら、この一週間」
  落ち込み気味の低い声で、ナミは言った。
「あーあ、ここの土地も家屋も、何もかもすべてが地主だけのものだったら何の気兼ねもなく立ち退きを要求できたのに」
  だけど…──と、サンジは心の中で思った。
  おかげで自分は、ゾロと知り合うことが出来た。一緒に時間を過ごしたいと思う相手と、出会うことが出来たのだ。この一週間は、サンジにとっては無駄ではなかった。



  日の暮れかかった道場で、サンジはゾロを見つめていた。
  板張りの床は足にあたたかい。木の温もりが、充分に生かされているなと、サンジはこっそりと思う。
  張り詰めた空気の中、ゾロは一心に竹刀を振っている。音を立てずに動く足の運び。竹刀を振り上げる瞬間、袖口からちらりと見える二の腕の筋肉。きりりと結んだ口元。何よりも鋭い、その眼差し。おそらく今のゾロには、サンジの存在など見えていないはずだ。足の運び、腕の構え。竹刀を振るタイミング。そういった、自分だけの世界にゾロは今、没頭しているのだ。
  剣道に関しては全くの素人であるサンジには、ゾロが今、何をしているのかすらわからない。が、わからないなりにサンジはゾロの一挙一動を熱心に見据えて、一つとして見落とさないように意識を集中している。
  胴衣に染みだした汗のせいで、布地がゾロの肌にへばりついている。短く刈った髪も、濡れて汗の滴をポタポタと滴らせている。
  男の色香とはこういうのを言うのだろうかと、サンジは思った。
  木のにおいと、ゾロの汗のにおいとが入り交じって、サンジは軽い目眩を覚えた。
  まるでゾロに抱かれているかのような錯覚を感じてしまう。
  ここにいると、自分の邪心がゾロの修行の妨げになってしまう。あんなにも熱心にゾロが竹刀を振っているというのに、自分はいったい何を考えているのだろうか。
  自嘲気味に口元を歪めると、サンジは立ち上がり、その場を後にした。
  道場では、まだゾロが竹刀を振っていた。



  離れでゾロの練習が終わるのを待っていると、心の中がざわめき立ってくる。
  不安で、不快で、あまりいい感じはしない。
  夕暮れの残照が窓から入ってきて、部屋をオレンジ色に染めている。もしかしたら夕暮れのせいかもしれない。夕暮れになると人は、寂しさを感じる。赤ん坊がそうだ。それまですやすやと眠っていた赤ん坊が夕暮れになると突然、わけもなく寂しがり、火がついたように泣き出すことがあると聞く。夕暮れ泣きとはよく言ったものだと、サンジは思った。
  大きな溜息を吐いた。今の自分はわけもなく寂しがる赤ん坊と同じだと、胸の内でこっそりと苦笑する。
「──待たせたな」
  不意に、ゾロの声がした。
  サンジが顔を上げると、入り口に上半身裸のゾロが立っていた。井戸水を頭から流してきたのか、髪だけでなく肩のあたりや胴衣までもがじっとりと湿っている。
「今から母屋まで湯をもらいに行くが、お前も一緒に来るだろう？」
  そう言い切られて、サンジはつい頷いてしまっていた。
「よし。じゃあ、ついて来い」



  男二人で入っても充分すぎるほどの余裕がある風呂だった。
  古めかしい檜造りの風呂で、新調したばかりらしい桶だけが若々しい檜特有のにおいを放っている。
「すごいトコだな」
  感嘆したようにサンジが言う。
「そうか？　まあ、よその風呂に比べると広いかもしれんが」
  そう言ってゾロは、頭から湯をかぶる。
  少し熱い湯と、清潔な石鹸のにおいに、サンジはドギマギした。
  もたもたとかけ湯をし、ゾロの隣に椅子を並べてサンジも身体を洗い始める。と、ゾロが声をかけてきた。
「洗ってやろうか？」
「え？」
  驚いてゾロのほうへと視線を向けると、口元ににやにや笑いを浮かべたゾロが石鹸を手にとって泡立てているところだった。
「遠慮するな。ちゃんと綺麗にしてやるよ」
  言うが早いかゾロは、サンジの背後に回った。
  背後から抱きかかえるようにして、ゾロが手を回す。石鹸を持った手がサンジの繁みに押し付けられた。
「お……おい、いいって。それぐらい、自分で……」
  ぬるり、と石鹸が繁みを滑る。
  ゾロの手つきは優しくて、サンジはそのまま流されてしまいそうな気がした。
「やめっ……」
  泡立つ石鹸がぬるり、ぬるり、と繁みを滑り玉袋に押し当てられる。すぐにサンジの股間は焼け付くような熱に包まれ、硬さを増してきた。慌ててサンジはゾロの手を掴んだ。するとゾロは、もう片方の手で今度は蟻の門渡りを抜けてその奥の窄まりへと指を進めてくる。
  窄まりを探し当てた指が、ずるり、と内側の壁を擦り上げた。
「っ……はっっ」
  サンジの腰がビクン、と跳ねる。
  その瞬間、膝が痙攣にも似た動きをして桶を軽く蹴飛ばした。