セカンド・キスでもいいから 12

  ムッとした表情のフゥ太が、目の前に立っている。
  これは、本物だろうか? 本当にフゥ太なのだろうか? 一瞬、頭の中に疑問が沸き上がったものの、見た目はフゥ太以外の何者でもない。やはり、目の前にいるのはフゥ太なのだろう。
  ドアノブからゆっくりと手を離すと、フゥ太がはぁ、とわざとらしく溜息をついた。
「……もうちょっと警戒しないとダメだよ、ハヤト兄。ここ数ヶ月の間に同盟マフィア間の状勢がかわっていたらどうするんだよ」
  ギロリと睨みつけられはしたものの、昔から綱吉や自分の後を慕ってついて回っていたフゥ太の睨みなど、獄寺にしてみればたいしたものでもない。鼻先でフッと笑い飛ばすと獄寺は、身を引いてフゥ太を家の中へと招き入れる。
「まあ、とりあえず上がれよ」
  キョロキョロと玄関先を見回しながら、フゥ太はゆっくりと玄関のドアをくぐる。
「お邪魔します」
  低く呟くと、たたきに靴を揃えて脱ぎ、家の中へ上がり込む。
「なんか……こざっぱりとしてるんだね」
  意外だねと呟くフゥ太に、獄寺は嫌そうに顔をしかめる。
「こっちだ」
  そう言ってリビングへ案内した獄寺は適当に座っておくようにとフゥ太に言い含め、自らはキッチンへと足を向ける。
  正直なところ、フゥ太が来たのが嬉しくもあり、残念でもあった。
  本当は綱吉に迎えに来てほしいと獄寺は思っていた。綱吉を拒むようなことをしたり、かと思うと気を持たせるようなことをしたり……自分はダメな右腕だと思う。それでも、綱吉に会いたかった。
  この隠遁生活から抜け出すためには、綱吉でなければ駄目だったのだ。



  インスタントのコーヒーを二人分、用意する。
  自分が快適に過ごすことができればと思っていたから、フゥ太にはコーヒーカップ、自分にはマグカップを用意するのが精一杯だった。ミルクはない。砂糖も残りわずかだから、まだしばらくここにいるつもりなら、後ででも町へ買い出しに行かなければならないだろう。
「ほら、飲めよ」
  目の前にカップを置いてやると、フゥ太は「ありがとう」と言ってカップに手をかけた。
  れそにしても、と、獄寺は思う。
  どうしてフゥ太がここへ来たのだろうか。
  基本的に、フゥ太がこういったことで動くことはあまりない。縁の下の力持ちにもいろいろなタイプがいて、フゥ太はどちらかというと、司令室で指示を出しながら人知れずあれこれ画策するタイプだとばかり思っていた。動くのは山本やクローム、それに了平あたりだろうと獄寺は思いこんでいたのだ。
「さっき言ったことだけど……ハヤト兄がここにいる間に、冗談じゃなく同盟ファミリーの中から造反者が出てね」
  コーヒーに口をつけたフゥ太が、唐突に喋りだした。あまりいい顔をしていないところを見ると、かなり深刻な話のようだ。確か、隠遁生活を始めて一ヶ月を過ぎたあたりからフゥ太からの連絡が頻繁に入るようになったが、もしかしたらあの頃、ボンゴレファミリーは心底困っていたのかもしれない。獄寺という主要メンバーの一人を欠いた状態で、ファミリーはうまく立ち回ることができたのだろうか?
「今、ツナ兄がそっちのほうの対応に当たっているけれど、正直なところどこもかしこも人手不足でね。どうにも身動きがとれない状態なんだ」
  だから口うるさくフゥ他は、獄寺に戻ってくるようにと言っていたのだ。
  今日、フゥ太がここへ来たのも要は、一刻も早く戻ってくれということなのだろう。
「……そうか」
  今すぐ戻る、とは口に出して言えなかった。
  自分が戻ることでボンゴレが有利になることはわかっていたが、それよりもプライベートを持ち込んでしまいそうで、恐くてならなかったのだ。
「俺は……」
  言いかけて、獄寺は口を閉ざす。戻りたい。今すぐにでも綱吉の側に戻って、ひとつでも彼の重荷となっているものを取り除きたいと思う。しかしその一方で、自分がボンゴレに戻るときは、綱吉との関係になんらかのけじめをつける時だと思っていた。
  恋人としての関係を持ちたいのか、それとも愛人でいいのか。或いは、そのどちらも選ぶことなく、単なるボスと右腕に戻るのか。
  どれを選ぶのか、自分でもまだ迷っている。
  選ぶことなどもしかしたら自分には、できないかもしれない。
  それでも綱吉のそばにいたいと思うのは、いけないことだろうか?
  ただそれだけでいい。そばにいられるのなら、獄寺にとってはそれで充分だ。だけどそれにはまず、自分の身の振り方を決めなければならない。
  もっと時間がほしい。
  自分にとっても綱吉にとっても……ひいてはボンゴレにとってもよりベターな結論を出すための時間が、ほしい。
「まだ、戻れない?」
  どこかしら強張った声で尋ねられ、獄寺は反射的に頷いていた。
「もう少し考えさせてくれ」
  自分の身の振り方を、まだ決めかねている状態だ。
  小さく「悪い」と呟いて、獄寺はフゥ太から顔を逸らした。



  話が終わるとフゥ太は、そそくさと帰っていった。
  自由に綱吉と顔を合わせて言葉を交わすことのできるフゥ太が、獄寺はうらやましくてならない。
  自分もそんなふうに綱吉と接することのできる日が、いつかやってくるだろうか?
  昔、学生の頃にそうだったように、仲のよい友だちとしてでも構わない。綱吉と一緒にいられるのなら、それでも……。
  いまだ隠遁生活から抜け出すことのできない自分が、情けなくてならない。
  いったいいつになったら自分は、綱吉のそばへ戻ることができるのだろうか。綱吉の顔を見ても平常心でいられるだけの勇気を、どうしたら取り戻すことができるのだろうか?
  はあぁ、と溜息をついて獄寺は、煙草を口にくわえる。
  隠遁生活を始めて困ったことと言えば、煙草だ。
  そうそう町へは出られないからとカートン買いをしたものの、あっという間に煙草は減っていった。もう、残り少ない。喫煙本数はこれまでにないほどの数になっている。それもこれも、綱吉との関係に悩み続けてのことだった。
  ──そろそろ本気でどうにかしないとな。
  どうしたらいいのかすら、獄寺にはわからない。
  それでも、自分の態度をかえなければならないということだけは獄寺にもはっきりとわかっていた。
  ふぅ、と紫煙を吐き出すと獄寺は、カウチにゴロリと横になる。
  だらだらと日々を過ごすことにはもうだいぶん以前から飽きてきている。いったいいつになったら自分は、身の振り方を決めるのだ。
  このままではダラダラと無為に日々を過ごしていくだけにしかならないではないか。
  天井を見上げると、窓際の光が反射して影を作り出していた。優しい色合いの影だ。獄寺は口元を緩めて影に見入る。
  ゆらゆらと蠢く淡い色の影が、さっと消えたと思うとまた新たな影を作り出し、天井を彩る。こんなに綺麗な影もあるのだと、獄寺はここへ来て初めて気がついた。
  優しくて、穏やかで、静かで。
  獄寺の求めているものが、この影の中にすべて凝縮されているような感じがする。
  どうしたらいいだろう、自分は。
  どうしたら、安穏としたこの生活から抜け出して、綱吉の元へ戻ることができるだろうか?
  気持ちの切り替えができていないだけだと言われればそれまでだが、そんな問題ではないことは、獄寺自身がいちばんよく理解している。そうではなくて、もっと根本の問題──獄寺自身の、プライベートに関わることなのだから。
「……十代目」
  綱吉は、どんな獄寺でも受け入れてくれるだろうか?
  獄寺がどの立場を選んだとしても、綱吉はその気持ちを尊重してくれるだろうか?
  自分は、どうしたいのだろうか。綱吉は許してくれるだろうか。獄寺の決意を、そして気持ちを、優先してくれるだろうか?
  無性に綱吉に会いたいというのに、獄寺は本人を目の前にすることが恐くてならない。
  まるで、綱吉に会いたい自分と、会いたくない自分と、二人の自分がいるかのようだ。
  どちらの自分も本心を語っている。そしてどちらの自分も、真剣だ。
  綱吉と再会した時のことを考えると、それだけで獄寺の心臓はドキドキと早鐘を打ち始める。
  好きなのだ。
  どんな関係になろうときっと自分は、綱吉のことを好きでい続けるだろう。
「会いたいっス、十代目……」
  ポソリと呟いた獄寺の目に、キラリと光るものが見えた。



(2012.5.17)

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