セカンド・キスでもいいから 16

  はあぁ、と深い溜息が出た。
  今回ばかりは、獄寺もどうすればいいのかわからない。頭の中が真っ白で、すぐには働いてくれそうにない。
  ただただ、後悔の念が押し寄せるばかりだ。
  右腕が、ボスの側を離れてしまったら意味がない。
  それだけではない。
  自分は守護者として、綱吉の側にいなければならなかったのではないか? 自分の感情に振り回されて、綱吉の側を離れるべきではなかったのだ。
  そもそも、綱吉の感情と自分の感情は別ものだ。
  二人の、相手に対する気持ちがどうだろうと、そんなことは関係ない。
  守護者として右腕として、ボスに仕えるべきだったのだ。誠実でありさえすれば、それでよかったのだ。そんなこともできない自分には、右腕の資格も、守護者の資格も、荷が勝ちすぎているのではないだろうか。
  執務室のソファに座り込んだ獄寺は、頭を抱え、溜息をつくばかりだ。
「──本当にごめん、ハヤト兄」
  探るように、小さな声でフゥ太が声をかけてくる。
「……気にするな、フゥ太」
  不可抗力だったのだから、仕方がないだろう。そう言ってやろうとしたが、やめた。自分が言えた義理ではないことはよくわかっている。
  その時、その場にいなかった自分がいくら慰めの言葉をかけたところで、気休めにしかならない。それどころか、自分に対する言い訳のように思えて、余計に気分が沈んでくる。
  まったく、自分の浅はかさが腹立たしくてならない。
  自分の気持ちを押し殺してでも、綱吉のそばにいればよかったのだと獄寺は唇を噛みしめる。
  がりがりと頭を掻きむしり、顔を上げた獄寺はおもむろに立ち上がった。
「とりあえず、着替えてくる。三十分したら戻ってくるから、もうちょっとマシな話を聞かせてくれ」
  つい先ほど屋敷へ戻ってきたばかりの獄寺は、いつもと比べると幾分かラフな格好をしている。まずは着替えて、現在の状況を確かめて、泣き言はそれからだ。
  やれることを何一つしていないのに、グダグダしていても仕方がないだろう。
  獄寺は足音も荒く、執務室を後にした。



  いったん自室に戻り、シャワーを浴びた獄寺は、カッチリとスーツを着込み、執務室へと向かう。通常の勤務時間よりもだいぶん早い時間だったが、ボンゴレの一大事となれば話は別だ。
  それよりも、無性に煙草が吸いたかった。
  気持ちを落ち着けて、熟考するためには必要不可欠だと獄寺は眉間に皺を寄せる。
  フゥ太は、煙草の煙を嫌がるだろうか?
  たとえ嫌だと言われても、獄寺は煙草を吸う気でいた。
  考えなければ。
  そして、動かなければ。
  綱吉の期待に応えるために、限界を超えたとしても、自分はやらなければならない。
  乱暴にドアを開けると、執務室の中央の応接セットに、朝食が運び込まれていた。
「あ、ハヤト兄。早かったね」
  朝食がまだだろうからと、フゥ太はテーブルを示した。
  手づかみで食べられるサンドイッチに、フルーツの盛り合わせ、コーヒーといった軽めのメニューだ。これなら食欲がなくてもなんとか口にできそうだったが、それにしてもこれから、という時にあまりにもあっさりとした朝食でいささか拍子抜けした獄寺だ。もっとも、獄寺自身の食欲はあまりなく、実際、このぐらいしか食べられそうになかった。
  目の前に並ぶ朝食には何も言わず、部屋から持ってきた自身のノートパソコンをテーブルに置き、起動させる。
  向かいのソファーに腰を下ろしたフゥ太は、執務室のノートパソコンからデータを吸い上げているところだった。個人持ちの獄寺のノートパソコンへ、データを移してくれるというのだ。
「今のうちに、何か食べといたほうがいいよ、ハヤト兄」
  言われなくてもわかっている。だが、言われなければ口にする気にもならないから不思議だ。それだけ、食に対して無頓着なのか、それとも興味がないのか、いったいどちらだろうか。
  獄寺がサンドイッチを頬張っている間に、フゥ太は手早くUSB メモリに吸い出したデータを獄寺のノートパソコンへと落とし込む。執務室のデータは室外への持ち出し厳禁とされているから、仕方がない。会議室を使うことができればよかったのだが、そうはしないところを見ると、どうやら極秘裏にことを進める必要があるらしい。
  今回のことを知っている人間は、いったい何人いるのだろう。
  ちらりとフゥ太の顔を見る。フゥ太は獄寺や綱吉よりも年下だが、最近では歳の差を感じさせないほど優秀なボンゴレの一員に成長していた。ランボの教育係としてボンゴレの屋敷に移ったフゥ太だったが、もともと綱吉をはじめとする守護者たちとの面識もあり、幼い頃から一緒に行動を共にしていたこともあって、重要会議に顔を出すことも多々あった。どうかすると綱吉の秘書的な仕事までこなしていることがあるから、綱吉自身もフゥ太には随分と信頼を置いているのだろう。
  サンドイッチを持つ手を止め、じっとフゥ太の手元を見つめていると、「どうかした?」と逆に尋ねられた。
「今回のことを知っているのは、誰と誰だ?」
  おそらく少数の者しか知らされていないことなのだろう。
  かつて、未来の世界で自分が味わわされたように、今回、綱吉の一存で蚊帳の外に放り出され、疎外感を感じることになるだろう者は、いったい誰だろう。
「僕とハヤト兄、それからビアンキ姉、京子姉……あと、もしかしたらハル姉が知っているかもしれない。他は……草壁さんと、雲雀さん」
  フゥ太が告げるのに、獄寺は頷いた。
  妥当なところだろうと思われる。他に知っている者がいるとすれば、京子の親友の黒川花、それから京子の兄の了平が気づいてそうなくらいだろうか。
「どのあたりまで知っている?」
  おそらく草壁と雲雀はほぼ全容を掴んでいるはずだ。ビアンキと、それから当事者である京子ももちろんだ。了平はともかく、黒川花はわからない。彼女はなかなかに聡いところがあるから、もしかしたらある程度のことは推測しているかもしれない。
「十代目の不在についてはどうなっている?」
  まだ、綱吉の不在については隠したままなのか、それとも……。



  獄寺のノートパソコンの向きを変えるとフゥ太は、はあ、と息を吐き出した。
「ツナ兄の不在については、表向きには過労で倒れた、ってことにしてあるよ。草壁さんが一策を講じてくれたおかげで、雲雀さんの別荘で静養中だって一部の幹部たちには言ってある」
  それがいいことなのか、悪いことなのか、獄寺には判断がつかない。情報を最小限の人間に与えることで、過度の混乱は避けられるはずた。だが、長くは続けられない。できることなら数日のうち、長くても一週間以内には片をつけなければならないだろう。でなければ、綱吉の不在がボンゴレ内だけでなく、外部へも漏れてしまう可能性が出てくる。
  つけ入られる隙を作るのは、今の状態ではあまり好ましくない。
「他の連中には……」
  言いかけて、獄寺は言い直そうとした。どう言えばフゥ太にわかってもらえるだろうか。不本意ではあるが、仲間の力を借りなければ、綱吉奪還は難しいかもしれない。
「全員には言ってないよ。ハヤト兄が必要だと思う人には、声をかけてほしいんだ。だけど基本的には、あまり言いたくはないのが本音かな。知っている人間が増えれば、それだけ外部にも話が洩れやすくなるから」
  たった今、獄寺が考えていたことと似たようなことをフゥ太が告げる。
  と、なると、獄寺一人で動いたほうがいいのかもしれない。他の守護者には、状況に応じて後方支援に回ってもらえぱいいだろう。
「それで、ファンゴーファミリーのアジトはわかっているのか?」
  食べ終えたサンドイッチとフルーツの皿は端に寄せ、かわりにキャビネットの中から取り出した灰皿をどん、と目の前に置く。
「ハヤト兄、それ、来客用」
  渋い顔をしてフゥ太が言うのに、獄寺は文句あるかとばかりに凄んで見せる。
  結局、灰皿のことは不問にすることにしたのか、フゥ太はそれ以上は余計なことは言わず、手元のノートパソコンの画面を何度か切り替え、ファンゴーファミリーの情報を引き出していく。
  獄寺はフゥ太の隣に座ると、じっとパソコンの画面を凝視した。
「必要な情報はハヤト兄のパソコンに入ってるから、後で確認しておいてくれるかな。アジトは……ことあるごとに京子姉に近づこうとしていたみたいだから、あちこちに点在しているんだ」
  言われるままにパソコンの画面を覗くと、ファンゴーファミリーについての情報が出てきた。本拠地は、イタリアだ。兄弟は十五歳と十三歳の時に小さな町の不良グループから始めて、少しずつのし上がっていく。地元で少しは知られたマフィアの運び屋を経て下っ端の構成員になり、組織内の他の構成員たちを出し抜き、五年と経たないうちに兄は小さな支部の支部長になった。弟は特攻隊長だ。兄弟は瞬く間に力をつけ、地元でも知らない者はいないほどの有名人に上り詰めていく。穏やかな熊のように温厚な兄と、腹をすかせた凶暴な熊のような弟は、いつしかファンゴー兄弟として知られるようになった。それだけ大柄でがっしりとした体格で、一度暴れると手がつけられないという噂だ。
  そこまでレポートを読むと獄寺ははあぁ、と息を吐き出し、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出す。
  フゥ太は見て見ぬふりを押し通すことにしたらしい。ちらりと獄寺の手元に視線を向けただけで、余計なことは何も言わない。
  悠々と、見せつけるように獄寺は煙草を一本、トン、トン、とケースの端を叩いて引き出すと口にくわえ、ライターの火を近づける。
「十代目は、どこに?」
  フィルターに軽く歯を立てからゆっくりと息を吸い込むと、肺の中が満たされていくような感じがする。逆なでする神経を押さえつけてくれる、白い、煙。ほんのりと苦くて、ほんのりと甘い香りのする……。
「ツナ兄はたぶん、ここに──」
  そう言ってフゥ太は、画面上の一カ所を指でトン、と押さえる。
「すぐ近くだな」
  アジトは京子の家に近いところに五箇所、少し離れたところに七箇所、そしてかなり離れたところに十四箇所とある。まるで京子の家を中心に蜘蛛の巣を張り巡らしたような様子に、獄寺は顔をしかめた。こんなことになっていたのなら、どうしてもっと早い時期に対策を講じておかなかったのだとスパスパと煙草をふかす。
  事実を知らなかったことに、自分の能力の限界を思い知らされたような感じがする。できることなら教えてほしかった。自分に「好き」だと告げるくらいなら、京子とのことをもっとちゃんと話しておいてほしかったと思うのは、獄寺の我が儘だろうか?
「近いけれど」
  と、フゥ太はどこかしら不満げに呟く。
  姉のビアンキから電話があった前日に、京子はファンゴー兄弟に連れ去られていた。京子の家から少し離れた、廃屋となった空きビルに連れ込まれたのだ。あわやのところで綱吉が駆けつけたものの、京子を人質にとられた状態で満足に戦えるはずもなく、不本意ながらファンゴー兄弟と取引をしなければならなくなってしまった。それが、いわゆる人質交換だということに気づいたのは、綱吉自身が京子と引き替えにファンゴー兄弟の元に囚われた後のことだった。
  綱吉がファンゴー兄弟の元にいる限り、京子の身の安全は保証されている。だから綱吉は、ファンゴー兄弟の元から逃げ出すことができないのだとフゥ太は言う。
  だったらこれから自分が十代目を助け出しに行くまでだと、獄寺はきりりと唇を真一文字に引き結ぶ。
「サポートしてもらうなら、誰がいい? 武兄に頼もうか? それとも、ランボに声をかけようか」
  フゥ太の言葉に獄寺は、はあ、と溜息を吐き出す。
  できることならば一人で綱吉を助け出したいと思う。だが、それが一人では無理だということは、獄寺自身、はっきりと理解している。
「……誰でも」
  ふい、と顔を背けた獄寺は、どこか投げやりに呟いた。
「お前が選んでくれ。任せる」



(2012.6.30)

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