どこにも帰さない10


  結局のところ自分はオメガで、周囲にはまるで綱吉の愛人のように振る舞うことしか期待されていないのではないかと、そんな不安が獄寺の頭に沸いてくる。
  山本の放った一言はトラウマのように獄寺を苛んだ。
  男同士であることがいっそう獄寺に負の感情を植え付けることになったのも原因のひとつだ。
  変わりつつある身体と、受け入れなければいけない現実が次から次へと目まぐるしくやってくる。オメガであることは昔から理解していたが、理解することと受け入れることはまた別のことだ。そこへ至るプロセスは、異なるのだ。
  獄寺ははあぁ、と深い溜め息をつく。
綱  吉と肌を合わせてしまったことは、もしかしたら早計すぎたかもしれない。まさか、妊娠の危険があるとは思ってもいなかった。たかが一度のセックスで子を孕む危険があるとは考えもしなかったのだ。定期的な発情期はあっても、自分に子が成せるとはこれっぽっちも信じてしなかった獄寺だ。今ひとつ現実を、しっかりと受け止めきれていなかった。
  シャマルに手渡されたアフターピルを口にした瞬間の苦々しい気持ちは、一生忘れないだろう。
  自分はオメガとして、その事実を受け入れなければならない。
  オメガという現実とまっすぐに向き合い、理解し、慣れていかなければならない。
  それにしても、破瓜の瞬間がわからなかったというのは意外だった。いや、そもそも男の自分に擬似処女膜があるということ自体、獄寺は知らされていなかった。シャマルを問い詰めると誤魔化されてしまったから、おそらく面倒になって話さなかったのだろう。
  その道の専門家がついているからと安心していたが、やはり自分でももう少し調べておくべきだった。
  綱吉の右腕として采配をふるっていた頃のほうが忙しかったし何かと気を遣う必要があったが、今のほうが思い悩むことは多い。時間に余裕があるからだろうか。ここにいると何もすることがなくて、日がな一日ぼんやりとただ無為に時間を過ごしてしまいがちになる。これではいけないと思うのだが、不定期に訪れる発情期のため、あれもこれも手付かずになっている。これではいけないということは、重々わかっているのだが。
  そんな中、獄寺の気紛れの虫が騒ぎ始めた。普段なら思い付きもしないことだが、クロームに会ってみたいと、ふとそんなことを思ったのだ。骸と番になった彼女なら、自分のオメガに対する意識を変えてくれるかもしれない。何も変わらなくても別に構わない。ただ、興味があるだけだ。単なるオメガから、番持ちのオメガになったら何が変わるのか、それとも何も変わらないのか、そこのところを知りたいだけだ。
  それに、変わるのは自分だ。クロームではない。
  獄寺は苛々と親指の爪を噛み締める。
  手持ちぶさたな時間が辛い。
  ここしばらくの環境の変化に、気持ちがなかなかついていかないのも仕方のないことだろうとは思うのだが、ストレスになっているのもまた事実だ。
  綱吉の不在も気にかかるところだ。二人の関係に進展が見られたと思った矢先の不在は、獄寺の不安をいたずらに煽るだけだった。
  早く戻ってきてほしいと思う反面、顔を見たらまた抱いてもらいたいと思っている自分がいることに戸惑いを隠すことができない。
  もっとも、綱吉に抱かれてから体調は安定しており、発情期の徴候は今のところ見られない。会えば会ったで綱吉のアルファのフェロモンに触発されて、発情するかもしれない危険性も孕んでいる。どちらにしても綱吉というアルファのフェロモンに自分は引き寄せられている。まともな判断ができなくなるほど、獄寺は綱吉のフェロモンに参っている。
  情けないことに、自分の気持ちを隠すことも難しくなってきているようだ。
  相変わらず、シャマルの診察は定期的に行われている。それすらも恥ずかしく思うようになってきた。
  裸になるのはまだいいが、自身の奥まった秘所を露にしなければならないのは辛かった。体を開かれ、奥のほうまで器具を突っ込まれ、覗かれる。その時々でどんな状態なのか、長々と説明を受ける。もちろん初めて肌を合わせた直後もそうだった。細々とした状態まで微に入り細に入り、すべて事細かに淡々と告げられた。
  だから獄寺は、自分が今、どういった状態であるのかをはっきりと把握している。
  妊娠はしていない。発情期も抑えられている。落ち着いた日々を過ごしているものの、いつ、アルファである綱吉の影響を受けるとも知れない状況を抱えている。
  そういうわけだから、あまり好ましくない日常を過ごしていることも獄寺は理解しているつもりだ。
  もしかしたらそれは、自分がオメガであることが起因しているのかもしれない。
  オメガでさえなければ、こんな日常を過ごすことにもならなかったはずだ。
  元に戻りたいとは思うものの、現実を変えることができないことはわかりきっている。
  ならば今の自分がしなければならないことは、何だ。
  何をすればいいのだろう、自分は。
  どうすれば、この膿んだ日常から逃れることができるのだろう。
  はあぁ、と溜め息をつくと獄寺は、逃れることのできない日常に胸の内で密かに悪態をつくのだった。



  山本が怪我をしたと聞いた。
  とうとう骸のいる六曜でもオメガ狩りが横行し始めたとシャマルから噂話程度に教えてもらったが、気になるのは綱吉のいる並盛だ。
  襲われたオメガは乱暴され、酷い時には顔の形が変わるまで殴られ、身体のそこここに傷を負った状態で発見されている。女であれ、男であれ、オメガであればオメガ狩りの対象となるようだ。見付かった時には口もきけないほどの状態の者や、意識のない者もいる。次第に凶悪さを増してもいるということだから、早々に対策を練らねばならないはずだ。
  だが、依然として進展は見られない。
  いったいどうなっているのだと思わずにはいられない。
  何もできない自分の無力さが腹立たしかった。
  獄寺は、オメガである自分の立場と綱吉の右腕である自分の立場に挟まれ、ジレンマに陥っていた。
  皆と同じように事態を解決すべく綱吉と共に動きたい、外へ出て現状を知りたいと思うのに、オメガである事実がそれを阻んでいる。以前、骸が言っていたように獄寺自身が囮となることも視野に入れて、綱吉と話し合いの場を持つ必要がある。それも早急に、だ。
  そのことをシャマルには何度も伝えてみたが、相手にすらされなかった。不安定な体質が改善されていない今、獄寺が首を突っ込むべきことではないと鼻で笑われてしまったのだ。
  綱吉は相変わらず忙しそうにしている。時折、屋敷に戻ってくることもあるようだが、獄寺とは顔も合わさず、シャマルから現状の報告を受けるだけですぐにまた出ていってしまっているらしい。
  これでは手詰まりだと獄寺は歯噛みするが、だからといって状況が好転するわけでもない。
  日を追うごとに犯人の手口はますます凶悪になり、ボンゴレでも人手不足に悩まされているようだった。怪我をおして山本が警ら隊の先頭に立っているのがいい証拠だ。
  綱吉に会えたら獄寺は、一線に戻らせてくれと嘆願するつもりでいた。皆が奔走している今、自分だけが安全なところで守られているのは性に合わないと言いたかった。
  もっとも、獄寺はこの屋敷に閉じ込められているというわけではなかった。出ていこうと思えばいつでも屋敷を去ることができたし、いたいと思えばいつまででもここにいることもできる。この屋敷は、ただ獄寺の体調を整えるためだけに用意された、仮の住み処でしかなかった。
  と、言うことは、だ。獄寺が黙ってこの屋敷を後にしたとしても誰も文句は言わないはずだ。皆、獄寺が屋敷を出て一線に戻るだろうことははなから承知の上のことなのだろうと思われた。
  だったら好きにさせてもらうべきだろう。人手不足の今、獄寺が一線に戻ったところで怪訝に思う者はいないように思われる。
  戻るなら、今だ。
  何食わぬ顔をして戻ればいいのだ。ここしばらく、体調を崩していたとか何とか適当に理由をつけて、そ知らぬふりをしていればいい。そうすればすぐにまたこれまでと変わらぬ日常が戻ってくるだろう。獄寺がオメガであることは既に知られているだろうから、ある程度のことは察してくれるはずだ。
  そう。戻ればいいのだ。今すぐに。この屋敷を出て、綱吉のいる一線に向かえばいい。それだけだ。
  なのに獄寺の気持ちは、別の方向を向いている。
  綱吉の言葉に逆らえないというわけではない。これまでも自分の感情や思い込みで勝手な行動を起こしたことは何度もあった。綱吉から注意を受けることもしばしばあった中で、今回だけはそうしようと思わないのはやはり、自分がオメガであるという引け目のようなものを感じているからだろう。
  オメガに対しての否定的なマイナス感情が、獄寺の中には根強く残っている。それはおそらく、世間一般の相対的な意識であり、感情でもある。
  駄目なのだ。オメガの自分では、綱吉の力になれるかどうかわからない。もしかしたら、逆に綱吉の足を引っ張ってしまうことになるかもしれない。足手纏いになる右腕なんて、ボンゴレには必要ない。いや、誰だってオメガの右腕なんて欲しくはないだろう。
  いくら綱吉が構わないと言ってくれたとしても、獄寺のほうにオメガに対するこういった悪感情がある限り、一線に復帰するのは無理な話だった。
  もちろん、自分で自分の首を絞めているということも獄寺はよくわかっているが、長年培われてきたものを今さら変えろと言われたことろでそう簡単に変えることのできない相談だった。
  もどかしい気持ちの中で、時間だけが過ぎていく。
  一日、二日と日を数え、いつしか十日、二十日と過ぎていた。
  綱吉と顔を合わせることのできない日が続き、シャマルから聞く噂話も随分ときな臭いものになっていた。
  動かなければ。
  そう思うのに、足が竦んでしまう。
  躊躇いを感じてしまう。
  このままでは、自分のことさえもわからなくなってしまいそうだ。
  テラスから見上げた空の青さに、獄寺は小さく毒づいた。手元のシガレットケースを引き寄せると、火をつける。紫煙を深く吸い込んで、落ち着こうとした。
  考えろ、考えるんだ。
  自分にできることを考えて、行動に移すんだ。
  そう頭の中で念じながら、獄寺は煙草を燻らした。



(2016.10.31)


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