イタリアの実家に自分の居場所はない。
それぐらい、とうの昔に獄寺は気づいていた。
義姉のビアンキが側にいようと、父がいようと、関係はない。実家のよそよそしい空気自体が、自分には馴染むことができないものだった。
獄寺の、父に対する誤解が解けた今なお、父と子の確執は続いている。
おそらく二人の間のぎこちなさは、この先もずっと続いていくだろう。二人ともそういう性格なのだから仕方がない。別に、それで不自由を感じることもなかった。元来、父や実家の雰囲気とは水と油のように相容れないものだと思ってきた。それに、今さら自分を変えることもできないだろうと、獄寺は思う。
自分のいるべき場所ではないという索漠とした想いを持ちながらも、ここにいることしか今はできないのが歯痒くてたまらない。
形ばかりの父への挨拶と、世間に対しての体裁を取り繕うだけのために、自分はここにいる。
本当の居場所は、ここではない。
自分の居場所は綱吉のいるところだ。
さっさと課せられた義務を果たして、十代目のそばへ戻りたいと獄寺は思う。
ここは、息苦しい。自由に息もできないような場所なのだ、この屋敷は。自分の部屋にいてすらそうなのだから、他の場所へは行けたものではない。
それなのに、獄寺が到着するのを待ち構えていたかのように姉のビアンキまでもが帰ってきて、屋敷の中は蜂の巣をつついたような、ちょっとした騒ぎになっている。
「ハヤト、あなたのためにケーキを焼いたのよ。後で食べてね」
そう声をかけられると、幼い頃からのトラウマが反射的に蘇ってきて獄寺は、青い顔をして部屋に逃げ込むしかない。
嫌いではない。半分しか血は繋がっていなくとも、大切な姉だ。獄寺なりに愛情を抱いてはいるが、料理だけは勘弁してほしいと思わざるを得ない。
「ああ……」
呻き声のような溜息をつくと、獄寺はますます部屋に閉じこもってしまうことになる。この攻防は、ビアンキか獄寺のどちらかが屋敷を去るまで繰り返される、いつものこととなっている。
部屋のドアに鍵をかけると獄寺は、スーツの内ポケットから煙草を取り出す。口にくわえ、さっと火を点けた。今のところ、これがあればなんとかやり過ごせることができそうだと獄寺は思う。
日本に帰るまでは、嫌だろうがなんだろうが、実家に滞在しなければならない。
あと、煙草は何本残っているだろう。
白煙をふーっ、と吐き出し、獄寺はもうひとつ、溜息をつく。
本当に自分が考えたいことは、こんなくだらないことではないのに。
今回の獄寺の帰省の目的は、もっと別のところにあった。
できることならゆっくりと時間をかけて、綱吉の言葉を吟味したかった。
好きだと告白をされて、嬉しくないわけがなかった。好きな人から告白をされたのだ。本当なら天にも昇る気持ちでいるところだ。両手放しで喜び、今頃は恋人となった人とイチャイチャしていてもいいぐらいだ。
だが、それは叶わぬ夢と諦めたほうがいいということを、獄寺は知っている。
いくら綱吉からの告白だとしても、今は駄目だ。
笹川京子との婚約解消から日を置かずして告白され、そのまま流されてつき合ってしまえば、きっといつかどこかで自分は後悔するだろう。
こんなはずではなかったのにと、否定的なことを思うかもしれない。
盲目的に綱吉だけを愛することができるからこそ、今回ばかりは駄目だと言うしか方法はなかった。
嫌いではない。告白されて嬉しかった。だが、綱吉の気持ちに応えることはできない。それが今の獄寺にできる全てだ。
煙草を燻らせ、獄寺はああ、と溜息をつく。
綱吉の気持ちが自分に向かってくることが、信じられない。
だいたいにおいて、笹川京子と別れた次の日に自分に告白してくるなんて、あまりにも節操がなさすぎるではないか。
自分は、いい。男だし、気にはしない。綱吉のことを心の底から愛しているから、周囲がなにを言おうが関係のないことだと割り切ることができるが、綱吉はどうだろう。あの線の細い人に、周囲の陰口を耐えるだけの図太さがあるようには思えない。
「俺は、ぜんぜん気にならないんだけどな……」
呟いて、また溜息をつく。
綱吉のことを考えると、胸の奥がきゅう、と甘酸っぱい痛みでいっぱいになる。
名前を呼ばれると、それだけで嬉しくなる。
だけど、今は違う。
綱吉の一言で自分の中の基盤となる価値観が、かわってしまったような感じがする。
こんなふうに困らせないでほしい。
自分は…──。
父との約束で、実家が主催するパーティに顔を出さなくてはならなくなった。
今夜一晩、このパーティに出て愛想よくしていれば、自分はまた綱吉のところへ戻ることができる。ボンゴレの一員として日本に戻ることを許されるのだ。
自分のしたいことをするだけなのに、どうしてこの歳になってまで父親の許しが必要なのだと獄寺は憤っている。
父親が反対しようが、獄寺は、獄寺だ。
父親なんて、関係ない。
なにをつまらないことをグダグダと言っているのだと、獄寺は思っている。
こんな、どうでもいいようなことに自分をつき合わせないでほしかった。親子ごっこがしたいのなら、父親の正当な血を引く娘のビアンキとすればいい。今さら家族の温もりや家族愛についてとうとうと説かれても、気持ちが悪いだけだ。
それに気持ちの整理もまだ、ついていなかった。
日本に帰れば綱吉がいる。
顔を見て綱吉と喋りたいのはもちろんだが、そうすると告白に答える必要も出てくる。困ったものだと獄寺は、こめかみに拳をあてる。
「どうしたらいいんだろうな……」
ポソリと呟くと、獄寺は今日、何度目になるかわからない溜息をついた。
携帯が鳴っている。
どこで鳴っているのだろうかと獄寺は、部屋をぐるっと見回した。
獄寺の私室は、二間続きの小さな小洒落た部屋だった。バスもトイレもついており、使い勝手のよさと快適さを獄寺は気に入っている。
だが、ここでは駄目なのだ。
ここにいたら、綱吉のための右腕ではなくなってしまう。自分がなくなってしまう。
息ができないほど重く苦しい空気の立ちこめるこの場所は、自分のいるべき場所ではない。
無意識のうちに唇に触れていた。
携帯は、まだ鳴っている。
見つからない。
携帯も、自分の気持ちも、自分の居場所も、見つからない。
自分はいったいどうすればいいのだろう。
この場所を離れて、並盛へ戻ることが最善かどうかすら、わからなくなってしまいそうだ。
「十代目……」
胸の痛みに、獄寺は小さく喘いだ。
部屋の真ん中に突っ立っているうちに、携帯の着信音は途切れてしまっていた。
獄寺はホッと胸を撫で下ろした。今は、誰とも話す気になれない。
ノロノロと獄寺は、ソファに腰をおろした。
なにをするのも億劫に感じる。この屋敷の空気が原因だ。見えない牢に閉じこめられてしまったような気がして、どうにも気持ちが委縮してしまう。
ジャケットの内ポケットから煙草を取り出すと、口にくわえる。
火は点けずに、フィルターをガシガシと前歯で噛んで、ぼんやりと窓の外を眺める。
頭の中で、綱吉のこと、笹川京子のこと、ビアンキのこと、それから父と自分のことがグルグルと回っている。
どうしたらいいのだろうか。
獄寺のことを好きだと言った綱吉。綱吉とつき合っていたくせに婚約を破棄した笹川京子。京子の肩を持つビアンキ。自分を手元に置きたがる父。自分──心の奥底では綱吉のことが好きで、笹川京子のことがなければ綱吉とは恋人同士になっていたかもしれない。
どうしたら、この屋敷と縁を切ることができるのだろうか。
父と縁を切り、ビアンキと縁を切り。
一人きりで自由気ままにできる生活が欲しい。
そんな生活の中でなら、綱吉のことを好きだと声を大にして告げることができるのではないだろうか。
そんなことを獄寺は考え、すぐに頭の中からその考えを追い払う。馬鹿げたことを考えるな。現実的に言うと、綱吉が男の自分を恋人にするはずがない。ボンゴレの十代目だ。そんなお人が自分を……右腕で守護者で男の自分を、恋人になんてするはずがない。高望みをするな。
自分には、せいぜいあのキスの相手ぐらいがお似合いだ。
あれが誰だったのか、獄寺は知らない。行きずりの相手だった。キスだけだと彼はいい、その言葉通り、キスだけしかしなかった。
幼い獄寺の好奇心は満たされ、それで満足して終わりのはずだった。
それをどうして、今頃まで引きずっているのだろうか、自分は。
「ああ……」
溜息と共に、掠れた声が洩れた。
噛み切ったフィルターがポトリと膝の上に落ち、獄寺はまた溜息をついた。
(2011.12.18)
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