どこにも帰さない7


  屋敷に綱吉が滞在するようになって、獄寺は嬉しいやら恥ずかしいやらで、居たたまれない気分を味わっていた。
  発情期の症状は気紛れに現れては消え、消えたかと思うと現れては獄寺を悩ませた。
  今回の件に関しては、特に抑制剤を使うなどの処置はとらなかった。強制的に誘発された発情期が自然に終了するのを待って元の獄寺の体のサイクルに戻したほうが、今後のことも考えると大きな負担を避けられるだろうというシャマルの見解に基づいてのことだ。とは言うものの、発情期の症状が出るたびシャマルにすがりつく、みっともない自分を綱吉に見られるのが辛かった。心のどこかで獄寺は、すがりつく相手が綱吉だったならと何度も思わずにはいられなかった。
  獄寺がオメガ性であることが発覚しようとも、やはり綱吉のことが好きなことに変わりはない。男同士であるだけでも問題は多いのに、オメガであるという引け目のようなものが獄寺の中には存在していた。別段、オメガを蔑んでいるわけではない。だが、やはり自分の発情期の浅ましさを考えると、これまでのように綱吉に憧れを抱くだけでもある種の背徳的なものを感じてしまう。
  昔から獄寺にとって綱吉は遠い存在だったが、それがよりいっそう遠い、もう二度と手に入らない存在になってしまったかのような気がして、顔を合わせることすら躊躇うことがあった。綱吉には、そんな気持ちはまったくないというのに。
  それに、気になることもあった。発情期のオメガが出すフェロモンに誘発されて同じようにフェロモンを放つアルファは多いが、この屋敷に滞在するようになってから綱吉からアルファのフェロモンを感じなくなった。何か対策を講じているらしいことはわかったが、現在の医学ではフェロモンをまったく消し去ってしまうことのできる薬というのはいまだ開発されていないはずだった。誰が手を貸しているのだろう。シャマルではないことは確かだが、綱吉に協力する誰かが間違いなくいるはずだ。綱吉が誰を頼ろうが獄寺には口を挟む権利はなかったが、何だろう、この気持ちは。もやもやとして、苛立たしいような感覚……そう、まるで嫉妬のような気持ちが、獄寺の中に込み上げてくる。
  我ながら女々しいなと思いながらも獄寺は、自嘲気味に笑みを浮かべた。
  綱吉は自分一人のものではない。ボンゴレのボスで、仲間であり、友人である。気を付けなければ。今はオメガである獄寺の体調不良を心配して同じ屋敷に滞在してくれているだけのことだ。ちょっと特別扱いをされたからといって、いい気になっていてはいけない。自分を戒める気持ちで獄寺は、綱吉とは故意に距離を取るようにしていた。
  それなのに、今度は綱吉のほうから獄寺に近付いてくるようになった。
  獄寺がタイミングをずらして食堂に足を運ぶと、綱吉もそれに合わせて食事を摂ろうとする。体力をつけるために散歩をしようとすると、外出から戻ったばかりの綱吉と鉢合わせる。そんなことが何度も繰り返されると、嫌でも綱吉のほうから距離を詰めてきていると思わざるを得ない。
  獄寺はわざとらしく深い溜め息をついた。
  今日は天気がいいからテラスで昼食を摂ろうと言い出したのは綱吉だ。テーブルを挟んだ目の前の椅子に腰をおろした綱吉は、さきほどからちらちらと獄寺の様子を伺っている。
  できることなら断っていた。今の獄寺には、綱吉と一緒に食事をすることさえプレッシャーとなっていた。
  確かに、テラスに出ると爽やかな風が吹いていた。部屋よりも新鮮な空気の下で軽めのランチをとるのも楽しいだろう。だがそれは、獄寺がオメガであると発覚する前のことだ。今は、違う。オメガだと発覚した自分に対する綱吉の気遣いが感じられて、同じ空間にいるだけで息苦しくなってしまう。
  獄寺の気持ちは相変わらず綱吉に向いていたが、それだからこそ、辛く思えるのだ。
  もう一度、今度はこっそりと溜め息をつくと獄寺は、綱吉のほうをちらりと盗み見た。
  穏やかな笑顔の綱吉は、これまでと同じように獄寺に接することを心掛けているように見えないでもない。
  何も考えずにすべてを綱吉に委ねてしまえたらいいのにと思わないことがないわけでもない。しかしそうすることは、つまり獄寺の右腕としての責務を放棄していることに他ならないのではないかと思えて、躊躇いを感じてしまう。
  綱吉は何も言わない。オメガの獄寺がこのまま右腕として綱吉の側にいることを当たり前のように思っているように見えるが、本当のところはどうなのだろう。
  オメガの特性を考えると、そのうちボンゴレの十代目は愛人を側に置いているだの何だのといった中傷を受けることも出てくるのではないかと、不安に思うこともある。もっとも、それを考えるのは綱吉の仕事で、獄寺はただボスの決定事項に従っていればいいのだろうが。
  ぼんやりと考えていると、綱吉に食事をするように勧められた。食べないわけにはいかなかった。サラダにスープ、サンドイッチ。デザートのコンポートは赤く鮮やかなプラムを使っている。
  あまり食欲がないものの、獄寺はもそもそと口を動かし続けた。そうすれば、話さなくてもいいからだ。綱吉の視線がもの言いたげにちらちらと獄寺を見つめてくる。なにか話をしたほうがいいのだろうか。
  あれこれ迷っているうちにも、時間はゆっくりと過ぎていく。
  あまり気の進まないランチではあったが、半分ほどを食べ終えたところで偶然、ミネラルウォーターのグラスを取ろうとした獄寺の指先に、綱吉の手が触れた。
  一瞬のことだったが、それでも獄寺の中のオメガ性が反応した。
  カッと身体中の血が沸騰したかのように体温が上昇する。
「……っっ」
  ピク、と手が震えて触れた指先が燃えるように熱くなった。
  発情期だ。ほんのわずかに触れただけだというのに、想い人の体温を感じた途端に獄寺の中のオメガ性が蠢きだす。
「獄寺くん?」
  怪訝そうな綱吉の呼びかけに応えるだけの余裕もなく、獄寺ははあっ、と息をついた。
  ちらりと綱吉のほうへ視線を上げると、心配そうな表情でこちらを覗き込まれる。
「は……なれて、くださぃ……」
  テーブルにしがみつくようにして獄寺は告げた。
  身体の中で熱が燻っているような感じがする。急に綱吉のにおいが気になって、獄寺は逃げるように椅子から立ち上がろうとした。
  ガチャン、と音がして、テーブルの上の食器が倒れる。
「部屋に戻ろう、獄寺くん」
  言いながら綱吉が手を差し伸べてくる。それをやんわりと振り払うと獄寺は、よろよろとその場に立ち上がった。
「自分で……」
  返しかけたが、身体が思うように動かない。込み上げてくる気分の悪さをこらえようとしてまたもやテーブルの端にしがみつく。
「戻るよ」
  さらりと言うと綱吉は、獄寺の体を抱き上げた。力強い腕に抱かれた瞬間、アルファとしての綱吉のにおいがふと感じられた。ああ、やはりこの人は間違いなくアルファだと、獄寺は思う。
  甘い匂いは綱吉のフェロモンだろうか。
  体臭でも、つけているコロンの香りでもない、綱吉のフェロモン。獄寺の身体に点された発情の火が、あちこちで燻りだす。
「じゅう、だ……」
  離してくださいと言いたかった。綱吉の触れたところは今や、どこもかしこも熱くて甘い疼きに包まれている。
「ベッドに行くまでの辛抱だ」
  横抱きに抱き上げられた獄寺は居心地悪そうに身動ぎ、俯いた。まるで綱吉の香りに包まれているような感じがして、落ち着かない。
  求めてやまない相手に触れられているというのに切なくてたまらない。
「も、下ろして……」
  もういいですら、と獄寺は言った。ここからなら自分でベッドに戻ることもそう大層なことにはならないはずだ。それよりも、これ以上みっともないところを綱吉に見られたくない。
「自分で……」
「駄目だ」
  言いかけた言葉はしかし、綱吉の鋭い言葉によって呆気なく封じられた。
「オレが、君をベッドまで連れていきたいんだ」
  小難しい表情でそう告げた綱吉の横顔は、いったい何を考えているのだろう。もしかして怒っているのだろうか。
  それに、ベッドまで連れていきたいなどと言われたら、誤解してしまいそうになる。
  それでも獄寺は、綱吉の着ているシャツをきゅっと握ると、大人しくベッドまで運ばれることにした。身体に回った熱のせいで、歩くことすらままならないことがわかっていたからだ。
  テラスからベッドまではほんのわずかな距離だが、獄寺は複雑な気持ちで綱吉のにおいを嗅いだ。やはり、アルファとしてのにおいは薄い。綱吉の体臭にほんのりと汗のにおいが混じり、そこにアルファの甘いにおいが重なったような感じがする。微かなアルファのにおいを求めて獄寺は、密かに深呼吸を繰り返す。好きな人のにおいをたっぷりと吸い込むことで、満たされた気持ちになりたかった。
  残念なことに、その時間は本当にあっという間に終わってしまったが。



  綱吉は、驚くほど優しく獄寺をベッドに下ろしてくれた。
  シーツに背中が触れたと思ったら、綱吉の唇がさっと獄寺の額を掠めていく。ヘイゼルの瞳が熱っぽく獄寺を見下ろしてくる。
  獄寺はわずかに唇を開くと、掠れた声で綱吉を呼んだ。
「……十代目」
  綱吉の顔が、ゆっくりと獄寺のほうへとおりてくる。キスされる。そう思って獄寺はぎゅっと目を閉じた。
  頬に綱吉の吐息がかかり、自然と獄寺の息が粗くなる。
  さら、と綱吉の指が、獄寺の銀髪を弄ぶ。
  それから綱吉は獄寺の耳元で低く囁いた。
「シャマルを呼んでくる」
  はっきりとした綱吉の声に、獄寺はぱちりと目を見開く。
  触れそうなほど近いところにある綱吉の唇が、名残惜しそうに離れていく。
「じゅ、……っ」
  眉間に皺を寄せた綱吉の顔を見ると、何も言えなかった。
  部屋を出ていく綱吉のよそよそしい背中を獄寺はただただ見送ることしかできない。
  結局のところ、身体にこもった獄寺の熱はシャマルが散らしてくれることとなった。いつにも増してねちっこく執拗に、シャマルは獄寺を啼かせ続けた。さんざん玩具で中をかき混ぜられ、イかされ、喘ぎ啜り泣きながら獄寺は、これが綱吉との情交だったらと思わずにはいられなかった。
  半日ほどして発情の波がおさまった獄寺は、気怠い身体をシーツの上に投げ出し、甘く優しい綱吉の体臭を思い出していた。いや、違う。あれは綱吉のフェロモンだ。微かに鼻の奥に留まっている、甘いにおい。
  アルファのフェロモンの甘美さに、いつまでも獄寺は一人酔いしれていた。



(2016.9.4)


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