重怠い身体を抱えながらも獄寺は、会合のために朝からあちこちを駆け回っていた。昼食会という名の会合には、同盟ファミリーの主だった者たちが集まることになっている。
綱吉は定期的にこういった場を設けていた。
オートマチックな文化がどれだけ発展しても、それぞれが足を運び、ひとつところで顔を合わせ、言葉を交わすことに意味があると綱吉はいつも言っている。
もちろん、ちょっとした用事の時にはインターネットを利用したテレビ電話などを使う事もあったが、同じ場で相手の顔を見て、同じ空気を感じながら言葉を交わすことに綱吉は重きを置いていた。
そのための下準備はいつも獄寺の役目となっていた。特に指名を受けたわけではなかったが、気付いたらいつの間にか、そうなっていたのだ。
ボンゴレのため、ひいては綱吉のためになることだと判断すれば、獄寺はなんだってした。
汚れ仕事に手を染めることもあったが、たいがいは山本がそういった裏側の仕事を引き受けることが多かった。
獄寺はというと表舞台に立ち、綱吉を支える役割を担うことのほうが多い。適材適所というやつだ。
だから今日の会合も、獄寺がすべてを把握していた。もちろん、警備面でいうと細かい部分では山本のほうがより詳しく把握していたが。
昼前近くになると、それぞれの同盟ファミリーに属する者たちが到着しだした。ミルフィオーレのユニと白蘭を始め、キャバッローネのディーノ、シモンファミリーの面々など、見知った顔が会合の場となる部屋へと案内されていく。
さらに警備も兼ねて笹川了平が会場の入口に立つと、いっそう会が重々しく感じられる。
とは言うものの、皆旧知の仲だ。一言、二言、言葉を交わしたあとは和やかな雰囲気が会場には漂っている。
ドアの影からちらりと中を覗いた獄寺は安心したように小さく息を吐き出すと、また自分のポジションに戻っていく。
警備に当たっている部下を通じて綱吉にいくつかの報告をしてからも獄寺は、あちこちを行ったり来たりと忙しなさそうに駆け回るばかりだった。
ボスである綱吉に恥はかかせられない。貧相な会合にはできないが、華美すぎるのもいただけない。上品にまとめてさりげなくボンゴレの、そして綱吉の力を誇示したい。そんな思いで獄寺は裏方に徹している。
それでも、厨房で料理の出来を確認してからは少し気が緩んだのか、ピリピリとした雰囲気が落ち着いたように見えないでもなかった。
穏やかな雰囲気の中で食事が始まり、会場はしばし近状を尋ね合う会話に包まれた。
そのうちに話題は自然と、このところ同盟ファミリーの縄張り内で起きている案件へと移っていく。ここまでは予定通りだ。獄寺はちらりと腕時計へ視線を走らせた。
ここ数ヵ月の間にオメガばかりが狙われる事件が急増していた。特に番のいないフリーのオメガが狙われることが多く、彼あるいは彼女たちは、人気のない場所で犯人に犯され、強制的に番としての契約を交わすことをも強いられていた。
こんな話を食事時にしたくはないんだけどね、とわざわざ前置きをしてから白蘭は喋り始めた。
「僕なりに調べたんだよ、今回の件。うちのシマでは七件、シモンでは十件以上、キャバッローネで八件だ。君のとこでも五件」
と、白蘭は綱吉を見た。
このひと月で起きた件数にしては多すぎる数だ。
事件は計画的に思えるものから衝動的なものまで幅広く、また広範囲に渡っていた。おまけに犯人同士の繋がりも見えてこない。中には、単なる恋人同士の痴情のもつれが発展したとおぼしきものまであって、捜査は難航を極めているといったところだろうか。
これらすべてを事件だと断定するわけにはいかなかったが、いくつかの事件には共通項があった。そのひとつが、犯されたオメガの体内から多量のアルコール反応が出たことだ。もともとアルコールを摂取していた者もいたが、被害者の中にはそうでない者が多く含まれていた。では、いつ、どこでアルコールを摂取したのか。当事者すら気付かないうちに多量のアルコールを摂取しているというのだから、これはもう、犯された時に身体の内部から取り込まされていると思わざるを得ない。実際、オメガの体内からアルコールの反応が出ているのだから、そうとしか考えられないだろう。
だけど、と白蘭はもったいぶった言い回しで集まった面々をぐるりと見回した。
「おかしなことにまったく事件の発生していないエリアもあるんだよ」
どうしてかな、と白蘭は告げる。
冷たい眼差しのまま口元に笑みを貼り付け、彼は向かいの席に座る綱吉をじっと見据える。
「ねえ、綱吉君。骸君のシマにはどうして同様の事件が起きないんだろう。彼のところにはオメガの女の子がいるって聞いているよ? 何故、彼女は無事なんだろう。何故、骸君のシマには一度として事件が起きないんだろう。綱吉君、君、考えたこと、ある?」
おかしいよね、と。そう言いながらも綺麗な笑顔を浮かべた白蘭の目はしかし、笑ってはいない。
獄寺は密かに口の中に溜まってきた唾を飲み込んだ。
会合の場にはいるものの、自分は会話には加わっていない。あくまでも綱吉のサポート役としてここにいるだけだ。だから、大丈夫だ。獄寺自身がオメガの嫌疑をかけられることはまずないだろう。
ちらりともう一度、腕時計に目を走らせる。
この会合が終われば今日はもう仕事はない。
さっさと終わってくれればいいのに。何もかもすっとばして、会合が終わってしまえばいい。近況報告も、件の事件も、もうどうでもいい。獄寺の腹の底に潜むふつふつとこみあげてくる違和感さえ消えてくれれば、それでいい。
ほぅ、と隠れて溜息をつくと、それに気付いたのか隣にいた了平が怪訝そうに獄寺の顔を覗きこんでくる。了平の視線をギロリとねめつけてから獄寺は、意識を綱吉のほうへと集中させた。どうせこの会合は公式記録として録音してある。会話を確認しようと思えば後からいくらでも確認できるが、それでも彼らの会話は気になった。
白蘭の発言によって、何人かの注意が骸のほうへと向いた。
骸は穏やかな笑みを浮かべて白蘭をまっすぐに見つめ返す。
「人聞きの悪いことを」
低いが、はっきりと聞こえる声で骸はそう言った。
「黒曜町が被害を一切出していないのは、僕なりにクロームを守っているからこそのこの結果です。邪推はやめていただきたい」
ニッと口の端をつりあげた骸は、意地の悪い笑みを浮かべる。
「自分の力が及ばないからといって僕をなじるのはお門違いだ」
相変わらず性格の悪いことだ。獄寺は無性に煙草が吸いたくなるのをこらえるように、ぎゅっと拳を握りしめた。
シモンの面々が腹に据えかねるといった様子で立ち上がりかけるのを、綱吉は視線だけで押さえ込んだ。
「今は同盟同士で仲間割れをしている場合じゃない。早急に対策を講じよう」
具体的にどうするのかは改めて日時を設定して集まった時に考えることにして、ひとまず今回の会合はお開きとなった。
会合が終わると獄寺は、肩の力が抜けていくのを感じた。肩を回すと凝り固まった筋肉が少しずつ解れていく。小骨がパキパキと音を立てた。
会合の場となった部屋を出た獄寺がふと見ると、廊下の向こうに骸がいた。携帯を片手に、熱心に誰かと話し込んでいるようだ。
骸も綱吉と同じくアルファだが、一癖もふた癖もある相手だからだろうか、親しみを覚えることはなかった。出会ったばかりの頃の綱吉に感じたような尊敬の念もない。あるのはただ、仲間という事実のみ。それも、いつ裏切られるかわからない、仮初めの仲間だ。
わずかに肩を竦めてから獄寺は、骸のいるほうへと歩き出す。
その先の角を曲がったところにある部屋に、獄寺は用事があった。
電話をしているすぐそばを通り過ぎようとしたところで獄寺は、不意に背後に人の気配を感じた。
会合には出ていなかったが、どうやらどこかから来賓の様子を見ていた者がいたらしい。押さえ込んではいるもののピリピリとした不機嫌そうなこの気配は、雲雀のものだ。そう思った刹那、獄寺は首筋に鈍い衝撃を感じた。目の前が傾ぎ、呆気なく意識が急速にフェードアウトしていく。力を失った体が、床に沈んでいくようだ。
気が付いたのは、違和感を覚えたからだ。
目を閉じたまま、十まで数えてあたりの様子を探る。人の気配はなく、静かだった。
ここがどこなのかはわからなかったが、目を開けると何かの実験室のように思われた。獄寺の腹の辺りから下は水色のカーテンで仕切られており、下半身がどうなっているのかは見えなかった。
手を動かそうとしたが、拘束されていた。寝台──自分が今、寝かされているのが寝台だとしてだが──に、腕は固定されていた。足もだ。どちらも視界に入らないため、状況が今ひとつ理解できない。
どうしたものかと考えてみるも、打開策が浮かんでこない。
それに、なにより獄寺を不安にさせたのは、室内に残された微かなにおいだ。
毒々しいまでの甘ったるいにおいは不快で、嫌悪感が込み上げてくる。
まずいな、と獄寺は口の中で呟いた。
押さえ込んだ発情期が誘発されそうな強いフェロモンは、おそらく骸のものと思われる。
しかし、何故だろう?
微かに身動いだ瞬間、部屋のドアが開いて誰かが入ってきた。頭を動かすが、カーテンの向こう側にいるため、誰だかわからない。
声がした。
「目が覚めたようだね」
やはり、とその声を耳にして獄寺は思った。部屋に入ってきた一人は雲雀だ。獄寺の首筋に手刀を叩き込んだ張本人だ。
もう一人は……においでわかるような気がする。先程から強烈なまでにアルファのにおいを撒き散らしているのは、骸だ。
「おや。まだ眠いですか?」
気遣わしげな声はしかし、気味の悪い猫撫で声をしていた。
獄寺は唇を噛み、黙り込んでいた。
どうしてこの二人が一緒に行動をしているのだろう。馬が合わず、同じボンゴレファミリー内でもほとんど接触することのない二人が、何故だ?
顔をしかめ、向こう側にいるだろう二人を思って獄寺はカーテンを睨み付ける。
その途端、シャッ、と音がした。淡いブルーの布が引かれ、ベッドに拘束された自身の下半身がようやく視界に飛び込んでくる。スラックスは脱がされていた。下着もだ。何も着けていない状態で、アーム部分に専用のベルトで足を固定されている。
「なっ……」
眉をひそめ、獄寺は自身の下肢から目を逸らした。見ていられない。
フフッ、と微かな笑みを浮かべながら雲雀が尋ねてくる。
「オメガ専用の診察台の寝心地はどう?」
獄寺は眉間の皺を深くして、雲雀を睨み付けた。
「いいわけないだろう」
何がオメガ専用の診察台だ、と獄寺は口の中で呟く。股を開いた状態で固定され、相手からは何もかも丸見えになっているのだ、悪趣味極まりない。
骸がニッと笑った。
「おや。オメガは皆、こういった専用の診察台で検査されるのですよ?」
強制的に足を開かされ、身体の中にあれやこれやの医療器具をつっこまれ、掻き回されるのだと骸は楽しそうに続けた。
「……だから?」
だったらどうなのだと、半ば自棄気味に獄寺は言い返した。
獄寺自身、こういった診察台での検査は受けたことがなかった。主治医であるシャマルが先鋭的技術を好まないこともある。何より、こんなふうに体を拘束しなくても獄寺は素直に足を開き、シャマルに言われるがまま診察を受けていた。だからこういった専用の診察台が必要となることはなかったのだ、これまでは。
もちろん、今後こういった診察台が必要となることはあり得たが、それは今ではない。
獄寺は、目の前に立つ骸と雲雀の二人をねめつけた。
骸は楽しそうに声をあげて笑った。
「おやおや。こんなに強いフェロモンを垂れ流して、君は今までどうやってオメガであることを隠してきたのです?」
教えるものかと獄寺はまっすぐに骸を見つめ返す。そもそもこの二人は、どうやって獄寺がオメガであることに気付いたのだろう。
今までうまく隠しおおせてきた。誰にも……綱吉ですら気付くことなく、獄寺がベータだと思い込んできた。それなのに、どうやってこの二人は獄寺がオメガであるという結論に辿り着いたのだろう。
不意に、雲雀がふーっ、と深い溜め息をついた。
「別に、言いたくないならいいよ。こっちも聞く気はないから」
雲雀は獄寺がオメガだろうがベータだろうが、どうでもいいのだ。どうでもいが、獄寺を捕らえようとする骸に加担した。獄寺の身上に興味があるのは間違いないだろう。
何故、この二人が結託しているのだろう。何がこの二人を繋いでいるのだろう。
最近起きたオメガ絡みの事件を、獄寺は頭の中で反芻してみる。オメガを狙い、犯し、強制的に番の契約を交わすといった事件だ。骸のいる黒曜町ではひとつとして起きていない、事件。
雲雀は何故、骸と手を組むことにしたのだろう。骸がどうしようと、黒曜町がどうなろうと、雲雀には関係のないことだ。それなのに手を組もうとするのは何故だろう。
獄寺の眉間の皺がいっそう深くなった。
骸の手が、獄寺の腕をするりと撫でたからだ。
「発情期を強制的に誘発させたらどうなるか、知っていますか?」
そう言うと骸は、獄寺の肘の内側を針のようなもので素早く刺した。
チクリとした痛みがして、体内に送り込まれた何かが血液と混ざり合うのが感じられる。
「なっ……」
拘束された手足を無理に動かそうとしたが、無理だった。拘束具はビクともせず、しっかりと獄寺を診察台に縛り付けていた。
骸は、微かな笑みを浮かべて獄寺をじっと見下ろしていた。
(2016.8.4)
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