セカンド・キスでもいいから 10

  溜息をついた拍子に、煙草の煙がふわん、と口の中から立ち上る。
  その煙をぼんやりと目で追いながら獄寺は、綱吉のことを考える。
  会いたくて、でも今いちばん会いたくない人だ。
「……十代目」
  呟いて、唇を噛み締める。
  日本に戻ってきたあの日、獄寺は夜遅くになってからフゥ太に連絡を入れた。自分の居場所は告げることはできないが、ちゃんと日本に戻ってきていると伝えた。気持ちの整理がついたらすぐにでも戻るとそう言って、獄寺はフゥ太との連絡を終えた。
  自分が今いる場所のことはなにも言わなかった。
  知っていればきっとフゥ太は、獄寺の居場所を綱吉に言ってしまうだろう。疑うわけではない。わざと言うようなことはしないだろうが、綱吉相手にフゥ太が隠し事をし続けられるかというと、どうにも怪しいところだった。だから、自分の居場所は告げなかった。
  いつまでとも言わなかった。
  ただ、気持ちの整理がついたらきっと戻ると、そう伝えただけだ。
  幸いなことにフゥ太は、獄寺の言葉を理解してくれたようだ。
  しかし一方で綱吉は、獄寺のこの中途半端な気持ちの変化を、どう捕らえているだろう。
  嫌われはしないだろうか。
  こうやって獄寺が綱吉から逃げているうちに、気を持たせるばかりで嫌になられてはしまわないだろうか。
  煙草を口にくわえ、すう、と息を吸う。フィルターの苦みに顔をしかめると獄寺は、煙草をアッシュトレーの底に押しつけ、捻り消した。
「会いてぇ……」
  気まずいことにかわりはなかったが、それ以上に綱吉に会いたいと獄寺は思った。
  綱吉の顔を見たい、抱きしめる腕の感触にはまだ慣れないが、抱きしめられたらきっと今の自分なら素直にしがみついていくだろうと思われる。
  それほどまでに自分の気持ちは、綱吉へと傾いている。
  もう、かつての友人同士に戻ることはできないのだと、獄寺の中の理性が意地悪く囁きかけてくる。
  構わないと思う。
  綱吉の友人ではなく自分は、恋人になりたいと望んでいた。昔からずっと。しかし綱吉のそぱには京子がいた。二人が並ぶと似合いのカップルに見えた。幸せそうなカップルだ。婚約もして、ゆくゆくは結婚をし、あたたかい家庭を築いていくのだろうと思われた。皆が皆、そんなふうに思っていたものだ。
  それなのに二人は別れてしまった。
  いったい二人の間になにがあったのだろうか。
  先だっての京子の態度から、綱吉を嫌って別れたというわけではなさそうだった。むしろ獄寺の気持ちを気にかけて、潔く身を引いたようにも感じられる。
  そなことをしてくれと、自分は一言も告げなかったのに。
  なのに何故、京子には獄寺の気持ちがわかってしまうのだろうか。
  獄寺が綱吉のことを好いているということ、友情ではなく、男女の恋愛感情と同じ気持ちでもって綱吉のことを好いていることに、どうやって京子は気づいたのだろうか。
  彼女の目は、昔からどこを見ていたのかは、獄寺も知っている。綱吉だ。綱吉のことを彼女はいつも、見つめていた。だからだろうか、自分と同じように綱吉を見ていた獄寺のことに自然と気づいたのだろうか。
  ああ……と、獄寺は低く呻いた。
  考えれば考えるほど、頭の中がごちゃごちゃとしてくる。
  自分はいったいどうしたらいいのだろうか。
  どうしたら、このごちゃごちゃとした思考から逃れることができるのだろうか。



  一人きりの生活は、慌ただしく最初の一週間が過ぎ、その後はゆっくりと時間が流れていった。気がつくと、獄寺の隠遁生活は一ヶ月にもなろうとしていた。
  いつの間にか一人の時間に慣れていた。
  いや、もともとからして獄寺は一人の時間を好んでいた。綱吉と行動を共にするようになって集団での活動に慣れていったが、本来の獄寺は単独行動が得意だった。だからこんなにも一人の生活がしっくりとくるのだろう。
  しかしフゥ太を侮ってはいけないということを、獄寺はすっかり忘れてしまっていた。
  長期に渡って隠れ家に潜むのであれば、フゥ太こそ注意しなければならない人物だということを獄寺は、すっかり忘れてしまっていたのだ。
  ちょうど一ヶ月を過ぎた頃から、フゥ太からの連絡が執拗に獄寺のところへ入るようになってきた。
  まだもう少し待ってくれ、気持ちの整理をさせてくれと頼んだものの、フゥ太はいい顔をしなかった。
  もう限界だとばかりに、冷たく首を横に振ったのだ。
  あのフゥ太が、だ。
「駄目だよ、ハヤト兄。近いうちにハヤト兄には戻ってきてもらう。嫌だって言うのなら、首に縄をつけてでも連れ戻すから、そのつもりでいて」
  年下のフゥ太がこんなものの言い方をするとは思ってもいなかった。
  苦笑いを浮かべながらも獄寺の言葉に首を縦に振ってくれるものだと……渋々ながらも獄寺の意志を尊重してくれるものだとばかり、思い込んでいた。
  ずっと自分の味方をしてくれているものとばかり思い込んでいた。
  綱吉と獄寺の微妙な関係に気づいていながらもフゥ太は、余計なことはなにひとつ言わなかった。だから今回も、これまでと同じように扱ってくれるだろうと獄寺は思っていたのだ。
  自分の勝手な思いこみだったのだと、獄寺は肩を落とす。
  フゥ太はボンゴレのために動いている。ボンゴレのため、すなわち綱吉のため、だ。獄寺のためではない。
  だから今回のように目に余る行動を──そう、獄寺自身、今回の隠遁生活が周囲に不審をもたらす目に余る行動だと理解していた──看過しておくことはできないのだろう、フゥ太としても。
  もう、逃げられない。
  近いうちに綱吉と顔を合わせて、これから自分がどうするのか、どうしたいのかをはっきりと伝えなければならない。
  フゥ太はいったい、どこまで許してくれるつもりなのだろうか。獄寺の身勝手は、いつまで許されるのだろうか。
  はあぁ、とついた溜息は、重苦しくて、鬱々としている。
  本音を言うなら獄寺だって綱吉に会いたくないわけではないのだ。だが、今はまだ、気持ちの整理がついていない。まだ、綱吉に会う、その時ではない。
  わかってもらえるだろうか?
  綱吉は、獄寺の気持ちを理解してくれるだろうか?
  こんな生活を続けていても、誰も獄寺を捜しに来てはくれない。或いはこれは、自分からさっさと元の生活に戻ってこいということなのだろうか。
  とは言うものの、獄寺自身、自分から皆の前へノコノコと出ていくだけの勇気もない。
  気持ちばかりが焦ってしまって、なにが正しいのか、どうすればよりベターなのか、今の獄寺には冷静に判断するだけの余裕すらなくなってしまっていた。
  ──どうしたらいいんだろうな、俺は。
  カウチの上にゴロンと仰向けになった獄寺は、ぼんやりと天井を見つめる。
  薄暗い灯りのせいで、天井にはなにかの影がぼんやりと浮かんで見える。あまりいい気分はしない。怖いわけではないけれどと、うそぶいてみせても他に誰もいないのだから、どうしようもない。
  もういちどだけ溜息をつくと獄寺は、ゆっくりと目を閉じる。
  綱吉との再会を考えると、体が竦んで怖くて動くことなどできなくなってしまいそうだ。
  本当に、自分はいったいどうしたらいいのだろうか。綱吉の気持ちを知っていて尚、拒むことが自分にはできるのだろうか?
  はあぁ。目を閉じたまま溜息をつくと、カウチの中でごそごそと体の向きをかえる。背中を丸めて親指を唇に押し当てる。
  自分の気持ちがどんどんわからなくなっていく。
  好きなのか、嫌いなのか、恥ずかしいのか、それとも照れ臭いのか、嬉しいのか……ああ、そうだ、嬉しい。綱吉の顔を見て、声を聞いて、触れてもらえるのは嬉しいことだ。
「……十代目」
  小さく呟くと獄寺は、親指の爪をカリ、と小さく噛んだ。やりすぎると爪がボロボロになるのを知っていたら、やわやわと噛み締める。
  まるで子どものような仕草だが、こうしていると獄寺の気持ちは安らいだ。
  綱吉に会いたいと、獄寺は思った。
  無性に、会いたくて会いたくて、仕方がない。
  だけど自分は、体の周囲に張り巡らせた硬い殻を破って外の世界へ出ていくだけの勇気がない。この屋敷からは、一歩も外へ出ていくことができないのだ。
  ひとしきり爪を噛みしめ、気持ちが満足したところで獄寺は今度は爪で唇をそっとなぞった。くすぐったい。なんども爪で唇に触れていると、背筋がゾクゾクとしてくる。
  快感のようでもあり、後ろめたい気持ちのようでもあり、獄寺は戸惑いながらも唇から爪を離すことができないでいる。
  唇に触れることが、とてつもなく恥ずかしいことのように思えてくる。ハッと我に返ると獄寺は、唇から爪を離した。それからまたゆっくりと、今度は指の腹で唇に触れてみる。
  キス、したいのだろうか、自分は。
  綱吉とキスをしたいと、自分は思っているのだろうか?
  唇に触れながら考えてはみるが、本当のところ、獄寺にもどうしたいのかはわからなかった。



(2012.5.11)

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