セカンド・キスでもいいから 19

  綱吉の背中を追って、獄寺は走った。
  手はしっかりと繋がれたままだ。
「どうして来たりしたんだよ、獄寺君」
  振り返り、綱吉が尋ねる。少し息が切れている。
「あなたが人質になったりするからです!」
  思わず獄寺は言い返していた。
  綱吉がファンゴー兄弟に囚われたりするから、自分はここまで来たのだ。綱吉が勝手な行動を起こしたりしなければ、自分はまだ隠れ家にひっそりと引き籠もっていたのにと獄寺は思う。
「それは……まあ、オレが悪いんだけど……」
  歯にものが挟まったような感じで綱吉はごにょごにょと言葉を濁す。
「言い訳なら後で聞かせてください」
  今はそれどころではない。目の前の通路の向こうから飛び出してきたのは、ファンゴーの手下だ。十代半ばぐらいの少年が混じっているかと思えば、明らかに獄寺よりも年上かと思われるようないかつい面立ちの男もいる。いやしかし、草壁だってあの顔で……と思いながらも獄寺は、微かに首を横に振ると、目の前の敵に意識を集中させる。
  綱吉と共に戦うのは、胸がドキドキする。気持ちが高揚して、目の前の敵のことしか見えなくなる。視界はクリアで周囲の景色もちゃんと見えているのに、敵の動きに意識が集中してしまうのだ。
  不謹慎かもしれないが、この感覚が獄寺は昔から好きだった。
「正面の奴らを頼む」
  鋭い声で綱吉が告げる。
「わかりました」
  獄寺が返した直後に、自分たちのすぐ左手の角から新たな敵が飛び出してくる。視界の端で、ハイパー化した綱吉が拳を叩き込む姿がちらちらと動いている。やはりいつ見ても惚れ惚れする。あのストイックな横顔が、獄寺の恋心を揺さぶるのだ。
  防弾チョッキのポケットに忍ばせたダイナマイトをを素早く掴み取った獄寺は、逃げ道を作るために前方の敵へと投げつける。ボン、と小気味よい音と硝煙のにおいがあたりに広がる。
  下の階では山本が戦っている。獄寺が、綱吉を連れて下りていくのを待っているはずだ。
「十代目! 前方通路、確保できました!」
  声をかける頃には綱吉のほうも片がついていた。
  まだまだ喋りたいことは山のようにあったが、それは後でもできることだ。
  ぎり、と唇の端を噛み締めると獄寺は、綱吉と二人して通路を駆け出した。
  もちろん、背後で倒れ呻き声を上げている連中に、卵の置き土産を残していくのも忘れはしなかった。



  階段を下りると、さらに下の階からざわめきが聞こえてくる。
  山本がいる。戦っている。
「もうすぐっスよ、十代目!」
  声をかけたところでしかし、またしても新手の敵が階段の下から現れる。
  すかさず獄寺は、ダイナマイトを敵へと投げつけた。
  時間差で爆発する小型のダイナマイトを目眩ましの代わりにし、その隙に別の階段へと向かう。
「あまりいい状況じゃなさそうだね」
  通路を走りながら、困ったように綱吉が呟いた。
「不利な形勢だということは承知の上です」
  しれっとした表情で獄寺は返した。
  ファンゴー兄弟に綱吉が囚われた時から、ボンゴレにとって形成は不利だということはわかっていた。わかった上で綱吉を助けに来たのだから、当たり前のことを今さら言われてもといった感じがする。
「馬鹿っ! だったらオレを助けに来ることなんてなかったんだ!」
  それよりも他にすることがあるだろうと綱吉に言われて、獄寺はムッとした。
  どうしてそんなことを言われなければならないのだ。気を持たせるように言葉巧みに自分の気持ちを乱しておいてこの男は、どうしてこんなふうに突き放すようなことをするのだろう。
「なっ……俺は……っ!」
  言いかけたところで、不意に背後でパン、と鋭い音がした。
  背中に突き刺さるような痛みが走り、獄寺の体がどう、と前のめりに倒れる。撃たれたと気づくと同時に体が大きく傾いでいた。防弾チョッキを身につけていてすらこれだ。危なかったと獄寺は冷静に頭の中で考える。
「獄寺君!」
  綱吉の声が鮮明に、獄寺の耳の中に響いたような気がする。
「じゅ……っ……」
  声が、思うように出ない。
  背中が痛い。息苦しい。いや、撃たれた衝撃で息ができないのだ。息を吸って、吐いて、背中の痛みと胸部に抜けるような痛みと、それから……それから、防弾チョッキのポケットに残った卵の感触と。
「に……げて、ください、十代目」
  手を動かすのも苦しかった。のろのろと卵を取り出すと、背後に迫る敵へと向けて卵を転がす。直後にパン、と乾いた音がして、転がした卵が銃弾に撃ち抜かれたことを獄寺は知る。
「息…しないで……十代目。ガスが……」
  本来なら緩やかに噴霧される催眠ガスが、銃で撃ち抜かれたことで一気にあたりに拡散する。ガスを吸ってしまえば、獄寺も綱吉も眠ってしまうことになる。いくら階下で山本が頑張っているからと言って、それは避けなければならないことだった。
「俺に構わず、逃、げ……」
  パン、パン、と新たな銃弾の音が響く。
「駄目だ。オレと一緒に逃げるんだ」
  綱吉の腕が獄寺の腕を掴む。引きずられるようにして立ち上がらされた。背中の痛みを堪えながら前屈みになって一歩、二歩と歩きかけたものの、そのままフラフラと体勢を崩し、床に膝をついてしまう。
  足手まといでしかない自分を置いて行ってくれれば、綱吉だけでも助かる。元々、自分は綱吉を助け出しに来たのだから、置いて行かれたとしても構わない。仮に本当に置いて行かれたとしても、その時には自分のペースで綱吉の後を追うつもりだった。
「先に……行ってください、十代目」
  声が震えているなと獄寺は思う。どうしてこんな時に声が震えるのだろう。
  見上げると、困ったような綱吉の瞳と目が合った。
「君を置いては行けないよ、獄寺君」



  催眠ガスの効果だろうか、背後から響く銃声がパタリと止んだ。と、思うと同時に、こちらへと向かっていたファンゴーの手下たちが次々に床へと倒れ込んでいく。本来ならゆっくりと体内に回るはずの催眠ガスが、銃弾により衝撃を受けたことであたりに勢いよく噴出し、その場に居合わせた者たちの体の中に一気に回ったのだろう。
  それでもその向こうにはまだ、敵の気配がしている。
  卵はあといくつか残っていたが、これ以上、この場に投擲するのは躊躇われた。
  できるだけ銃火器は使わないようにというフゥ太との約束が辛い。周辺地域への影響を考えると、そうせざるを得ないのだから仕方がない。そこのところは獄寺もよくわかっているから文句を言う気はなかったが、あまりにもこちらが不利な気がしてならない。
  通路の曲がり角の向こうでファンゴーの手下たちの声があがった。まだ戦わなければならないのだろうか。うんざりと顔を上げると、通路の角から飛び出してきた男がヨロヨロと床の上に倒れ込んでいくのが目に入った。
「あ……」
  助かった。
  通路の向こう、床に倒れ込んだファンゴーの手下の奥に見えた影が、ボンゴレの守護者のものだということに獄寺は気づいた。どうやらフゥ太が、援軍を投入しておいてくれたらしい。
  急激に催眠ガスを噴出した反動でか、壊れた卵がクルクルと床の上で回転を続けている。
  ホッとした獄寺は、腕を掴んだままの綱吉の手に、自分の手をかける。
「も、離し……」
  言いかけたが、逆に強く手を掴まれてしまった。
「一人で残ろうとしただろう、獄寺君」
  責めるように綱吉が言った。そのまま身を屈めると、獄寺の脇の下へと手を回し、そっと体を支えるようにして立ち上がらせる。獄寺はふらつく体を叱咤して、どうにか立ち上がった。
「残ろうとしたわけでは……」
「嘘つき」
  低い声でボソリと言われると、それだけで堪えてしまう。
  決して、綱吉一人を逃がそうとしたわけではない。自分も一緒に助かることを考えた上での判断だった。大丈夫だと獄寺は思っていたのだ。もっとも、援軍のことはたった今獄寺も気づいたところだ。だが、獄寺が援軍のことをいつ知ったのか、綱吉が知るはずもない。
「嘘じゃないっスよ、十代目」
  まだ、背中が痛む。それと、胸の方へと抜けるような痛みだ。時折、喉がヒュッと鳴るのはあまりいい感じがしない。
「じゃあ……」
  言いかけた綱吉の背後に、足音が迫ってくる。
  微かな、軽やかな足音にさすがの綱吉も言葉を切り、背後を振り返るしかない。
「遅くなってごめんなさい、ボス」
  三叉鉾を手にしたクロームが、二人の背後に立っていた。
  彼女はいったいどこからこの建物に侵入したのだろう。このタイミングで姿を現してくれたことは獄寺にとって幸いだった。綱吉の意識が逸れてくれるのがありがたい。
「クローム……」
「向こうにいた敵は全員倒しました。下で雨の人が待ってるから、急いだほうがいいと思う」
  山本一人が階下で戦っている。綱吉を待っている。
「うん。そうだね、クローム」
  頷いた綱吉は、獄寺に肩を貸し、黙って体を支えてくる。
「あの……俺は足手まといになると思うんで……」
  痛みはまだ、続いている。背中に受けた衝撃が、これほどのダメージを残すとは思いもしなかった。運悪く着弾してしまったものの、弾が獄寺を傷つけることはなかった。防弾チョッキを着ていなかったら、どうなっていたことやら。とは言え、痛みまでは抑えくれることはなかったことは残念でならないが。
  恐る恐る綱吉の顔を覗き込むと、ギロリと睨みつけられた。無言でこんなふうに睨まれるほうが、怒鳴られるよりももっと怖い気がする。日頃の穏やかな雰囲気とはまた違った横顔に、こんな時だと言うのに獄寺はドキリとする。ともすれば、自分が怒られているということを忘れてしまいそうだ。
  獄寺は、クロームと綱吉に両側から引きずられるようにして階下へとおりていった。



(2012.9.11)

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