セカンド・キスでもいいから 11

  隠れ家での生活はひっそりとした時間の中で一日、一日と日が過ぎていく。
  時間の流れはゆっくりとしており、喧噪のない生活は初めのうちこそ慣れなかったが、あっという間に獄寺は順応した。
  山奥の小さな家だ。車の行き交う大きな道から少し外れたところにある小道の向こうに、隠れ家はある。人目にはつかないし、田舎だからあまり人が迷い込んでくることもない。日用品などを揃えるために町へ出ようとすると確実に車が必要になったが、先に必要なものを運び込んでいたおかげでほとんど困ることはなかった。しばらくここに潜んでいれば自分の気持ちも落ち着くだろうと思っていたのだが、残念ながらそうはいかなかった。
  悪くはなかったが、よくもない。
  獄寺の置かれた現状は、これっぽっちも改善されていないのだから。
  無駄に考える時間が多すぎて、逆に心がささくれてきそうな感じもする。
  これは近いうちになんとかしなければと獄寺が思ったのは、フゥ太に釘を刺された日の翌日のことだ。
  さすがにこのままではいけないと思ったものの、あまりにも長期間に渡って意地を張っていたからだろうか、どうしたらいいのかがわからない。
  会いたいのか、会いたくないのか。キスしたいのか、したくないのか。
  そもそも綱吉とそういった関係になりたいのだろうか、自分は。綱吉のことを好きには違いないが、今は、恋人として扱われたいと思っているわけではない。もちろん、そんな関係になりたいと思ったことはあるが、京子の後釜として見られたいとは思わなかったし、それはそれでどこか不本意でもある。自分と綱吉の関係は今のところ、恋愛関係の一歩手前、かつボンゴレファミリーのボスと右腕でしかない。それ以上の関係なんてありえないことだし、獄寺には考えられない。それでも、好きなことにかわりはない。昔からの秘めた想いをいつかどこかで、不意に口に出してしまうこともあるかもしれない。そんな危うい均衡の上に自分は立っている。京子のことがなければ或いは獄寺は、綱吉といわゆる恋人同士の関係になっていたかもしれない。
  そんなことを考えだしたら、獄寺の頭の中はごちゃごちゃになってしまった。言葉の断片が頭の中で渦を巻いているみたいな感じがする。
  途方に暮れてまた、同じ日々を繰り返している。
  いっそのこと、フゥ太がここを見つけ出し、獄寺を連れ戻しに来ればいいのだ。
  そうすれば自分は、また元の生活へと戻っていくことができるだろう。
  もしかしたら、綱吉とも自然に会話を交わすことができるようになっているかもしれない。
  はあぁ、と溜息をついて獄寺は、天井を眺める。
  毎日、毎日、カウチに寝そべっては天井の影を眺めていた。ライターの火にゆらゆらと揺れることもあれば、窓からさしこむ陽の光が反射することもあった。光と影が不思議な模様を作り出し、素早く、そして緩慢に揺れる様を眺めるのは楽しかった。
  だけどそろそろ、この生活ともお別れをしなければならないだろう。
  自分の居場所はここではない。綱吉のそばにいてこその右腕、嵐の守護者だ。
  帰らなければならない。
  元の生活に戻り、綱吉との関係に決着をつけなければ自分は、いつまで経ってもここから出て行くことができない。そのうち根が生えて、ここに居座ってしまうかもしれない。
  そうはなりたくはなかった。
  いくらここが居心地がよくても、やはり獄寺のいるべき場所ではない。
  帰らなければと獄寺は思う。
  だけどそのための術を、獄寺は知らない。
  唇に指で触れると、口寂しいような気がした。
  カウチの肘掛に乗せたままになっていた煙草を取り上げると、口にくわえる。
  火をつけないのは、このカウチが気に入っているからだ。
「十代目……」
  呟いて、またぼんやりと天井を見上げる。
  今、綱吉がここへ獄寺を迎えに来たなら、自分は深く考えることもせずに元の生活に戻ってしまうだろう。
  自分中心のように見えてその実、綱吉中心の生活。
  好きな相手のそばで働くのは、幸せでならない。
  それになによりも、忙しく立ち働いていると、綱吉のことであれこれと悩まずにすむ。
  この隠遁生活もなかなかのものだったが、いつまでも安心感の上に胡坐をかいてばかりもいられないということだ。
  見上げた天井には、光と影がゆらゆらと揺らめいていた。
  踊るように、跳ねるように、光と影が絡み合い、混ざり合っていく。
  くわえた煙草の香りが、フィルター越しに微かに口の中に感じられる。
  のんびりとした時間の流れはまさに、隠遁生活にふさわしいものだった。



  安寧の日々が破られ、騒々しくなったのは印遁生活も三ヶ月を過ぎた頃のことだ。
  心のどこかで獄寺は、これを望んでいたのかもしれない。
  ある朝、獄寺の潜んでいた家のドアを叩く音で起こされた。インターホンはもちろんうるさいぐらいに鳴らされて、おまけにドアを叩く音があたりに響いている。
  近くに民家がなかったのが幸いだ。
  ほぅ、と溜息をつくと獄寺はカウチからのろのろと起きあがった。
  前の晩、あれこれ考えながらカウチで眠ってしまったらしい。妙な格好で眠ったものだから、体のあちこちがこわばって痛んだ。
  リビングのドアをくぐると獄寺は、伸びをする。軋む体から、ポキポキと骨の鳴る音が聞こえてくる。
  頭をカリカリと掻くと、洗面所で顔を洗い、髪を無造作に手櫛で整える。いくら隠遁中だとは言え、みっともない姿は見せたくなかった。
  どうにか玄関へたどり着くと、ドアを叩く合間に声をかけていたのがわかる。
「ハヤト兄、いるんだろ?」
  その声に、獄寺は珍しいなと思った。
  フゥ太が苛ついている。ドアを乱暴に叩きながら、ここを開けるように、早く顔を出してくれと合間に叫んでいる。
「フゥ太か?」
  声をかると、すぐにドアを叩く音はやんだ。
「……ハヤト兄?」
  ドアのこちら側の様子を伺うようなフゥ太の声色に、獄寺は微かに口元を緩ませる。
  久しぶりに聞く仲間の声だ。緊張していた肩の力が抜けるような感じがする。
「ああ、俺だ」
  とうとう、見つけられてしまった。悲しいような、ホッとするような感情が、獄寺の中にこみあげてきた。
  見つかったことを自分は、密かに喜んでいる。これでもう、自分は逃げなくてもすむ。そう思うと気持ちが緩んで、何故だか心が軽くなっていく。
  これで帰れる。元の居場所に戻ることができるのだと、獄寺は安堵の溜息をつく。
  しかし綱吉ではなくフゥ太が来たことを寂しく思っている自分もいた。綱吉が迎えに来てくれたなら自分は、すぐにでもこのドアを開け、部屋へと招き入れているだろう。それに、獄寺が隠遁生活を始めた原因は綱吉にある。それを踏まえた上でフゥ太は、ここへやって来たのだろうか? それとも、綱吉自身になにかあったのだろうか?
  それとも……獄寺のことは、単なる右腕、単なる守護者としてしか見られないということだろうか?
  考えてみれば、綱吉らしくないし、フゥ太らしくもない。
  妙だなと口の中で呟くと、獄寺はじっとドアを見つめる。ドアの向こうの気配は一人分のように思われた。間違いなくフゥ太の気配……だろうか? 隠遁生活のおかげで、すっかり獄寺の勘も鈍くなってしまったようだ。気配を読み取ることができないのは、相手がドアの向こうにいるからだろうか? それとも獄寺自身の感覚が、ここ数ヶ月のだらけきった生活のせいで鈍ってしまったせいだろうか。
「早く……ハヤト兄、早く開けてって!」
  聞こえてくる声に、獄寺は眉間に皺を寄せる。
  ドアの向こうにいるのがフゥ太なのか、それともフゥ太を騙る誰か別の人物なのか、どうにもわからない。わからないが、獄寺の中の警戒心が、注意しろと告げている。
  本当に、フゥ太なのだろうか?
  それとも……?
  こめかみがずきずきと痛みだす。疼くような痛みに獄寺は、眉間の皺をいっそう深くする。
  ドアのノブに手をかけ……獄寺は、一気にドアを開けた。
  ドアの向こうにいたのは、確かにフゥ太だった。



(2012.5.13)

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