どこにも帰さない2


  背徳と罪悪、そして快楽がそこにはあった。
  綱吉の指先が触れることを想像して、獄寺は自身の性器に触れた。先端から溢れ出した先走りを舐め取られることを切望し、指先についた透明な液をペロリと舐めた。
  抱き締められた時の体温、汗のにおい、耳を掠める吐息を感じたいと思った。
  震える声で、綱吉を呼んだ。
「……十代目」
  掠れて、欲情した獄寺の声はひどくみっともなかった。
  それでも、綱吉が欲しいと思った。自分の中に硬くそそりたつものを突き立てて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて欲しいといつも願っている。
「十、代目ぇ……」
  媚びるような甘ったるい声をあげながら獄寺は、自身の竿を扱き続けた。にちゃにちゃと湿った音がして、手元が先走りにまみれていく。
  太もものあたりにスウェットと下着をまとわりつかせたまま、獄寺はマスターベーションをしていた。
  何年か前に、綱吉の母が二人のために揃いで買ってくれたスウェットだ。こんなふうに自慰行為をしてはいても、一瞬でも綱吉に抱かれているような気になることができる。
「じゅ、だ……ぃ……」
  不意に、ドクン、と腰に集まった熱が膨れ上がるような感じがした。獄寺のすらりとした指を、白濁が汚していく。
「あっ、ぁ……」
  ブルッと体が震えた。
  ヒートの熱がまだ体の中で燻っているような感じがする。
  しっとりとなった指で自身の唇に触れてみた。白濁のついた唇を舌で舐めると、青臭く、苦かった。こんなものを口に入れるなんてどうかしている。だが、これが綱吉のものであるなら口に入れ、飲み下したいと思う自分がいる。
  後ろの孔を女のように使われ、白濁をぶちまけられたい、孕まされたいという願いは日に日に大きくなってくる。
  オメガだからだろうか。
  自分が綱吉に対してこんな想いを抱くのは、自身がオメガとして生まれついているからだろうか。
  青臭い指をやんわりと噛みしめた獄寺の目に、うっすらと涙が滲んでくる。
  女になりたいわけではない。だが、自分は男でありながら、女のように孕むことのできるオメガという性を持っている。
  他の男に対してこんな想いを抱くことはなかったが、綱吉だけは別だった。
  綱吉が、欲しい。
  要は綱吉に抱かれたいのだ、自分は。
  唇が微かに震えて、押し殺した嗚咽が洩れた。
「……十代目」
  こんなことをして綱吉を穢す自分が許せないと、獄寺は思った。
  妄想の中でしか綱吉を手に入れることのできない自分が、獄寺は悲しかった。
  なんて浅はかで寂しい人間なのだろう、自分という人間は。
  さっさと京子やハルやクロームに綱吉を押し付けて、番となるべき他のアルファを探すべきだということはわかっていたが、なかなかそうする気にはなれなかった。
  綱吉が好きなのだ、やはり。
  綱吉でなければ、誰かを愛することなどできそうにない。綱吉だからこそ命を懸けようと思うことができた。共に生きようと言われれば、その声に従い、共に戦い抜いた。綱吉こそが獄寺のすべて、獄寺の命よりも大切なものなのだ。
  体の火照りが引いてくると、次第に頭の中もクリアになってくる。抑制剤が効いてきたのかもしれない。
  深くゆっくりと息を吸うと獄寺は、そろそろと手足を伸ばしていく。
  横たわったまま、スウェットパンツと下着を脱いだ。ベッドの下に無造作に投げ出すと、裸のままシーツにくるまった。
  目を閉じると、部屋の静けさが耳についてわけもなく苛立ちが募る。かといって、今は動く気にもなれなかった。
  体のそこここに残る熱が、ひどく煩わしい。
  じっとしていると、ビアンキの言葉がまたしても耳の中で響きだした。
「……っっ」
  拳を握りしめ、獄寺はさらに強く目を閉じる。
  今日だけだ、と心の中で呟いた。今日一日……いや、今夜一晩を乗りきれば、明日には抑制剤の効果で発情期と知られることなく過ごすことが可能になるはずだ。
  今夜だけだ、苦しいのは。
  寝返りをうち、何度も深呼吸を繰り返す。
  オメガであることは獄寺にとってマイナスでしかなかったが、薬と意志の力でもってヒートを抑え込み、完全にコントロールできていると思える瞬間はある種の誇らしさを感じることがあった。
  だからこそ、自分は綱吉のそばにいられるのだとも獄寺は思っている。男でオメガの自分が綱吉のそばでそれと気付かれることなくやっていけているからこそ、獄寺はボンゴレファミリーの守護者として存在していられるのだ。
  万が一にも獄寺がオメガであることを綱吉に知られたとしても、おそらく何も言われはしないだろう。綱吉はそんな些細なことをあれこれ気にかけるような狭量な人間ではないが、獄寺が嫌なのだ。
  オメガと知られてしまった後の周囲の反応を、獄寺は怖いと思っている。
  人は人、自分には関係ない。必死にそう思い込み、無関心を装っていても、その実心の中では周囲の反応を気にしている。ベータならともかく、オメガの自分のことをまわりの人間はどう思っているだろう、どんなふうに見ているのだろう、と。
  気にしても仕方のないことだということは嫌というほどよく理解しているはずだが、気持ちがついてこない。
  いつだってそうだ。こと綱吉が関係してくるとなると、いてもたってもいられなくなる。獄寺の悪いところだ。
  ゴロンと寝返りをうつと獄寺は、しばらくじっとしていた。そのうちに眠気がさしてきて、ざわつく心を抱えたまま、獄寺はいつしか眠り込んでいた。



  眠りは穏やかならざるものばかりだった。
  寝苦しく、不快な夢が次から次へと押し寄せてきては目まぐるしく変化した。
  最初に見た夢は、ヴァリアーと戦った時の記憶だった。鋭いナイフの切っ先に切り刻まれていく夢だ。その次には未来の世界に獄寺はいた。ミルフィオーレの連中に完膚なきまでの圧倒的な力を見せつけられ、ボンゴレ匣の開匣もできずに倒れていく仲間たちをただ見ていることしかできなかった。
  綱吉と戦う夢も見た。初めて綱吉と出会った過去の獄寺は、自分がオメガであることと、見た目からして頼りなさそうな綱吉がアルファであることに憤りを感じていた。
  オメガであることを憎み、呪い、疎んじる自分がいた。今もそうだ。いつか綱吉に、自分がオメガであることが露見するのではないかと怯えている。
  獄寺自身、自分がオメガ性だと知らされたのは十三になるかならないかの頃だった。まだ、綱吉と出会う前のことだ。主治医となったシャマルからオメガとしての心構えを懇切丁寧に聞かされ、初めてのヒートを経験した。コントロールするどころか、あの頃はヒートに振り回されるばかりだった。
  熱を鎮める手段は限られており、年齢的な問題から抑制剤を使わせてもらえなかったため、発情期がくるとはシャマルに頼らざるを得なかった。
  愛のない、屈辱に満ちた行為をそれでも獄寺は甘受した。それしか方法がなかったのだ。綱吉のいる日本へ向かったのは、その後、強力な抑制剤を手に入れ、発情期をコントロールできるようになってからのことだ。
  発情期中の夢で獄寺は、しばしばシャマルに犯された。ベータ性のシャマルは決してオメガのフェロモンに流されることはなく、強い意志の力でもって的確に獄寺の欲求を満たしてくれた。交合はせず、肌を合わせることもなかったが、張型を使った執拗なプレイに散々翻弄されるのが常だった。
  抱いてくれと獄寺のほうからせがむこともあった。
  無機質な張型の感触ではなく、人肌のあたたかさを感じたいと駄々をこねることがあっても、シャマルは淡々と獄寺を犯すばかりだった。あくまで主治医としての役割に徹したシャマルの潔さはしかし、ヒートに苦しむ獄寺にとっては無情な仕打ちでしかなかった。
  それでも、綱吉を想うようになった今はシャマルに本当の意味で抱かれなかったことを後悔してもいる。
  獄寺では、駄目なのだ。
  綱吉の相手はアルファだろうがオメガだろうがベータだろうが、女でなければならない。子を成せる女だ。男の自分では駄目なのだ。獄寺がオメガ性を持っていてもそれは、許されないことだった。
  気持ちは綱吉へと向いている。いつだって獄寺は、綱吉のことを想っている。
  だが、それだけでは駄目なのだ。
  男ではなく、女。それも昔から綱吉の周囲にいるようなタイプの女を妻とし、ファミリーに繁栄をもたらすことを第一に考えてくれる、そんな女でなければならない。いくらオメガ性を持っていて妊娠出産が可能だとしても、世間体を考えると綱吉の妻となるのはやはり女でなければならないのだ。
  子を成すことができても、獄寺は男だ。女ではない。自分には決してなることのできないものだと獄寺は思う。
  だから、京子やハルが綱吉のそばにいるのを目にしただけで訳もなく苛立たしくなることがあったし、彼女たちの存在を妬ましく思うこともあった。
  それでも完全に彼女たちを綱吉から切り離すことができないのは、ボンゴレ・ファミリーの行く末を思ってのことだ。男である自分のかわりに綱吉との間に子をもうけ、ボンゴレ・ファミリーを守る。そんな大役を務められるのはやはり女である京子やハルしかいないと獄寺は思う。
  男でもオメガでもない、女。
  それに、綱吉だってきっと女のほうがいいに決まっている。獄寺自身、綱吉とはいい友人で仲間だと思ってきた。今さら自分のことを恋愛対象として見てほしいなどと、言えるはずもない。
  女の華奢な体つきに柔らかな胸。甘い声。獄寺にはないものだ。きっと綱吉は女の濡れた蜜壷に昂りを突き立て、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜて……相手の望むままに白濁を放ち、孕ませるのだ。未来のボンゴレのために。
  ああ、と獄寺は小さく呻き声をあげた。
  綱吉のことを同じ男として尊敬する一方で、自分は彼に性的な欲望を抱いている。
  これではいけない、こんなことでは守護者として駄目だ、なっていないといつも思っていた。意識的に、そして無意識のうちに、自分の気持ちに歯止めをかけてきた。その強い気持ちが、ここへきて揺らぎ始めている。
  綱吉に想いを伝え、彼だけの番として、オメガとして扱ってほしいという気持ちが高まってきているのは、いったいどういうことだろう。
  ピルも抑制剤もちゃんと効いている。効果としてはまったくもって問題ないはずだ。
  だというのに何故、自分はこんなにも綱吉を求めてしまうのだろう。あの人に抱かれて、腹一杯に白濁をぶちまけられ、マーキングされたいと思っている。そうされることを望んでいる。
  おかしいのだろうか、自分は。
  それともオメガとしての自我が強くなりすぎたのだろうか。
  獄寺はぶるっと身震いをした。寒くもないのに鳥肌が立ち、震えが止まらない。
  あんなに疎ましく思っていたオメガとしての自分が前へ出てこようとしていることが、ひどく恐ろしく感じられる。
  綱吉と肩を並べてどこまでも共に歩いていけると思っていたのは、あれは幻想だったのだろうか。
「……十代目」
  綱吉を求める獄寺の声は、掠れて弱々しかった。
  シーツを握り締め、幼子のように身体を丸めると、腹の奥のほうで何かがシクシクと痛む感じがした。
  夢の続きはどこまでも夢でしかない。
  悪夢という名の、真っ暗なトンネルを獄寺は一人で歩き続けなければならなかった。
  翌朝、獄寺はどんよりとした目覚めを迎えた。
  抑制剤の効果はいつもとかわりないはずだったが、何かが違う。いつもより重苦しい身体を抱えて獄寺はベッドに起き上がる。
  この状態では守護者としての責務を果たすことは不可能かもしれない。面倒だが、シャマルの診察を受けたほうがいいだろう。あの男は無類の女好きではあるし色々と問題を抱えてはいたが、腕は確かだ。
  獄寺は深い溜息を吐き出した。オメガという厄介な性に生まれたからには、現実を受け入れるしかない。だが、獄寺がオメガとしての運命を受け入れるかどうかはまた別の話だ。
  ズキズキと痛む頭を抱えながら獄寺は、熱いシャワーを浴びた。それから煙草を一服しながら少量ながらも朝食を口にする。食べるのが億劫なのは、いつものことだ。
  乗り気のしない朝食をもそもそと胃袋に納めてしまうと獄寺は、抑制剤をいつもの倍口にした。
  今すぐにシャマルの診察を受けられるならともかく、今日はそんな時間はない。同盟ファミリーとの会合が午前中に控えている。
  すぐに用意をしなければ。



(2016.7.26)


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