セカンド・キスでもいいから 13

  夜になると隠れ家の周辺は、真っ暗になる。
  あたりに民家は少なく、外灯もポツリポツリと点在するのみとなるためか、周囲は暗闇ばかりになる。
  リビングの灯りを消し、ベランダに出ると真っ暗な空に星が輝いている。
  明るい。あんなに小さくて遠くにある星たちが、外灯の灯りに邪魔されることのない空を見上げていると明るく思えてくるから不思議なものだ。
  宙を見上げた獄寺は、真っ暗な空に吸い込まれていきそうな錯覚を感じた。途端に、足下がふらりと頼りなくなる。
  ベランダの手すりにしがみつき、はあぁ、と息を吐き出す。
  怖いような、ずっと見ていたいような不思議な感じがする。
  この空は、綱吉の目にも見えているだろうか?
  まったく同じではない、だけどひと続きになった空の向こうで、綱吉も同じようにこの星々を見ているだろうか?
  会いたいのは、好きだからだ。
  綱吉のことが好きで好きで、とても好きでたまらない。
  本心をすべてさらけ出すには躊躇があったが、それは綱吉と京子とのことがあったからだ。あの二人のことがなければ獄寺は、綱吉に対してもっと素直に気持ちをぶつけることができていたのではないだろうか。
  切ないのは、自分の心の中をすべてさらけ出すことができないからだ。
  いちどでも自分の気持ちを吐き出してしまえば、これまで押さえてきた気持ちは呆気なく決壊してしまうだろう。それだけは駄目だと獄寺は思っている。なにより、京子に対するけじめというか、獄寺に対する誠意のようなものを、綱吉からは見せてもらっていない。
  気持ちが感じられないのだ。
  好きだと告げてくるその気持ちに嘘はないだろうと思う。だが、どこまで真剣なのか、獄寺は綱吉の真意をいまだにはかりかねている。
  こんなに好きなのに、気持ちを伝え、気持ちを受け取ることはどうしてこうも難しいのだろうか。
  溜息をひとつ、獄寺はつく。
  手すりから手を離し、部屋へと足を向ける。
  背中の向こう、真っ暗な空のどこかで、星が流れて消えたような気がした。



  状況は刻一刻一刻と変化している。
  フゥ太の訪問を受けてから数日後、獄寺の元に今度はビアンキから連絡があった。
  疎ましく思いながらも彼女のことを憎みきることができないでいるのは、獄寺が優しいからだろうか? 姉からの愛情は常に感じられたが、幼い頃から早く一人前になりたかった獄寺にしてみれば、彼女の存在自体が厭うべきものだった。
  今も、そうだ。
  彼女の前に出ると、何もかも見透かされているような気がする時がある。獄寺の気持ちなどお見通しだと言わんばかりの態度がむかついて、いつも彼女に対して冷たい態度を取ってしまう。
「なんで姉貴が連絡をしてくんだよ」
  駄々をこねる子どものような態度の獄寺に、受話器の向こうでビアンキは微かな笑みを洩らす。携帯越しに聞こえてくる姉の声は淡々としており、感情をあまり含まない。獄寺は眉間に皺を寄せた。
「元気そうね、ハヤト」
  その言葉に、いったいどれだけの意味が込められているのだろう。
  自分が綱吉に対して抱いている複雑な気持ちまでも、彼女にかかればあっという間に胸の内から引きずり出されてしまいそうになる。
  いや、それよりもいっそ、そうしてもらったほうがいいのではないだろうか?
  心の中のこのドロドロとした気持ちを、すべてビアンキの手で引きずり出してもらって、見てもらえばいいのかもしれない。そうしたら自分も、綱吉の気持ちを受け入れる気になるかもしれない。好きなのにいつまでも頑なな態度を取っていると、そのうち呆れられてしまうだろう。もしそうなったら自分は、世界一馬鹿な男だなと獄寺はこっそりと思う。
「それで……いったいなんの用なんだ?」
  ついつい乱暴な口調になってしまうのは、照れ隠しのつもりでもある。姉であるビアンキに対してどういった態度を取ればいいのか、いまだに獄寺はわからないでいる。
「ツナが……」
  ビアンキが言いかけたところで、不意に通話が途切れた。
  ブッ、という鈍い音が響いたと思ったら、そのまま途切れてしまったのだ。慌ててリダイヤルボタンを押してみたものの、なかなか繋がらない。
  いったいなにがあったのだ。
  時間を空けて何度かビアンキ宛に電話をかけてみるが、一向に繋がる気配はない。
  苛々しているところに携帯が鳴り響き、慌てて獄寺は通話ボタンを押す。
  電話は、フゥ太からだった。



  当分は用はないだろうと思っていたフゥ太からの電話に、獄寺の眉間の皺がいっそう深くなる。
  ビアンキとの連絡が途切れたままの今、あまり長々とフゥ太と話をしている余裕はないのだが、仕方がない。
  溜息をついて電話に出ると、フゥ太が「ゴメン」と開口一番に謝ってくる。
  いったいどういうことだと獄寺は首を傾げた。今のこの「ゴメン」は、なにに対するものなのだろうか。
「悪りぃけど今、ちょっと立て込んでて……」
  ゆっくり話している暇はないのだと言おうとすると、電話の向こうでフゥ太はなにやら言いにくそうに口ごもる。
「えーと……」
  言いかけて、フゥ太はまた言葉を止める。いったいなにを言おうとしているのだろうか。
「……その、ごめん」
  はあぁ、とか細い溜息をついたフゥ太は、どこかしら困っているようにも受け取れないでもない。なにか、あったのだろうか?
「なんで謝る?」
  別に、謝られるようなことをフゥ太からされた覚えはない。それとも、獄寺の気づかぬところでフゥ太がなにか企んでいるのだろうか?
  ……いや、もしかしたらビアンキもフゥ太の企みに何らかの形で関わっているのかもしれない。
  知らぬは自分ばかり、ということだろうか。
「あの、だから……」
  なにを言いにくそうにしているのだろう。生来の性格だろうか、苛っときた獄寺は「もういい」と冷たく言い放つと、通話ボタンを無情にもオフにしてしまった。
  それからすぐにビアンキに連絡を取ろうとしたが、さっきと同じで何度かけても電話が繋がることはなかった。
  仕方なく獄寺は携帯をカウチの上に放り出すと、ここへやって来た時と同じようにボストンバッグに身の回りのものを詰め込んで、居心地のいい隠れ家を後にする。
  もう散々、皆に心配をかけてきたことは自分自身がいちばんよくわかっている。だからというわけではなかったが、一度、皆の前に姿を見せておくべきだと思ったのだ。
  綱吉に対する気持ちの整理は、まだ、つかない。
  それでもこうやって隠れ家から出ていこうとしているということは、少しは気持ちが切り替わりつつあるということだろうか。
  手に提げたボストンバッグの重みはなにほどもなかったが、それでも、獄寺の腕にはずしりと思いなにがか残されているような気がする。
  隠れ家を出て、とぼとぼと町へと続く道を歩き続けた。
  この道を行った先、はるか向こうが綱吉のいるところへ続いているのだと思うと、嬉しいような苦しいような複雑な気分になる。
  会って、言葉を交わすことはできるだろうか?
  顔を見たら胸がきゅう、と痛むかもしれない。
  まだ、綱吉と京子の関係に対する自分の負い目のようなものは残っている。平常心でいることなんてできやしないかもしれない。
  それでも会いたくて仕方がない。
  どうにも気持ちが収まらなくて、隠れ家を飛び出てきたのは他の誰でもない、自分自身だ。
  顔を合わせたら、真っ先に謝ったほうがいいだろうか? フゥ太のようにもたもたと口ごもるよりは、あっさりと、「勝手してすみませんでした」と頭を下げたほうがスマートに見えるはずだ。
  綱吉はなんと言うだろうか。
  獄寺の返事を聞きたがるだろうか? あの時、綱吉の執務室で「本当に、無理?」と尋ねた言葉の返事を、獄寺はまだ、していない。
  綱吉を待たせていることは申し訳ないと思うが、自分の気持ちを安易に決めてしまいたくはなかった。綱吉の言葉に素直に身を任せることは魅力的だが、それ以外の選択が間違っていないとは言い切れない。それに……自分の行動如何で、綱吉のこの先の身の振り方も決まってしまうかもしれないのだ。並盛の見慣れた景色が目に入ってくるあたりからは、特に慎重に振る舞わなければ。
  ああ、それでも──と、獄寺は思う。
  ほんのわずかな期間しか離れてはいなかったというのに、こんなにもあたりの景色を懐かしく感じるとは。
  早く綱吉に会いたいと獄寺は思った。
  顔を見て、まずは謝って。
  それから……。



(2012.5.26)

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