「おい、降ってきたぞ」
「こんな日についてねぇな」
口々にボヤキながらもボンゴレ・ファミリーの警備部門に所属する男たちがぞろぞろとアジトの地下駐車場へと向かって通路を歩いていく。
「発信機持ったか」
「それより無線機忘れてる奴はいないだろうな」
誰かが声を張り上げた途端、後方にいた男が慌ててごそごそとポケットを探る。
地下の駐車場には既に部隊の隊長が小隊長二名と共に部下たちを待っていた。顎に残る傷跡も厳めしく、どことなく不機嫌そうな表情をした隊長がちらりと部下たちを値踏みするように視線を飛ばす。
「オメガ狩りの情報が入った。並盛町の繁華街でオメガが複数名、やられた。現在、犯人は市街地に向けて逃走中だ。巻き込まれて怪我をした者も若干名いるらしい」
低い声でそう告げると山本は、ぐるりと部下の顔を見渡した。
「半分は繁華街でオメガをはじめとする怪我人の救助にあたれ。残り半分は犯人を追う。ただし、深追いはするな」
山本の言葉に、部下たちは皆一様にしかつめらしい表情で頷く。
部隊は二手に分かれて夜の街へと散っていく。山本はその様子をじっと駐車場に立ち尽くして眺めている。
「隊長はどうなさいますか」
山本のすぐ傍らで最後まで控えていた男が不意に口を開いた。
「そうだな……」
ぽそりと呟くと山本は宙を見やる。おそらく、様々な思いが山本の頭の中を駆け巡っているのだろう。眉間に皺を寄せ、それから低い声で山本は部下に告げた。
「繁華街を見回りに行く」
先に出発した小部隊とは別の道を使って山本は繁華街へと向かう。従える部下は一人だけ、寡黙で従順、隊長である山本の指示によく従う男だ。あまり従順すぎるのも考え物だと思わないでもないが、今はそんな瑣末なことを気にしている場合ではない。
「行くぞ」
腹の底から唸るように声を絞り出すと山本は、部下を促し車に乗り込む。車で繁華街の近くへ移動して、そこから先は臨機応変に徒歩と車を使い分けることになる。
部下の男は若かった。山本と同じぐらいか、もしかしたら年下かもしれない。だが、そんなことはどうでもいいことだ。
今はオメガ狩りの犯人のことだけを考えるべきだろう。
「そこの路地で止めてくれ」
部下に声をかけると山本は、密かに拳をぎゅっと握りしめる。ここからは時間との勝負だ。どれだけ早くオメガ狩りと接触できるか。どれだけ早く自ら囮となった獄寺を見つけ出すことができるか。何事もなく終わることは決してないだろうから、せめてどちらかと接触して、何らかのアクションを誰よりも早く起こすことが出来たらと願わずにいられない。
細く薄暗い路地の奥へ、奥へと進みながら山本は、それにしても、とふと思う。
自分の後をついて歩くこの男の名は何だっただろう、と。
学生の頃はクラスメイトだけでなく部活仲間の名も覚えていた。そこそこの人数だったと思うが、最近は部下の名前すら憶えなくなった。人間に対する興味が薄れたのか、それとも物覚えが悪くなったのか、どちらだろう。
「このあたりにはいないようですね」
やや緊張気味の部下の呟きに対して、山本は小さく頷く。
次の通りに向かうことにしよう。山本は踵を返すと、大通りを抜けた先の細道へと場所を移す。
飲食店の裏側は、生ごみとアルコールと饐えたような何かのにおいがぷんぷん漂っている。
それから、雨のにおいだ。
ザアザアと音を立てて降り続く雨は、冷たかった。だが、これはこれで都合がいいかもしれない。
「場所を変えよう」
ここではない。山本は本能的にそう思った。
こんな場所にオメガ狩りが出るはずがない。
もっと……そう、言ってみれば獲物が潜んでいそうな場所だろう、待つとしたら。人通りのある、見通しのいい場所。すぐ近くには人気のない暗がりがあって、誰もかれもが無関心で通り過ぎていくような、そんな場所だ。
「向こうの方へ行ってみますか」
部下が声をかけてくる。
「そうしよう」
短く返すと山本は大通りをゆっくりと渡り始めた。
山本は、部下が差しかける傘にも気付かず歩いていく。雨粒が落ちてきて肩を濡らしていく。 不思議と焦燥感はなかった。
獄寺に対して、勝手なことを、と思いながらも、山本は彼らしいと思わずにはいられない。
昔から獄寺は、綱吉に対して献身的だった。綱吉の為ならその身を差し出す気でいつも事に当たっていた。
綱吉、綱吉、綱吉……いつもそうだ。
獄寺の頭の中には、綱吉のことしか入っていないのではないかと思われた。何かにつけて綱吉を優先しようとする獄寺が面白くて、つい大人げなく張り合ったりもしたものだ。あれはおそらく、当時から獄寺が綱吉のことを想っていたという事実に他ならない。
何にしても、厄介だ。
オメガ狩り、綱吉の番、獄寺自身の身の置き所、囮……思考がグルグルと回りだし、とりとめのない思いへと変化していく。
気紛れに立ち止まると山本は、あたりを見回した。
この通り先に、獄寺の気に入りのバーがある。山本も時々利用することがある店だ。一度確認しておいた方がいいかもしれない。
「こっちだ」
部下に声をかけると山本は、足を早める。
ふと、嫌な感じがした。
それが何なのかはわからない。
虫の知らせとでもいうのだろうか、とてつもなく嫌な感じがして、早く確かめなければという思いが込み上げてくる。
綱吉のように勘がいいわけでもないに、急にどうしたのだろう。
だが、良くないことが起こる時というのは得てしてこんなものだ。
馴染みのバーへと向かいながら山本は、スーツの内ポケットに忍ばせたベレッタ92の感触をそっと確かめた。
雑居ビルの地下へはどうにか人がすれ違うことができるほど狭い階段が続いている。
冷たく無機質な階段を降りていくと、目の前のドアに取り付けられた操舵輪が目を引く。
操舵輪ごとドアを開け、獄寺はバーに足を踏み入れた。
客足は少なく、店内は閑散としている。心地よいピアノの音が響き、客たちは思い思いに酒を愉しんでいる。
カウンターの奥の席に腰を下ろすと、カクテルを注文した。
目の前に出てきたカクテルグラスの底にはいくつかの氷がひしめいていた。その氷の間を縫うようにして炭酸の気泡が小さく弾け、まるで踊っているように見える。グラスに刺したライムと入り混じり、ほんのりと爽やかな香りがしている。
あまり長居はできないなと思いながらも獄寺は、カクテルに口をつけた。
「雨が降ってきたのですか」
低く静かな声でマスターが尋ねてくる。
「……ああ、少し」
そう返したものの、よく見ると少しどころではなかった。気が付けば獄寺の衣服はじっとりと雨に濡れていた。髪もだ。
「どうぞ」
乾いたタオルを差し出され、獄寺は「どうも」とタオルを受け取る。
雨が止むまでここにいるか、それとも雨の中を移動するか。しばらくそんなことを考えながカクテルをちびりちびりと飲み干す。
店に迷惑はかけられない。何よりここは、獄寺の気に入りの場所でもある。
重い腰を上げると獄寺は支払いを済ませ、タオルの礼を告げて店を後にする。
傘はない。だけど雨はやんでいる。おそらく通り雨だったのだろう。
地上へと続く階段を一段いちだん踏みしめ上りながら獄寺は、肌に緊張が走るのを感じている。
このすぐ近くに、アルファがいる。
だが、このアルファのにおいはあまり好ましい香りではなかった。
遭遇せずにすますことができるのなら、そうしたいと思う類のにおいだ。
とまれ、バーに戻るにはタイミングが悪すぎた。
アルファのにおいが近付いてくる。確かな足取りで、獄寺のいるこの場所へと向けて近付いてきている。
小さく舌打ちをすると獄寺は、一気に階段を駆け上がった。
場所を移すのだ。
ここではなく、もっと自分にとって有利になる場所へ。
スーツの内側に隠した小型のダイナマイトの数を確かめながら、常に自分が風上の位置にいることを意識し、足早に通りから通りへと渡っていく。
吹きつける風は生暖かく、雨上がりの湿ったにおいが混じっている。
もっと風が吹けばいいのにと獄寺は思う。
この不快なにおいのするアルファが巷を賑わせているオメガ狩りなのかどうかはまだわからない。しかし自分の発するオメガのにおいにつられてくるなら、真実を確かめることができるだろう。
「早く、来い……」
低く呟いて獄寺は、人気の少ない方向へと敢えて足を向ける。
アルファのにおいが近付いてくるのが感じられる。
風上にいてもにおいが流れてくるのがわかる。
もうすぐそこまで、アルファが来ている。
一区画ほど向こうにあの不快なアルファのにおいと、他に数名のベータらしき者の足音や気配がしている。
やはりこのアルファがオメガ狩りの一味に関わっているのだろうか。
暗がりを歩きながら獄寺は足取りをゆっくりとしたものに変える。
遠くから複数人の足音が聞こえてくる。
やっと、追いついてきたらしい。
獄寺は立ち止まり、足音が近付くのを待った。
そこそこ近付いてきたところで再び、歩き出す。彼らから距離を取るように早足で通りを渡る。
振り向かずとも、連中が後をつけてきているのが感じられた。
歩くスピードを気紛れに変えながらも獄寺は、後をつけてくる連中の気配を全身で捉えている。
結局は自分が囮としてオメガ狩りを追うこととなってしまった。骸に言われた時には抵抗があったが、今はもう抵抗する気にはならない。オメガとして、自分にできることを考えたら、これしか方法が思い浮かばなかったのだから仕方がない。
何としてもオメガ狩りの連中を捕まえなければと獄寺は思う。
もうこれ以上、逃げ回りたくないというのもあるが、何より彼らオメガ狩りの連中の弱い者に対する傲慢なところが獄寺は気に入らなかった。
──アイツら、絶対に捕まえてやる。
他のオメガなら逃げ回るしかないのかもしれない。だが、自分はそうではない。自分には戦うことができる。ボンゴレの守護者として、オメガ狩りを殲滅することもできるのではないだろうか。
これまで戦ってきた相手に比べれば、オメガ狩りなど大したことはないようにも思える。
打って出るなら、今しかない。
一度は囮になるのを拒否した獄寺だが、今は違う。あの時は自分がオメガであることを隠して生きていた。オメガであることを周囲に知られたくないと思っていた。だが、オメガであることを明らかにした今、自分が囮になることでこの一件が片付くなのら、それくらい安いものだと思っている。
アルファのにおいが近付いてくる。
風下にいる獄寺のところにまでアルファのにおいがプンプンと漂ってくる。
強い香水のような、鼻をつくきつい匂いに獄寺は軽い眩暈を覚える。頭痛と、微かな嘔気。不快なアルファのにおいだ。
歩調を緩めると獄寺は、人通りの少ない道を選んで歩いていく。
少し先の公園へと誘い込み、生い茂る木々で完全に人目が絶たれたところで連中を一網打尽にすることが出来たならと思わずにいられない。
これまで戦ってきた経験からしたら、オメガ狩りの連中など大したことはないはずだ。連中を率いるアルファさえ何とかしてしまえば、残りは獄寺にとって敵にもならないだろう。
問題は、そのアルファをどうするか、だ。どのように戦えばいいだろう。アルファと比べても遜色のない獄寺だが、アルファが意識的に発する圧倒的なあの気配とにおいの前では、太刀打ちできるとは思えなかった。
あれこれ考える獄寺の目の前に、公園の入口が近付いてくる。背後には随分と近くまで迫ったアルファのにおい。
もう、どうにでもなれ、とばかりに足を動かし、獄寺は公園に入った。
複数の人間の足音が背後からさらに近付いてくる。
公園内に人気はなく、外灯はぼんやりと仄暗く光っている。
獄寺はジャケットのポケットに入れた小型のダイナマイトに指をかける。
息をひそめ、タイミングを見計らい、その瞬間を待つ。
複数の足音が獄寺を取り囲んで──…不意に気配が濃くなって、雨のにおいがよりいっそう強まったような気がした。
「こんなところにいたのな、獄寺」
口の端をニヤリと吊り上げて、山本がすぐそこの繁みのそばに立っていた。
(2021.10.7)
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