どこにも帰さない18


  気が遠くなりそうなほど濃密な時間をかけて、獄寺は嬲られた。
  尻を打たれ、蹴り上げられ、頭から冷水を浴びせかけられ、時には背中に火のついた煙草が押し当てられた。
  混濁した意識の中で獄寺は、傷はつけないんじゃなかったのかよ、とぼんやりと思う。
  痛みも苦しみも獄寺にとってはたいしたことではなかったが、腰のあたりを中心にじりじりと燻る快楽だけは耐えられなかった。
  嬲られ続けてぐったりとなったところで獄寺はとうとう男たちに押さえつけられた。
  長い長い時間が過ぎたが、それ以上に長くて辛い時間が始まろうとしている。
  便器にしがみついた獄寺の股間は何度も射精したため白濁にまみれていた。
  男たちはそんな獄寺の痴態を目にしても、ただ嘲笑うばかりだ。
  悔しくて惨めでたまらない。
  何より腹立たしいのは、これまで共に仲間として過ごしてきたはずの山本が裏切ったことだ。彼は綱吉の親友ではなかったのか。山本がどうあれ、綱吉のほうは今もまだ親友だと信じているはずだ。
  のろのろと体をずらして獄寺は、立ち上がろうとする。
  痛みが全身を支配していた。体温が急激に下がるような感覚がして、唐突にヒートが抜けていくような状態とでもいうのだろうか、ぼんやりとしていた意識が急激に鮮明になってくる。
「ぁ、あ……」
  与えられた暴行によるダメージを別にすると、思っていた以上に体が軽い。どういうことだ。
「どうだ、獄寺。効いてきただろう?」
  感情のない冷たい山本の声が公衆便所の狭い空間に響く。
「そ…う、だな」
  確かに効いている。
  これは……
「よく……効いて、やがる……」
  はあっ、と息を吐き出すと、獄寺は俯き加減のまま山本のほうをちらりと見る。
「ミルフィオーレの媚薬の効果はすごいだろう」
  言いながら山本はゆったりとした足取りで近付いてくる。
  彼はいったい何を考えているのだろう。何を、したいのだろう。
「ああ……」
  そうか、ミルフィオーレの媚薬か。
  あの時……行く当てもなく街を彷徨っている獄寺を自分たちのアジトに招き入れた時に、白蘭は何と言っていただろう。ヴェルデと薬を共同開発していると言っていた。獄寺自身、体に負担のかからない抑制剤を白蘭に都合してもらったのはつい先日のことだ。
  きっと、獄寺が知らないことを山本はいろいろと知っているのだろう。
「ほら。立てよ、獄寺」
  仲間にするように気さくな態度で山本は手を出してくる。
「いらねーよ」
  差し出された手をパシ、と払いのけた獄寺は、ゆっくりと立ち上がる。
「へえ。まだ立ち上がるだけの力があるんだな」
  山本の背後にいたアルファの男が鼻白みながら呟く。
「悪いな。こいつは昔っからしぶといんだよ」
  言いながら山本が腕をひと振りすると同時に、銃弾が男に向けて放たれる。まるで手品のように素早い動きで山本はスーツの内ポケットに隠し持っていたベレッタ92を取り出すと、トリガーを引いた。
  銃声を耳にして尻込みをする者もいる。ハッタリだろうと悠然としている者もいる。
  何でもありだなと思いながらも獄寺は素早く乱れた着衣を整えた。山本が手を差し出した時にこっそり渡してきたのは、ダイナマイトだ。獄寺自身が身に着けていたものは先ほどからの暴行によって水に濡れて使い物にならなくなっていた。地獄で仏とはこのことかと獄寺は思う。
  山本の陰に隠れて獄寺は手にしたダイナマイトを投げ放った。ボムスプレッズだ。初動でうまくベータの二人とアルファの一人が倒れてくれた。
  狭く臭い空間に、嗅ぎ慣れた硝煙のにおいが立ち込める。
「貴様、裏切ったな!」
  残ったベータが跳びかかってくるのを山本は、難なく拳で打ち据えた。喧嘩となると凄味が増すのが山本の悪いところだ。ゴキっという生々しい音がして、ベータの男がヒィヒィ言いながら床の上で転げ回る。どこか骨が折れたかもしれない。
「すごい……やっぱり隊長はさすがですね」
  立っているのは、アルファの男一人だけだ。
  こいつは油断ならない奴だと、獄寺の本能が告げている。
  ミルフィオーレの媚薬は諸刃の剣だった。アルファのフェロモンによって誘発されたヒートを完全に鎮めるかわり、薬が効き始めるまでに時間を要する。今、獄寺がこうして自由に動くことが出来ているのは、あの蹂躙され続けた時間があったからこそ、なのだ。
「ベータなのにこんなに手強いなんて」
  鼻で笑いながら男は山本のほうへと一歩進み出る。
  眉間に皺を寄せた山本は、気に食わないとばかりに斜に構えて男を睨み付けた。
「そうだろう?」
  威嚇するかのように睨みを利かせたところで、男はまったく意に介さず、涼しい顔をしている。アルファの威厳というやつだろうか。
「それで隊長。隊長は、このオメガをどうしようと思っているのですか」
  この男ははまだ、山本が獄寺に対してどんな媚薬を使ったのか気付いていないようだ。
「そうだな。俺はこいつに誰かと番ってほしいと思っている」
「へぇ?」
  男は、面白そうに眉をピクリと釣り上げた。
「アルファなら、ここに……」
  言いかけた男の言葉が終るよりも早く、獄寺はダイナマイトを投げつける。男の顔のすぐ近くでダイナマイトが小さく爆ぜた。
「バーカ。お前みたいなどこの馬の骨とも知れないアルファなんざ、アルファの風上にも置けねぇんだよ」
  爆風を避けようとして腕で顔を覆いながらも男は獄寺のほうへ近付こうとする。
「どうする、獄寺」
  山本がちらりと振り返るのに、獄寺は唇を歪めてニイッと笑い返す。
「こいつは俺の獲物だ。お前は絶対に手を出すんじゃねぇぞ」
  そう言った獄寺に、山本は手にした銃を差し出してくる。
「返しとくぜ」
「遅せぇんだよ、タコ」
  獄寺は山本から銃を受け取ると、さらに追加のダイナマイトを投げつけ、白煙にまぎれてトリガーを引く。
「そんなことでアルファの僕を倒せるとでも?」
  男はそう言った。ダイナマイトも銃弾も間一髪で避けると、一気に獄寺のほうへと距離を詰めてくる。
  獄寺は凄味のある笑みを浮かべると、手にした銃のグリップで相手の頬を容赦なく殴りつけた。
「ぐっ……」
  思わずよろめき体勢を崩した男のこめかみに銃口を押し付け、獄寺は満面の笑みを浮かべる。
「あっという間に形勢逆転だな」
  男は怪訝そうな表情を浮かべて獄寺をまじまじと見やった。
  アルファのフェロモンや威圧に屈しない獄寺に対して、男はようやく何かがおかしいということに気付いたようだった。
「……何故だ?」
「さあ、なんでだろうなぁ?」
  意地の悪い笑みを浮かべた獄寺に、男は最後の足掻きとばかりに拳を振り上げ抵抗しようとする。
  その動きに気付いた山本が男を制止しようとするが、間に合わない。
「獄寺!」
  山本が叫ぶのと同時、あわやというタイミングで爆音が轟いた。
  公衆便所の外壁が吹き飛び、ガラガラと音を立てて崩れていく。
  立ち込める砂煙と硝煙のにおいの向こうには、超化した綱吉の姿が見えている。
  ヒューッ、と口笛を吹くと茶化すように山本は呟いた。
「これまた派手な登場だな」
  大きく崩れ落ちた外壁の向こうに、出動していた山本の部隊が集結しつつある。
  ここまでが山本の立てた作戦だったのだろうかと、獄寺は思う。獄寺が囮となって街を彷徨い歩くことでオメガ狩りの連中を引き寄せ、一網打尽にするというシナリオを、もしかしたら山本は密かに思い描いていたのかもしれない。
  ほっとして獄寺は、大きく息をついた。
「……十代目」
  綱吉はしかし、獄寺のほうへ視線を向けることなくアルファの男へギロリと視線を向ける。
  アルファ特有の威圧感が綱吉から発せられると、オメガ狩りの男はたじろぎ、その場に立ち尽くしてしまう。それからよろよろと数歩踏み出したかと思うとそのまま地べたに座り込んでしまった。それほどまでに綱吉の威圧感は凄まじかった。
  戦意を喪失した男の身柄を山本が拘束すると、部下たちがわらわらと集まってくる。男をどこかへ連れて行こうとしているのだろうか、強引に立ち上がらせると、数人がかりで引き摺っていく。
  綱吉は山本をじっと見つめていた。
「山本」
  綱吉の声は冷たかった。感情のない……いや、違う。怒っているのだ、綱吉は。感情を抑え込んだ冷たい声で、山本を呼ぶ。
  獄寺の位置から山本の表情は見えなかった。だが、一方の山本はどこかホッとしたような雰囲気を醸し出している。
「少しばかり荒療治だったが、これで一件落着だ」
「ここまでしろとはオレは言ってない」
  ゆらりと綱吉の体が動き、ついで山本の両肩を掴む。
  獄寺自身を囮にしてオメガ狩りを一網打尽にすることは、綱吉の意図するところではなかったということだ。それだけ、獄寺の身の安全を第一に考えてくれていたということだろう。
「……だけど、これで全て終わっただろ?」
  頬のあたりを掻きながら、山本は悪びれた様子もなくへへっ、と笑う。
「やりすぎだ」
  眉をひそめて綱吉が返す。
「こうでもしなきゃお前、こいつら全員殺してたんじゃねーの?」
  へらへらしながら物騒なことを山本は口にした。
  綱吉は山本の言葉には答えることはなかった。山本もそんな綱吉の胸の内をよく理解しているようで、小さく肩を竦めただけだった。
「さっさと仲直りしろよ、お前ら」
  オメガ狩りの連中を護送する部下たちと一緒に、山本はその場を立ち去った。
  後に残された獄寺は、居心地の悪さを感じている。
  少し前から綱吉とは気まずいままの状態が続いている。自分が気まずくなるようなことをしたのだということは理解しているが、いったいどう説明したら良いのやら、獄寺には皆目見当もつかない。
  仲直りをするように言われたところで、素直に仲直りが出来るわけでもなく。
  そもそも、大の大人が仲直りというのもどうなのだろう。
  居心地の悪さを感じて獄寺は視線を足元に落とした。
  綱吉の視線を避けるように目を伏せると、アルファの威圧感やフェロモンが感じられた。だが、それだけだ。ミルフィオーレの媚薬のおかげで、今の獄寺にとって綱吉の放つアルファのフェロモンは単なる体臭でしかない。威圧感はもちろん感じ取ることが出来るが、それは綱吉がボンゴレの十代目たる所以ではないだろうかと思われる。
  今なら、綱吉から逃げることもできるだろう。
  アルファのフェロモンに支配されることのない今なら、綱吉から遠く離れて自由になることもできるだろう。
  だが、所詮は自分はオメガでしかないのだ。
  ミルフィオーレの媚薬の効果が切れてしまえば、それまでのこと。
  と、なると、逃げることそのものが無駄だとも思われた。
  じっとその場に立ち尽くしていると、綱吉の動く気配が感じられた。
「隼人……」
  ああ、ズルいなと獄寺は思う。
  ハイパー化したまま、綱吉は獄寺のすぐそばまで近付いてくる。
「無事で、よかった……」
  そう言うと綱吉は、獄寺の体を強く抱きしめてくる。
  自分の行動が、どれだけこの男に心配をかけたのかは考えなくてもわかることだ。
「隼人!」
  耳元にかかる熱い吐息も、啜り泣くような艶めく声も、獄寺にとっては別の意味で媚薬にも似た効果をもたらす。
  綱吉の体にぎゅっとしがみつくと獄寺は、愛しい男のにおいを鼻いっぱいに吸い込んだ。
「じゅ、ぅ…だい、め……」
  オメガ狩りの連中には散々嬲られ、媚薬の初期効果でみっともない姿を人目に晒すこととなってしまった。あれだけ惨めで恥ずかしい姿を晒したというのに、もう自分はこの目の前の男に発情している。
  本当に自分は淫乱なオメガだなと獄寺は思う。
  薬の効果があろうがなかろうが、自分は綱吉のことが好きなのだ。
  体が疼いて、奥のほうからいやらしい汁が溢れてきそうになるほど、この目の前の男に抱かれたがっている。
  心の奥底では、どうしようもなくこの男に惹かれているのだ。
「一緒に帰ろう、隼人」
  艶めいた声で囁かれ、獄寺は返事をするかわりに綱吉の体にさらに強い力でしがみついていく。
「十代目……」
  本当は仲直りのやり方だって、山本にいちいち言われなくてもどうしたら良いのかわかっていた。
  ただ素直に「はい」と頷いて、綱吉を抱きしめるだけでいいのだから。
「はい、十代目」
  一緒に帰るのだ。
  綱吉のいる場所が獄寺のいるべき場所。
  綱吉の隣こそが、自分の居場所。
「帰りましょう、十代目」
  獄寺は静かに言葉を返した。



(2023.5.21)


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