『三日月の夜 1』



  まだ夏だというのに、もう秋の匂いがそこここでしていた。朝晩の冷え込みも始まっていたし、何よりも、コオロギやスズムシの声が生い茂った草の葉陰から聞こえてきている。
「ああ、もう秋だなぁ」
  呟いてサンジは、ちらりと神社の境内に視線を馳せた。
  蒸れた稲穂のにおいがきつくなってくると、村の神社では秋祭りの準備が始まる。昨日あたりから村に出入りする商売人の数が増えたような気がする。そろそろかと思うと、サンジはいてもたってもいられなくなってくる。
  秋祭りには、見世の娘たちと一緒に出かける約束をしていた。誰と行くかはまだ決めていない。サンジにしてみれば誰と出かけても嬉しいし楽しいのだが、今のところ彼のいちばんお気に入りの娘はひとりしかいない。甘い蜜柑色の髪と瞳の、少しばかり気の強い、娘──名をナミという──と一緒に、秋祭りに行くつもりをしていた。もちろん、ナミが色好い返事をしてくれればの話だが、置屋の若旦那であるサンジの誘いを断る娘はいないだろう。
  もしもナミが一緒に祭りに行ってくれるなら、新しい簪を買ってやろう。いや、櫛がよいか、それとも手鏡か……などとサンジが考えていると、何やら境内のほうから怒鳴り声が聞こえてきた。
  喧嘩だった。
  このあたりではあまり見かけない、浪人風の緑色の短髪の男が、ごろつき風の男たちに絡まれている。
  喧嘩慣れしているな、とサンジは思った。
  一対四で、数の上ではごろつき風の男たちのほうに分があるように見えてはいるが、男はなかなか手慣れているようだった。男たちとの間合いの取り方、あたりを窺う様、余計な隙のなさ。そのどれもが、サンジの好奇心をくすぐりだす。
「どれ、ちょっとばかり見物していくとするか」
  呟いてサンジは境内の上がり口に立つ石柱にもたれかかる。懐から煙草を取り出すと、殊更ゆっくりとした仕草で燻らした。
  どこからか集まってきた野次馬たちが、緑髪の男に賭けるかごろつきたちに賭けるかでひそひそと囁きを交わしているのが聞こえてくる。
「兄さん、アンタも一口賭けねぇか?」
  誰かがサンジに声をかけてきた。
  あの喧嘩を賭の対象にして、どうやら一儲けしようとしている連中がいるらしい。
「あのマリモ頭に」
と、サンジは返した。
「へっ? いいのかい、兄さん。あいつァ、ちったぁ強そうな感じもするが、ひとりだぜ? 後で文句言ったりしねぇだろうな?」
疑わしそうな眼差しで男が尋ねるのに、サンジは気前よく懐から金子を出した。
「賭けといてくれ」



  男の鋭い眼差しに、ドキリとした。
  禍々しいまでに厳しい眼光でごろつき共を睨み付ける男は、わずかな手ぶれも見せることなく刀を握りしめている。刀のことはよくわからないサンジにも、男の持つ刀が結構な重量のものだろうということはわかった。もちろん、ごろつき共が腰に下げているような安っぽいものでもない。
  どうするのだろうかと見ていると、目にも止まらぬ早業で、男はごろつき共の刀をはじき飛ばした。刀が動いたようには見えなかったが、サンジの目には、刀を持つ男の手が、腕が、力を込めるところまでは見えていた。
「早えぇ……」
  呟いた瞬間、口にした煙草がポロリと落ちそうになる。慌てて煙草をくわえ直しているところに、長鼻の友人がやってきた。
「よっ、サンジ。喧嘩見物か?」
  愛想よく笑いかけるのは、古道具屋のウソップだ。日がな一日、訳の分からない道具を作ったり、どこからか買い付けてきた怪しい道具を売ったりしている。飛び抜けて鼻の長いこの友人の店は、サンジが任される見世のすぐ裏手にある。同じ路地の向こうとこちらとでは随分と雰囲気が違ったしそれぞれの生い立ちも異なるが、それでも二人は仲のいい友人だった。
「よお」
  頷くかわりにサンジはにやりと笑って返した。それから思い出したように、顎をくい、としゃくる。
「あんなやつ、このあたりにいたか?」
「ああ……あいつか。なんだサンジ、お前、知らなかったのか? あいつは最近、猿屋に雇われた用心棒だぜ?」
  と、ウソップは返した。
「猿屋の雇われ用心棒ねぇ……」
  ふぅん、と気のない様子でサンジは軽く煙草を燻らせる。
「猿屋っていったら、アレだな。最近、そこらのごろつき共を集めて何か企んでる、って噂があったな」
  雇われ用心棒の鋭い眼光を見据えたまま、サンジが呟く。ウソップのほうも目の前の喧嘩に夢中で、サンジの言葉にも半ば上の空だ。
「ああ……なんでも沖向かいの島に宝探しに行くんだ、って馬鹿なこと言ってたぜ」
「宝探し?」
  尋ねながらもサンジは、男のほうを正視している。
  躊躇うことなく相手をねじ伏せていくその動きがいい。猿屋の雇われ用心棒にしておくにはもったいないほどの使い手だ。だいたい、猿屋の若頭は二人共が揃ってなかなかの腕だと聞く。力は力を呼ぶと言うが、昔からひとつところに強い力を持った者たちが集まってうまくいったためしはない。
  俺なら…──ぼんやりと頭の中でまとまりかけた続きの言葉を慌てて振り払うと、サンジは目の前の喧嘩に集中した。
  ただがむしゃらに立ち向かうだけのごろつきたちは、統制の取れない野犬の群にも似ていた。殴られても殴られても、自分たちの縄張りと餌とを守るために飛びかかっていくひたむきさはしかし、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
  雇われ用心棒はあっという間にごろつき共を刀の峰でなぎ払い、血の一滴もついていない刀身を軽く一振りした。
「お前ら、つまんねぇことぐたぐた言ってんじゃねぇよ。失せろ」
  ごろつき共をぎろりと睨み付ける眼差しが、サンジの正面にあった。
  あれだけ動いて汗ひとつかいていない涼しげな目元。そよそよと境内を吹き抜けていく風たちが、緑色の髪を優しくなでつけていく。腰の鞘に刀を納めるまで、男の目つきは鋭かった。鬼のようだなと、サンジは密かに思った。



to be continued
(H16.9.25)



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