どこにも帰さない12


  自宅へ戻る車の中で獄寺は、難しい顔をしていた。
  運転席でハンドルを握っているのは綱吉だ。
  仄かに漂ってくる綱吉のにおいに、獄寺は居心地の悪さを感じている。
「十代目自らハンドルを握るなんて……」
  つい嫌味っぽくなってしまうが、これが今の獄寺の正直な気持ちだ。これまでだって、同じように接してきた。
「オレだって人間だからね。車を運転したい時があってもおかしくはないだろ?」
  さらりと綱吉は返してくる。
  基地内で獄寺の背後に控えていた護衛の二人は今日のところは任務を終え、とうの昔に帰路についているはずだ。
  どうせ護衛につくのなら、こういう時に側にいないでどうするよと獄寺は胸の内でつっこんでみる。
  綱吉と二人きりで同じ空間にいるのだと思うと、それだけで獄寺は緊張してしまう。しゃちほこばって押し黙っていると、綱吉が小さくクスッと笑った。
「……なんですか」
  憮然として声をかけると、ハンドルを握る綱吉はバックミラーをちらりと覗き込む。ミラー越しにこちらへと視線を向けてきていることに気付いた獄寺は、さらに剣呑な色を含めて目を眇める。
  綱吉はふふっ、と小さく声を上げる。
「やっぱり、基地内で睨みを効かせているほうが獄寺くんらしいね」
  なんですか、それ。獄寺は低く呟く。とは言うものの、気まずいのは自分だけだ。綱吉のほうは何とも思っていない。いつもと変わらず、普段と同じように接してくれている。自分一人がてんぱって、あれこれ悩んでいるだけだ。
  しばらくの間、車内に静けさが漂う。今の今まで幼馴染みの顔をして喋っていた綱吉は、口を噤むとじっと正面を睨み付ける。運転に集中したいのか、それとも何か考えているのか。不自然な沈黙と、感情を見せない綱吉の顔が気になる。
  屋敷を出て以来、避けているわけではないが、綱吉と顔を合わせるのは気まずいような気がしていた。会ってしまえば思っていたとおりで、やはり居心地が悪い。
  この人の体温を近くに感じたい、においを嗅ぎたいと思うのに、個人的な気持ちというかケジメというか、とにかくそういった複雑な気持ちがないまぜになって枷となり、獄寺は感情をなかなか表に出すことができないでいた。
  そんなふうに気まずさを感じていると、不意に綱吉が口を開いた。
「……今度の会議だけど、骸は来ないってさ」
  綱吉の話によると、番となったクロームの発情期に重なるため、骸は代理を立てることにしたらしい。オメガ狩りが横行している昨今、用心しすぎるほど用心してもまだ足りないぐらいだ。
  獄寺はフン、と微かに鼻白んだ。
「いいんじゃないっスか。俺も、鬱陶しいのと顔を合わさずにすむなら気が楽です」
  少し前のことを揶揄してみせるが、綱吉は気にもしていないのか、素知らぬふりをしている。有難いと獄寺は思った。あの時のことをあれこれほじくり返されるのは本意ではない。
  同盟会議まではもうほとんど時間がない。その時間がない中で綱吉とこんなふうにのんびりと言葉を交わしていることのほうが不思議なぐらいだ。
  獄寺がオメガだと知られる前であれば、決してなかっただろう時間だ。あの頃は多少の無理を押してでも、ボンゴレ十代目のためにとすべてを優先させたはずだ。自分の身体よりも、プライベートよりも、なによりも。
  ミラー越しに獄寺も、ちらりと綱吉を見つめ返す。
「……ヤツら、動きますでしょうかね」
  動いてもらわないことには困るのだが、相手がどう出るかは天のみぞ知る、だ。
「動くさ」
  ハンドルを切りながら、綱吉が返す。
  そのために餌を撒いたのだから、動いてくれなくては意味がない。
  獄寺は深く頷くと、まっすぐ前を見据えた。



  自宅マンションのドアを開けると、綱吉も一緒に部屋に上がりこんできた。
  当たり前のようにするりと部屋に入られ、獄寺は眉間に小さな皺を寄せる。
「もう遅いですから、帰ってください、十代目」
  やんわりと追い返すような言葉を口にすると、綱吉は微かな笑みを浮かべて返してくる。
「冷たいな、獄寺くんは」
  そうひとりごちた綱吉は、素早い動きで獄寺の腕を掴み、壁際へと追い詰めた。
「シャマルから聞いたよ。抑制剤を使い始めたんだってね」
  腕を押さえつける綱吉の力は、そう強くはない。力任せに振りほどくことは簡単なことのように思われたが、何故だか獄寺はそうしようとは思わなかった。ただ、綱吉に掴まれた箇所が熱くて、震えそうなほど甘美なピリピリとした痛みを感じるばかりだ。
  黙って綱吉を見つめ返すと、彼は眉間に微かな皺を刻むと獄寺の頬に自身の頬をそっと押し当ててくる。
「オレがいるのに……オレと番になれば、抑制剤なんて必要なくなるのに……」
  掠れた綱吉の声が耳元に響いた。苦しそうなその声に、獄寺の胸がぎゅっと締め付けられそうになる。
「そ、れは……」
  確かに、綱吉と番になってしまえば抑制剤は必要なくなるだろう。妊娠した時のことを考えてアフターピルの用意をする必要もなくなるだろうし、何よりも綱吉との関係をオープンにすることができる。きっと、獄寺の心理的負担は驚くほど軽くなるはずだ。
  だが、ボンゴレ十代目の右腕としてはそうするわけにはいかないのだ。
  綱吉の番として、男の愛人のように彼に寄り添うことは、自身の矜持にかけて、あってはならないことだ。何よりも獄寺は、いまだ自分がオメガであることを完全に受け入れてはいない。
  オメガだとかアルファだとか、そういった煩わしい現実から逃れようとしているのが現状だ。
  つまるとこ獄寺は、オメガとしての事実を目の前につきつけられて尚、その事実を拒もうとしている。いや、もしかしたら全てを否定しようとしているのかもしれない。
  オメガであることを拒絶してでも、綱吉のそばにいたい。そう思って躍起になってすべてを隠してきたことからもわかるはずだ。
  嫌なのだ。自分が第三の性であるオメガであることを周囲に知られてしまうことが、とてつもなく恐ろしくて、辛く感じるのだ。
  オメガもアルファもない世界へ行きたいとそんなふうに願うこともあるぐらいだ。
  それは別に、劣等感や嫌悪感から来ているわけではないと思いたかったが、実際のところどうなのかは、自分にもわからない。何しろ自分の考えや思いがふらふらとして定まらず、気持ちにぐらつきが現れてしまっているからだ。
  これではいけないと思うのだが、どうしても気持ちが定まらない。
  それでも、第一線に戻って綱吉の隣で右腕としての職務を全うしていればこんなふうに弱い気持ちにはならないのではないかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
  押し殺したような溜息を吐いた綱吉は、獄寺の喉元に唇を押し当てた。
  皮膚にそっと触れてくる唇が、熱くて、心地よい。鼻先をくすぐる甘い匂いに獄寺の理性が飛びそうになる。抵抗しようと思うのに、抗うことのできない自分がいる。オメガとして、番としての本能が、理性など捨ててしまえと体の中で暴れ狂っているような感じがする。
「ねえ。もっとオレを頼ってよ、獄寺くん。そんなにオレって、頼りなく見える? それとも……」
  ──それとも、オレと番になるのがそんなに嫌なの?
  耳元に、低く呻くような綱吉の声が囁きかけてくる。
  獄寺がピクリと体を震わした途端に、喉元を甘噛みされた。カリ、と皮膚を噛まれる。痕が残るほど強く噛まれたわけではないが、それでも獄寺の身体は綱吉の身体から発せられる甘い誘惑のフェロモンに反応し始める。
「ち、が……」
「違わないだろ?」
  やや強い調子で綱吉は言葉を投げかけると、獄寺の瞳を覗き込んできた。
「オレと番になることについて獄寺くんが悩んでいるのは、誰だって様子を見てればすぐにわかることだよ」
  そう言われて、心当たりがないわけではない。
  綱吉と体を繋げた後でアフターピルを躊躇うことなく口にしたことが思い出される。抑制剤を再開したのだって、獄寺一人で決めたことだ。
  自分一人の意志で、すべて決めてきたことだ。
「俺、は……」
  だったら俺の気持ちはどうなるのですか。そう尋ねたかったが、何故だか口にすることは憚られた。怖かったのだ。自分の気持ちなど関係なく変化していくオメガの体質と、本能を明らかにしなければならないことが。綱吉はとっくに獄寺の気持ちも、オメガとしての体の変化にも気付いているというのに、改めてそれを自分自身が知ることが怖くてたまらない。知りたくないし、知られたくない。すべてのことに対して腹を括るには至らない心細く不安定な心も、そうだ。何もかも知られてしまうのが、たまらなく怖いのだ。
「こんなにも体は求めているのにね」
  そう言って綱吉は、獄寺のズボンの前をぐりぐりと太股や膝頭で刺激してくる。
「んっ、ぁ……っ」
  既に綱吉の匂いだけで反応していた獄寺の身体は、すぐに熱く昂りだす。
  すぐにでもしがみついてしまいたい気分になったが、両手を綱吉に掴まれていてはそれもできないことだ。
「じゅ、ぅ……」
  はぁっ、と甘い吐息を零すと、綱吉に唇を塞がれた。勢いよく唇を吸われ、強引に口腔内に潜り込んできた舌に口の中を掻き混ぜられる。
「んっ、ん……ぅ……」
  くちゅっ、くちゅっ、と湿った音が耳に響く。
「ゃ……め……」
  抵抗しようとしたが、間違いなく獄寺の身体は悦んでいる。
「ぁ……っ」
  じわり、と獄寺の後ろが自然と濡れてくる。体の奥から淫液が溢れてきて、アルファである綱吉を受け入れようとしているのがはっきりと自分でも感知することができる。
  恥ずかしくて、悔しくて、なのに嬉しくてたまらない。
「オレの番になってよ、獄寺くん」
  熱に浮かされたように綱吉は何度も耳元に囁きかけてくる。
「ダメ、です……」
  男でなかったら。オメガでなかったら。そうしたら、自分は素直に綱吉の番になっていただろうか。快感に震える体をくねらせながら、獄寺はそんなことを考える。
  綱吉のことを想うとそれだけで身体が熱くなる。持て余す熱を鎮めるため、綱吉を想って自分を慰めたこともある。自分がオメガだと知られる前であれば、綱吉に求められるまま素直な気持ちで番になる決心がついただろうが、今は駄目だ。こんなふうになし崩しに綱吉が求めるままに甘えてしまうわけにはいかない。
  それに、今後は男の愛人として振る舞わなければならなくなるのだろうと思うと、ゾッとする。
  自分は……獄寺隼人という一人の人間は、いったいどうなってしまうのだろう。
  ボンゴレ十代目の右腕として、そして守護者としての自分は、いったいどこへいってしまうのだろう。
「……無理です、十代目。俺は、あなたの番にはなれません」
  綱吉への恋慕を押し殺し、獄寺はそう返した。
  腹を括るだけの度胸もなく、ふらふらとあちらこちらへ気持ちが揺らいでいる状態の自分には、綱吉の番になる資格など、あるわけがない。
「無理……なん、ス……」
  絶対に無理だ。
  そう胸の内で獄寺は呟く。
  不意に獄寺の腕を掴んでいた綱吉の手から力が抜けたかと思うと、さらに強い力で壁に身体ごと押し付けられる。
  一瞬にして不穏な空気を纏った綱吉は、ポソリと返した。
「わかった。じゃあ、無理にでも番にしてください、って獄寺くんに言わせてみせるよ」
  感情のない綱吉の声に、獄寺の背筋を嫌な感じの汗がつー、と伝い下りていく。



(2017.8.5)


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