事件は、各地で同時刻に発生した。
並盛では三ヶ所でオメガが襲われ、助けに駆けつけた者たちがそれぞれ返り討ちにあった。あっという間の出来事だった。
黒曜ではクロームが、やはり襲われたオメガを助けようとして逆に襲われかけた。あわやと言うところで骸が助けに入ったものの、クロームが怪我をしたことは確かだ。
不特定多数だった犯人たちが、急に意志を持って団結し始めたような変貌に、誰もが首を傾げずにはいられなかった。
すぐにボンゴレを中心とする同盟会議が開かれることとなった。今回は緊急性が高いため、誰もが緊迫した空気をまとっている。いつもの懇親会とは大違いだ。
獄寺は、右腕として綱吉のたっての頼みで会議に出席することとなった。
シャマルと何度も相談をして、試しに効き目の弱い抑制剤を飲んでみることにした。
例の一件以来、薬を使わずに体調を戻すことに専念していたおかげだろうか、数日前から服薬を開始しているが、今のところ副作用は出ていない。
骸も雲雀も出席すると聞いて気が気でなかったが、最終的に自分で会議に出席すると決めたのだから、今さらそれを翻すことはできない。
綱吉の屋敷で療養していた間に起きたオメガに関する事件の記事や資料などに目を通し、獄寺は会議に挑もうとしている。同盟会議だからあくまで綱吉の右腕でしかない獄寺に口を挟むことができるかどうかはわからなかったが、できるだけの準備を整えておく必要があるだろう。
それに、オメガの獄寺が動けば何かしら起こるかもしれない。例えば、オメガばかりを狙う輩の正体に近付くことが叶うかもしれない。
だから下準備は念入りに、隙間ひとつ洩らさぬように罠を仕掛けておくべきだと獄寺は思っている。
ボンゴレの構成員で足りない部分は雲雀の風紀財団から精鋭部隊を出してもらっているが、いつまでも続けるわけにはいかないだろう。
それに、二日後の同盟会議までにやらなければならないことが山とある。ぼんやりしている暇はない。資料を揃え、次々と発生する事件を追いかけ、少しでも犯人の手がかりを掴まなければならない。
立ち止まっている場合ではないのだ。
集められた資料を前に、獄寺は大きく息をついた。
綱吉の屋敷は既に出て、獄寺は自宅へ戻っていた。ただし、一人での外出は禁じられている。並盛のボンゴレ基地に向かう時ですら、綱吉か了平、もしくはビアンキなどの獄寺にちかしい者と行動を共にしなければならなかった。もちろん、基地内でもできるだけ誰かと行動を共にするよう、綱吉からしつこいぐらいに言い聞かされている。
とは言うものの、なかなかそうはいかないのが実状なのだが。
あらかた準備が整った会議室をぐるりと見渡して獄寺は、小さく溜め息をつく。入り口に佇む山本がニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを眺めているのが感じられる。怪我をしたと聞いたが、そんな様子は微塵も見られない。いつもの山本だ。
「相変わらずの健気さだな」
言いながら山本は、スーツの内ポケットから煙草を取り出した。
「一休みしろよ」
声をかけると同時に煙草の箱を獄寺めがけて投げつけてくる。
半身を捩ると獄寺は、飛んでくる煙草の箱を片手でキャッチした。獄寺の好みの銘柄でないことに顔をしかめつつも中から一本だけ取り出し、箱を山本に投げ返す。
「外回りの警備はどうなってる?」
口にくわえた煙草に火を点け、ニコチンの香りを深く吸い込む。マズいな、と微かに呟く。
「外回りは雲雀と笹川先輩が共同で既に計画済みだ。心配するな」
そう返しながらものほほんと笑うから、余計に心配になってくるのだ。ムッとした顔をして獄寺は、取り出した携帯用のアッシュトレーに煙草を押し付けた。
いくら同盟とは言え、ボンゴレ基地の内部に他のマフィアたちを招くのはあまり喜ばしいことではない。親密さが命取りとなる可能性がないわけではないことを獄寺は知っている。
「奴らは、オメガがいればそれでいいんだ」
ふう、と息を吐き出すと、獄寺は呟いた。ほんのりと煙草の香りがあたりに漂う。あっさりとした薄味の香りに物足りなさを感じて、獄寺はさらに眉間の皺を深くする。
「そうだな」
すんなりと山本は同意を示した。
オメガを狙う連中は、手当たり次第に攻撃をしかけてきている。おまけにボンゴレ幹部にオメガが紛れているという噂までが、最近は囁かれる始末だ。クロームがオメガだという事実は昔から知られていたことだが、ここへきてそれが取り沙汰になるのもおかしな話だ。やはりどこかから獄寺の件が洩れているとしか思えない。
このままでは十代目に迷惑がかかってしまう。
今のうちに噂の出所を突き止め、潰してしまわなければ。そう思った瞬間、山本の人差し指がとん、と獄寺の眉間を軽く押した。
「すげぇ皺なのな」
あっけらかんとした言い方にムッとしつつも獄寺は、山本を見つめ返す。
「あれからツナと会ったか?」
不意にしかつめらしい顔をして山本は尋ねてきた。屋敷を出てから何度か綱吉とは会いはしたが、今回の件で顔を合わす程度だ。恋人らしい逢瀬には程遠いものだった。
「お前ら二人して、案外似た者同士なのかもな」
ニィッと笑ったその顔が腹立たしくて、獄寺は咄嗟に山本の手を叩き落とす。
「るせっ、ほっとけよ!」
馬に蹴られて死んでしまえと低い声で罵る獄寺に、山本は楽しそうな笑い声を上げた。
たかだか二日で抑制剤が効くわけもなかったし、それしきの期間で副作用がないとはっきり言い切れるかどうか判るはずもない。だが、それでも獄寺は抑制剤を飲まずにはいられなかった。
オメガ狩りの恐怖は一足ごとに獄寺に近付いてきているような気がした。
怪我をしたクロームのことは心配だったが、そうも言っていられない状況に獄寺は立たされている。綱吉がさらに獄寺の身辺に気を配るようになったからだ。
まるで目に見えない鎖に拘束されているような気分だ。
獄寺から少し離れたところに立つ二人の部下は、綱吉が寄越した警護の者だ。こんな連中を引き連れて歩いていたら、目立つことこの上ない。
都合のいいことに、これだけ目立つとオメガ狩りの標的にされるだろうことは容易に想像できた。かと言って綱吉が獄寺を囮にしようとしているのかというと、そういうわけでもないようだった。
綱吉の考えていることは、自分のような者には遠く考えも及ばないことがある。だから綱吉が望むのなら警護の者を連れて歩くし、そうでないなら一人きりで動くことも獄寺は厭わない。どちらにしても、獄寺は獄寺自身がやるべきことを粛々とこなしていくしかない。
そういうわけで、今の獄寺の中には常にもどかしい気持ちが存在していた。
やるべきことは見えてきたが、なかなか思うように動くことができない。
いっそ、自分が囮となってオメガ狩りの首謀者を捕まえたほうが早いのではないかと思ったりもするのだが。
そもそも護衛をつけた時点で自分はオメガです、狙ってくださいと言っているようなものだ。小さく溜め息をつくと獄寺は、ちらりと背後の男たちに視線を馳せる。
護衛についているのは、山本直属の部下だ。綱吉の指示で獄寺の護衛についたということだが、どうして自分の部下ではいけないのだろうかと獄寺は思う。綱吉の判断も、どこか統一性がないように思われた。今回に限って言うと、疑問を感じずにはいられないのだ。
果たして護衛が必要なのか。どうして山本の部下なのか。
それに、自分の判断や周囲の反応に対して感じたことも、正しいことなのかどうかがわからなくなってきている。自分は、間違った選択をしているのではないかと不安になってくる。さらにその不安を増長するかのように、事件が重なっていく。
何が正しいことで、何が間違いなのか、わからなくなってくる。
視線を戻すと、ボンゴレアジトの廊下の向こうからフゥ太がやってくる。両腕いっぱいに紙の束を抱え込んで、急いでいるのかせかせかと歩いている。
「よ、フゥ太」
声をかけるとフゥ太はにこりと笑って返してきた。
「ハヤト兄、体の調子はもういいの?」
おそらくフゥ太なりに心配してくれていたのだろう。小さく首を傾げる様子には、幼い頃そのままの優しい雰囲気が漂っている。
「ああ、大丈夫だ」
シャマルに処方された薬のおかげで今はすこぶる調子がいい。副作用がどう出るのかわからないことだけが一抹の不安を残しているが、今はそんなことを言っている場合ではない。
ニヤッと笑ってフゥに背を向けると獄寺は、片手をひらひらと振る。背後のフゥ太が慌てて告げた。
「無理しないでね、ハヤト兄」
無理をしているつもりはない。副作用を警戒して、今だって恐る恐る動いているぐらいだ。
「おう」
短く返すと足早にその場を立ち去る。まだ調べ足りないことがある。事件の前後にあった人の動きを、自分はまだこの目ですべて確認したわけではない。犯人がどこから現れて何をしようとしているのかを把握するまでは、自分は倒れるわけにはいかないのだ。
二人の男を引き連れた獄寺は、アジト内を忙しなく行ったり来たりしてひとつずつ可能性を潰していく。
犯人の過去の動きを見定め、予測し、トレースする。
幾度となく重なるボンゴレ側の動きに、不審なところはないだろうか。横行するオメガ狩りに呼応するように、警らの者たちが時折、不自然な動きを見せてはいないだろうか。
山のような資料と膨大なデータに埋もれた事実は、いったいどこにあるのだろう。
いまだに胸の片隅に引っ掛かっている山本が発した言葉は、獄寺に不快感をもたらすばかりだった。ことにオメガ狩りの発生した夜に山本が必ずアジトに姿を見せていることが、妙に気にかかる。いや、違う。そもそも山本が頻繁にアジトに姿を見せるようになったのは、獄寺がオメガだと発覚してからだ。戦力外となった獄寺の穴を山本が埋めるのは、別におかしなことではないだろう。
では、いったい何が気になるのだろう。
ノートパソコンのディスプレイをじっと睨み付けながら、獄寺は唇を噛みしめた。
山本は、獄寺なら綱吉の番に相応しいと思っている節がある。骸と繋がりのあるクロームではなく、またどこの誰とも知れないオメガでもなく、獄寺だからこそ綱吉の番として両手離しで賛同してくれるのだと言った。
山本の立場に立ってみればわからないでもなかったが、それは違うと獄寺は思う。
要は、オメガかつ綱吉寄りの守護者だから番に相応しいと山本は思っているということだろう。
それはそれで、なんだか腹立たしいことのように思える。
気に食わねぇなとひとりごちると獄寺は、ディスプレイをじっと睨み付けた。
山本とは旧知の仲だし、信頼もしている。なにより綱吉の親友だ。疑わしいところはないはずだが、今回の件に関しては違和感が残る。
自分がオメガでなければ、気にかけることはなかったかもしれない。
もしかしたら杞憂にすぎないのかもしれないが、それでも、喉の奥に引っかかった小骨のように不快感が残ったはずだろう。
「オメガ狩り、か……」
呟いた微かな声は、獄寺が睨み付けるディスプレイにゆっくりと吸い込まれていった。
(2017.2.4)
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