セカンド・キスでもいいから 20

  階段をおりきると、一階だった。
  上の階から獄寺たちがおりてくることは既にわかっていたのか、ファンゴーの手下たちが待機していた。クロームの力のおかげで、時折飛んでくる銃弾はなんの役にも立っていない。こちらの様子をうかがいながら、ファンゴーの手下たちはじりじりと後退し始めている。銃弾が効かないことに気づいたようだ。
「この分だと、山本のほうは手こずってるかもしれませんね」
  いざという時に頼りにならない右腕で申し訳ありませんと獄寺が呟くと、「馬鹿」と綱吉に返された。
  怒っている。さっきから綱吉は、獄寺に対して怒っている。自分の言動が原因だということはわかっていたが、綱吉だってちゃんと自分のことを理解してくれていないではないかと獄寺は、少しだけムッとする。
  自分は決して、綱吉を困らそうとしてあの場に残ると言ったのではないのに。
「ボス……」
  獄寺の腕を掴んでいたクロームが不意に口を開いた。
「雨の人のところまで道を開くから、ついてきて」
  通路の向こうから微かに聞こえてくるのは、怒声と銃声と……それらに混じって時折、甲高い金属音が聞こえてきている。山本は善戦しているのだろうか。向こうにも援軍が来てくれているなら安心なのだがと、獄寺は思う。おそらくフゥ太のことだから、そのあたりのことは抜かりなく手筈を整えているだろうが。
「いや。オレが行く」
  獄寺の体を支えていた綱吉の手が、そっと離れていく。
  支えを失った体が寂しい。今まで密着していた綱吉の体温がなくなった途端に、獄寺の体に寒気がじわじわと這い上がってくるような感じがする。
「でも……」
  クロームが心配そうに綱吉を見遣る。十年も一緒にいれば、少しは表情も読めるようになる。今のクロームが心配しているのは、綱吉と獄寺の間にある小さな溝についてだ。ファンゴーとの戦いにおいて、彼女がなんら心配をしていなかったことは、既にフゥ太から聞かされている。今回の潜入についても、話が出た時点での彼女は乗り気だった。逆にフゥ太の采配で彼女ではなく山本が獄寺と行動を共にすることになったと聞いて、肩を落としていたほどだ。
「クロームは、獄寺君と一緒に後から来てくれ」
  自分が先に立つことで、少しでも獄寺が安全にこのビルから出られるようにしたいと綱吉は告げた。心配されるのは面映ゆいような感じがする。もともと獄寺は、綱吉を助けにきたのだ。それが何故、こんなふうに逆の立場に立っているのかが不思議でならない。
「あの……大丈夫?」
  女のクロームにまで心配されて、いったい自分はなにをしているのだ。
  ムッとして獄寺は、眉間に皺を寄せた。
「行ってくれ。俺は後からついていくから、十代目と一緒に先に……」
  言いかけたところでボン、と低い音がして、地響きが感じられた。なにかが爆発したような音だ。
「十代目!」
  先に行きかけていた綱吉が立ち止まって、こちらを振り返っている。
「先に行く!」
  ハイパー化した綱吉はそう告げると、素早い動きで通路の向こうへと駆け出していた。
  綱吉の進む通路の先から、白煙が漂ってきている。空気の流れが速いのか、あっという間に獄寺たちのいるところまでもが煙で真っ白になってしまう。
「なんだ、この煙は……」
  鼻につんとくるような硝煙のにおいがしているが、それにしても、煙の量が多いのはどうしてだろう。目眩まし用だろうか?
  ふと、山本は大丈夫だろうかと獄寺は思った。クロームのほうを見ると、彼女は綱吉の後を追いたそうにしてうずうずしている。
「先に行けよ」
  こんな時に自分が足手まといになるのはご免だと獄寺は思った。
  顎先でくい、と通路の向こうを示すと、クロームは「ううん」と首を横に振った。
「二人とも無事に連れ戻すことを、京子ちゃんと約束したから」
  二人とも、とクロームは言った。綱吉と……それから、自分のことだ。京子なりに二人のことを気にかけてくれているということを、クロームを通じて伝えようとしているのだろうか?
  背中から胸へと抜ける痛みは、少しずつではあったが和らいできている。
  もうそろそろ、動けるのではないだろうか。
「……そうだな」
  呟いて獄寺は、まだ白煙に包まれている通路の向こうを睨みつけた。



  全力疾走とまではいかないが、獄寺はクロームと二人で通路を駆け抜けた。
  白煙の漂う通路のそこここに、ファンゴーの手下たちが倒れている。気を失っている者もいれば、呻き声をあげながらうずくまっている者もいる。ここまでダメージを受けていれば反撃の心配もないだろうが、念には念を入れて、だ。獄寺は駆け抜けざまに卵を投擲した。白煙に紛れて睡眠ガスが噴霧され、別の通路に飛び込む頃には背後の呻き声はほとんど聞こえなくなっていた。
  いくつかの曲がり角を曲がり、鉢合わせたファンゴーの手下たちを倒した。あたりに白煙が立ちこめ、視界はあまりよい状態とは言えなかった。通路の先に大きなホールがあり、開け放たれたドアの向こうから山本の声が聞こえている。綱吉の声もだ。ホッとして獄寺が立ち止まると、クロームが心配そうにちらりとこちらへ視線を向けた。
「先に行ってくれ」
  戦いの場に飛び込むのは、呼吸を整えてからだ。
  クロームを先に行かせると獄寺は、ふぅ、と息を吐いた。
  ここへきて足手まといにはなりたくなかった。綱吉を連れ帰るため、皆で無事にアジトへ戻るため、ここが踏ん張りどころだと獄寺は肩をいからせる。
  獄寺がホールへ足を踏み入れようとしたところで、ドアの影から飛び出してきた大柄な男に体当たりを食らわされた。向こうも驚いているから、狙ってやったわけではないだろう。だが、咄嗟のことでお互いに大きな隙が生じたのも確かだ。
  慌てて体勢を立て直した獄寺は、素早く相手を観察した。
  体格はがっしりとしており、どちらかというと筋肉質な感じがする。どこかで見た顔だと思った。いかつい顔立ちで、鼻から頬にかけて大きな刃物傷が残っている。
「ファンゴー兄貴!」
  ホールの中で戦っていたファンゴーの手下が叫ぶのが聞こえる。
  そうか、これがファンゴー兄弟の片割れかと獄寺は思う。
  兄弟揃って大柄だが、穏やかな熊のように温厚な兄と、腹をすかせた凶暴な熊のような弟ということは、目の前にいるこの男は、弟のほうだろう。
  正面の男を油断なく見つめながらも獄寺は、目の端でホール全体を見回してみた。山本とクロームはファンゴーの手下と交戦中だ。綱吉は、大柄な男と戦っている。あれがファンゴー兄弟の兄のほうだろうか? 穏やかな熊も、いざというときには全力で戦うらしい。
「貴様らのせいで……」
  目の前の男が、食い締めた歯の間から悔しそうに呻き声を上げた。
「せっかくあの女を手に入れ……ボンゴレを叩き潰すチャンスだったのに」
  そうだな、と獄寺は思った。あれはいいチャンスだった。特に、京子を執拗に追い続けたことについては、いい読みをしていたと思わずにいられない。あのままファンゴー兄弟がつかず離れずの距離を保ちながら京子の周辺にとどまっていたなら、遠からず獄寺の居場所はなくなっていたことだろう。
  もしも綱吉と京子が偽りとは言え結婚をするに至っていたなら、自分はきっと隠れ家に逃げ込んで、二度と綱吉と顔を合わせようとしなかったかもしれない。そう考えると、彼らの詰めの甘さに感謝したくなる。
「残念だったな」
  獄寺はニヤリと笑った。
  手持ちのダイナマイトは充分に残っている。あと一個だけだが、いざとなれば卵を使うこともできる。じりじりと間合いを計りながら獄寺は、ファンゴーとの距離を調整する。
  近すぎても、遠すぎてもいけない。
「俺たちファンゴー兄弟が負けるはずがない」
  不意に、ファンゴー兄の声が、ホールいっぱいに響き渡る。鼓膜がビリビリと震えるほどの声量に何人かの手下たちが一瞬、立ち竦む。
  ファンゴーの手下の数は決して少なくはなかった。上の階でかなりの数を始末したと思っていたが、まだ随分と残っているようだ。山本とクロームのおかげで少しずつ立っている人数は減ってきているものの、さっきから獄寺の目の端をうろちょろとしては、ファンゴーとの一対一の戦いに水を差そうとしている者が何人かいる。
  背後の気配に意識を向けつつ、獄寺はさっと手を動かした。まるで手品のように防弾チョッキの隠しポケットから取り出したいくつものダイナマイトに一瞬で火を点ける。一連の流れるような動作は、子どもの頃にシャマルに教えられたそのままの動きだ。
「ダイナマイトだぁ?」
  薄ら笑いを浮かべたファンゴーが、獄寺のほうへと一歩踏み出す。
  もっとだ。獄寺は胸の内で囁いた。もっと、近くへ。もっと、もっと……。
  目の端では、皆、それぞれの相手と戦っている。山本は愛用の刀を手に、クロームは三叉鉾を操り、またハイパー化した綱吉は素早い動きで相手を翻弄し、少しでも優位に立とうとしている。
  ──もっと、近くへ来い。
  目の前の敵に、獄寺は小さく呟く。
  囮のダイナマイトを飛ばすと、力任せに拳で叩き落とされた。
  自分よりもはるかに体格の大きいファンゴー弟だが、動きも俊敏だ。愚鈍ではないのだなと獄寺は思う。
  小さな爆風がファンゴーの足下で起こったが、気にも止めていない。足下で鼠花火が弾けた程度にしか思っていないような、つまらなさそうな顔をしている。
  あくまで囮は囮、ファンゴーにとっては目眩ましになるかならないかの程度でしかないのだろう。
「どうやらこの程度じゃ、効かないらしいな」
  たった今飛ばしたダイナマイトが囮だとはおくびにも出さず、獄寺は告げた。
  ホールの隅で、クロームが三叉鉾を大きく一振りしたのが見える。周辺に集まっていた敵が、一掃されるのが獄寺の目に映った。これで後は、山本のほうに集まっている連中と、綱吉が戦っているファンゴー兄、それに自分の目の前にいる弟だけになった。
  さて、どうするか。
  ダイナマイトだけで勝てる相手だろうか。不安な反面、かと言ってそれ以上の飛び道具を使うのは躊躇われる。結局、今この場で頼れるものは自分の力だけなのだから、一番扱いに長けているダイナマイトを使うのがもっともらしいような気がする。
  或いは、運を天に任せるか、だ。
  ダイナマイトを手に、獄寺はファンゴー弟の懐へと飛び込んで行く。
  仕掛けを施したダイナマイトが派手な音を立てて弾ける。ついで囮のダイナマイトが。
  煙幕で敵の視界を遮ったとは言え、向こうもマフィアのボスだ。そう簡単に倒せるはずがない。
  それでもやらなければならない。
  綱吉のために、右腕として、やらなければならないと獄寺は強く思った。



(2012.9.18)

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